2012年4月9日月曜日

自由経済主義者の正体

        
 たびたび進行が横道に逸れるのですが、とても良い記事を見かけたので少しばかり寄り道します。


<転載>

会社が儲かっても給与は上がらない
2012年04月07日 13:01

城繁幸


4月に新社会人になったばかり人も多いと思うので、今日は簡単な論理的思考力のトレーニングをしようと思う。
ちょうどブロゴスに適当な教材も転がっていた。

06年頃に「日本企業、続々と過去最高益更新」「バブル以来の求人数に」などというニュースがしばしば流れていたのを記憶している人も多いだろう。
実際、景気は良かったのだ。一方で、労働者の賃金は必ずしも上がってはいない。


どうも一部の人達は、この点をもって「労働者が階級闘争に敗れたせいだ!」と思ってしまうらしい。
そして、そういう先進国共通の現象を引き起こした価値観が“新自由主義”ということらしい。
だから、法律という武器で階級闘争を労働者に有利にしろ、つまり、賃下げや解雇をもっと強く禁じ、非正規雇用は正社員化を強制しろというロジックを展開しているようだ。

派遣法改正や有期雇用規制を推し進める民主党政権は、ある程度はこの流れに沿って動いているように見える。


ただ、この考えにはグローバル化という観点が抜けている。
海の向こうに、同じパフォ-マンスの仕事を半分の価格で出来る労働者が存在すれば、その仕事の値段は下がる。それだけの話だ。

「本来、労働者に払われるべき賃金」なんてものは存在しない。 労働もその他の製品と同じ商品であり、相応しい対価が支払われるだけだ。
そして、その値段を決めるのは市場である。

だから、値段を上げるためには、自分で一生懸命頑張って価値を上げるしかない。
端的に言うと、日本人の賃金が下がり続けているのは、日本人自体の努力が足りないというのが理由である。※
「そんな冷たいことを言うな」と思う人もいるかもしれないが、そういう人は自分がお金を分配する立場になって想像してみよう。
街の牛丼屋さんで、一杯300円の牛丼を食べたとしよう。
店を出ると、赤いのぼりを立てた牛丼ユニオンの人達がシュプレヒコールを上げている。
「我々従業員に適正な賃金を支払うためには、一杯1000円支払われるべき。
消費者に対する階級闘争貫徹!」

きっと普通の人ならこういうだろう。
「僕に千円要求する前に、まず千円出したくなるような新商品を開発したまえ」 というわけで、“階級闘争ごっこ”なんてやってる暇があったら、勉強してスキルアップする努力をするといい。
人生は前向きに生きてこそ価値があるものだ。



※筆者も国民全員が努力で賃金水準を維持し続けられるとは思わない。
 とはいえ、20年前よりお金を使わずに豊かな暮らしが送れるようになっているのも事実だ。
 これもまたグローバル化の結果である。

</転載>


 で、「労働は商品である」という筆者の主張は、「労働者は商品である」という考え方であり、即ち、「奴隷商人」と同じ考え方ですな。それ以上でもそれ以下でもありません。したがって「自由経済主義」の本質とは、「奴隷商売」と同質であることが分かります。

 ・・・以上。

 と、ここで終わってもつまらないので、もう少し続けます。そこで「奴隷」というものの待遇について、Wikipediaで検索してみると・・・


奴隷貿易

<引用>

古代社会における奴隷と近代以降の(特に黒人)奴隷では明確に異なる点も多い。例えば、スパルタの奴隷は移動の自由こそなかったが、一定の租税さえ納めれば経済的に独立した生活を送ることができた。アテナイの奴隷は市内を移動する自由が認められており、肉体労働だけではなく、家庭教師や貴族の秘書といった知的労働に従事することもあった。更に古代ローマでは、カラカラ帝によるアントニヌス勅令施行以前まではローマ市民権を得ることによって自由人になる(解放奴隷)道が開かれていた。鉱山労働者や家庭教師など奴隷の仕事は様々であり、言ってみれば職業と就職先を自分で決定する権利が無い労働者と言ってよい存在だった。娼婦や剣闘士のような、特定の主人に仕えない自由契約の奴隷は、個人の努力次第で貴族並みの収入と名声を得ることもあった。

</引用>

奴隷販売の広告(1829年)。


 まるで現在のワタシたちのようですな。「税金」さえ収めれば権利が認められるだととか、「職業と就職先を自分で決定する権利が無い」だとか、「娼婦」「剣闘士」を、「芸能人」「アスリート」に置き換えてみれば、そのままスッポリ当てはまります。

 人道的問題とか、人権問題とか、イッタイ何処へフッ飛んでしまったんですかね?お金じゃ計れない「人間の尊厳」というものに「近代理性」は目覚め、で、その尊厳を基準に新しい時代を築こうとしたワケですよね?

 オカシイじゃないですか?現代の社会状況は、まるで過去に逆行しているかのようです(ワタシにはそう見えます)。

 封建領主、国王の絶対的な権力が、「経済・金融」という「新たな権力」に入れ替わっただけで、まるで「奴隷制度」そのものは、そのまま残っているかのようです。

 そりゃあ人によって働きぶりは違います。全ての人の働きぶりが一緒だったら、それこそ「ロボット」です。各々の適性に合った仕事はあるにしても、その仕事によって「人間の尊厳」にも違いが生まれるなんて


ナンセンス!!!

 
 筆者は、「自分で自分の価値をあげろ!」と言いますが、その「価値」とは、「尊厳」とは相容れないのは明らかです。なぜなら尊厳には上も下もないのだから。・・・これが「近代理性」の考え方です。

 したがってこの筆者は「階級闘争ごっこ」と言いながらも、「確信犯的な階級支持者」である可能性が伺え、そこから導かれるのは「自由経済主義」とは「階級主義」の肯定・・・つまり、「近代理性」の後退に他ならないという事実です。

 では?いったいどういった潮流が「自由経済」を推し進めているのかというと、「経済・金融至上主義」を唱える銀行・金融関係者であることは、みなさん毎日のニュースなどで既に十分認識されていることと思います。

 極論を言うならば、「近代理性」=「人間の尊厳の目覚め」と、「自由経済主義」=「経済・金融至上社会」とは、実は・・・相反するものなのです。そしてその結果としての歪が、現在の世界的な金融市場の混乱に現れていると言っても過言ではありません。

 したがってワタシたちが採るべき道は、現在金融市場を取り仕切る「奴隷商人」たちからその権限を取り上げ、「近代理性」に基づいた「近代金融市場」を再構築することが急務なのだと思う次第です。はい。



人間ナメんなよ!


でわっ!