2007年11月7日水曜日

小さな勝利

過日の小沢氏にまつわるゴタゴタ。
結局、民主党代表の辞任の撤回という形になりましたネ。

思うに民主党としては最悪の選択肢を選んでしまったのでは?
もうこれで民主党が国民の支持を得ることはムズかしくなったでしょう。
(自民党は大喜びかもしれませんが。)
だからと言って自民党の好き勝手にさせるつもりもナイですケド。

政治についてアレコレしたり顔で語る人は多いのですが、
いま、ワタシたちに必要なのは政治だの政局だのを「語る」人間ではなく、
国民の「僕(しもべ)」として政治を「実行」してくれる人ですよね?

その意味で、先の選挙で自民党に「NO!」を突きつけ、
民主党にバトンを渡したはずだったのに
またぞろ国民を無視して勝手な事をやり始めてからに・・・。

おそらく有権者の間にも不安と動揺が広がっていることと思いまス。

一体誰に日本を任せたら良いのか?

まぁ、政治家に任せておけば安心という時代は終わったというコトですか?
もとより、政治家が公明正大だという時代なんてハナっから無かったのかも。
やっとワタシたち庶民がそれに気づきだしたってコトですかネェ。

きょうび、インターネットによって誰もが多くの情報を得られ、

誰が正しく、誰がウソをついているのか?

ある程度のところまでは、そこそこ確認することができるようになりました。
あとは知り得た情報とどう向き合うか?ということナンですが・・・

まぁ、自分に都合のイイ真実、都合の悪い真実、イロイロあるにしても、
くどいようですが、明日の日本を良くする為には国民ひとりひとりが

自分には何が出来るんだろう?

と真剣に考えなければ、何も良くならないように思うんですけどね。

「イヤイヤ、自分は無力だし、そんな大それたことは・・・」

と、考えたそこのアナタ、本当にそうでしょうか?

先の選挙で自民党に「NO!」を突きつけ、
結果、自民党の大敗に結びつけたのは
そんな、「名も無い」「無力」な国民の「反旗」だったハズです。
政治家が国政の主役ではなく、国民が主役であることを自覚しましょう。

今回の小沢氏の辞任騒動にしても、機を見るに敏な小沢氏が
国民から見放される事を恐れ急遽辞任を撤回した様に思えます。

自民党も、国民から総スカンを食らった議員を身内に加える気は無し、
さりとて新党を発足したところで支持が得られないのは見え見え。
(そんな新党に加わろうなんて奇特な議員も居ないだろうし・・・)
であるならば、小沢氏に残された道は民主党に留まるしか無いわけで、
国民からの支持が無ければ、政治家は「裸の王様」のようなもの。

つまり、今回の小沢氏の醜態も、国民意識の「小さな勝利」
と言えなくはないのでしょうか?

ワタシたちにはワタシたちの望む日本のカタチがあるワケで、
それは決して武力による問題解決や、人間性を無視した
経済性、合理理性最優先の社会、国、および世界ではないハズです。

新テロ特措法?イーカゲンニシロ!

と・・・。

政治家が勝手な真似をし出したら「NO!」と、何度でも何度でも言い、
主権者はダレなのかを、勘違いした連中に
骨の髄から分からせなければならないと思うワケで・・・。

ナンか、国民が一丸となって「真の改革」を実行する
大切な時期に差し掛かっているような、そんな気がする今日、
この頃なのでアリマス。

最後に・・・、以前にも紹介しましたが、伊丹万作氏の言葉を再度紹介します。


<引用>

戦争責任者の問題 -伊丹万作-
http://homepage.mac.com/ehara_gen/jealous_gay/itami_mansaku.html

<抜粋>

「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。

</抜粋>

</引用>


そうそう、何かと言われてる「ねじれ国会」っていうあの言葉、
ワタシには違和感があるんですよネェ。
お互いの意見が対立することを「ねじれてる」って言うんですか?
じゃあ、反対意見が出ないような国会だったら、
数の力で強行採決できる国会だったら「正常」なんスか?
民主主義をバカにしているような感じを受けるのはワタシだけ?


でわっ!