このたびの「東日本大地震」にて被災された方々にお見舞いを申し上げるとともに、災害にてお亡くなりになられた方々のご冥福を、心からお祈り申し上げます。
任天堂の株価が爆下げ中らしいのですが、ナンか不自然さを感じるんですよねえ。ま、要因は「ニンテンドー3DS」の販売不振とのことですが、それだけで急に株価がストップ安になるというのも解せませんなあ。どんな企業にも必ず浮き沈みはつきものですので・・・。はい。
で、例の如く「妄想」が働いてしまうワケですが、「何がしかの圧力」が働いているようにも感じてしまうワケで、だとしたら一体何なんだろう???・・・と。
そこで任天堂という企業を再検証するに、まず創業ルーツが「花札」であることから、八切止夫氏の言う「八(祇園)」の先住民族系(大和朝廷以前)の企業なのでしょう。「任天」=「天に任せる。」・・・という社名からも、自然との共生を旨とした古代日本人の感性が伺えます。
任天堂は明治22年、京都市下京区にて創業。同年2月22日、「大日本帝国憲法」が発布され日本も西洋と同じ「立憲君主国」の仲間入り。同年5月に東京(当時は東京市)で最初の市会議員選挙が行われます。10月には大隈重信外相の暗殺未遂が発生し、そのすぐ後に黒田首相が辞表を提出。年末に第一次山県有朋内閣が成立しました。
明治時代年表
とまあ、「御一新」後22年経っても国内にはまだまだ不平士族残党がいた事が伺えますが、「大日本帝国憲法」が発布された事で、明治政府にも曲がりなりにも「国家」としての道筋が引けたワケです。
ところで「やくざ」について度々言及していますが、やくざ=「八」の者は、江戸時代には「非常・民」として「警察」の職務を担っていました。もちろん全部が全部というワケではないでしょうが・・・。そして明治に変わってからも、引き続き「八」の者に警察職務を任せる予定だったのです。江藤新平司法卿としては。
それが明治6年の政変にて、大久保利通によって江藤新平がその地位を追われ「佐賀の乱」と発展し、彼の描いた近代警察機構も潰えてしまいます。「八」の者も当然ながらその職務を解かれ、代わりに担ったのが維新後に食い詰めていた士族で、警察(士族)が庶民(町民)に高圧的なのも、士農工商の身分制度に漬かっていた時代の名残りなのでしょう。
で、職を失った「八」の者が「やくざ」に転職?したのですから、まあ、「警察」と「やくざ」は兄弟みたいな?関係とも言えますし、「警察」が「やくざ」を目の仇にするのも「目の上のたんこぶ」に思えるのかも知れません。
職を失った「八」の者が全て「やくざ」に転職するワケもなく、新たな仕事を見つけなければなりません。従来、「農業」以外の仕事(製造業)が「八」の者、「四」の者の仕事として許されており、その中には製紙業もありました。
ま、歴史の講釈はこれくらいにして本題に戻ります。任天堂は先住民系(八系)企業であるとワタシは考えていますが、では先住民系企業に圧力を掛けるとして、その目的、意図はどこにあるのか?
現在、日本は存亡の危機にあるとみなさん認識されていると思いますが、本当にヤバイ状況なワケです。なにしろ放射能汚染という、かつて経験したことの無い「生活圏を失う」という生存問題に発展しているからです。生きるか死ぬかの瀬戸際にあるのです。福島県に限らず日本全体が。
古代より日本国内において幾度となく「覇権争い」が繰り返されてきましたが、所詮は「陣地の取り合い」でした。それが、「陣地」そのものが無くなろうとしている現状において、まだ過去の因縁に拘って「足の引っぱりあい」をする、既得権益にしがみ付く連中がいるということですか?ええ?
「足の引っぱりあい」を止めろと言ってもそう簡単には収まらないでしょう。なにしろ長mmmい歴史がありますから。でもね?「一時休戦」ということで、今は日本の国土を保全(生活圏の確保)することを優先するべきなんじゃないんですかね?この先も日本に住み続ける意思があるのなら。
「金(カネ)」の有る者は海外へ脱出すればイイと考える向きもあるようですが、「華僑」にしても「ユダヤ」にしても、また身近なところでは「越僑(ベッキュウ)」にしても、最終的には「約束の地」=「故郷」を求めます。それは「お金」だけでは解決できないアイデンティティー(自己存在理由)に係わるからです。どんなに立派な豪邸に住もうと、「借り物」の暮らし(お金次第の暮らし)は、いつかは失われる時が来ると本能的に分かっているからです。
本来人間は無償の物に生かされているのです。それは「青い空」であり、「蒼い海」であり、「緑の山」であり、それらすべてが無償なのです。いうなれば「母親の愛情」の様に。そして、かけがえの無い財産なのです。日本にはそれがあるのです。その財産を守ることが、日本に生まれた日本人の最低限の責任だとワタシは考えます。
任天堂の株価の話から大分飛躍してしまいましたが、言いたいのは、今この期に及んでまで、ツマラナイ縄張り意識などで日本の存亡を見誤らないで頂きたい。・・・ということです。はい。
でわっ!