2011年8月21日日曜日

キグチコヘイハ・・・

 このたびの「東日本大地震」にて被災された方々にお見舞いを申し上げるとともに、災害にてお亡くなりになられた方々のご冥福を、心からお祈り申し上げます。


 石川遼選手は、ワタシの数少ないフェイバリット・アスリートの一人なのですが、ワタシ自身ゴルフが好きでも、プレーをするワケでもありません。ただ、TV番組などで見かける彼の「人柄の良さ」に惹かれるだけです。まだ若いということもありますが、素直な人間性がTVの画面からも伝わり、「ああ・・・、オジさんは何て汚れてしまったんだろう・・・orz」と、自責の念に駆られると同時に、石川選手にはその稀有な人柄を失わずにいて欲しいものだと、余計な心配をしたりする次第です。はい。

 TVで見ただけで人間性なんて分かるのか?と思われるかも知れませんが、まあ、99%は勝手な思い込みだとしても、残り1%はどうしても隠せない、その人の本性が滲み出てしまうものです。どんなに外面の体裁を取り繕ったとしても、「目を見れば」その人の人間性はおおよそ判断できてしまうものです。なぜなら・・・「目と脳」は緊密に連携しており、日常的な人の思考は目に顕れ易く、いにしえの時代においては「邪眼」もしくは「凶眼」といって、相手を悪意に満ちた目でニラミつけるだけで「呪う」ことができる。・・・と、ゾロアスター教の経典か何かに書かれていると、どこかで読んだ記憶があります。

 ついでに言えば、特に「左目に意識が顕著にあらわれる」そうで、中世の魔女狩りの際も、疑わしき人間の左目を覗き込んで、魔女かどうかの判別をしたとか・・・。

 で、先月メデタク?TV放送が完全にデジタル方式に移行されたワケですが、地デジ放送の鮮明な画像であれば、出演者、コメンテーターがどういった人間であるか、画面に映し出されるその「目」から推し量れるかも知れません。その点で、地デジ放送は歓迎すべきとも言えますなあ。ちなみに、先日放送された「朝ナマ」に出演していた東大教授なんぞ、ホント!「目が腐っていた」もの・・・。ま、あくまでワタシ個人の勝手な主観ですが。  

 で、話は石川選手の戻るのですが、ワタシが好きな・・・というか、ほぼRESPECTする石川選手に向かって、ヒドイことを言う記者もいるワケです。・・・はい。


<転載>

遼 頭を丸めて出直せ
2011年08月14日17時00分
提供:ゲンダイネット

 19歳とまだ若く、ロートルのように試合を選んで欠場するなど100年早い。「遼クンに会える」と観戦を心待ちにするファンを裏切る行為だ。

 巨人の沢村投手は9敗目を喫した12日の試合後、自らバリカンで頭を丸めた。メジャーで不甲斐ない成績で予選落ちの石川も丸坊主になって出直すべきだ。

</転載>


 この記事書いた記者、何様のつもりですかね?


「丸坊主になって出直せ。」


 お前こそ頭丸めて、謙虚に報道に携われと言ひたい。ワタシはこれといったスポーツに肩入れしているワケでもなく、ただ単純に、がんばっている競技者のひたむきな姿に心打たれるだけでして、その結果が良かろうが悪かろうが、どっちでもイイのです。前にも書きましたが、スポーツ選手は「自分の好きなことをやっている」に過ぎないと思うし、それでイイのだと思うのです。

 それを外野(観客)がアレコレ言うのは「筋違い」とゆうものです。周りが何と言おうと、報われない環境にあろうと、自分の選んだ道をひたすらマイペースで進めばイイんです。「なでしこジャパン」のように。そうすれば、「結果は後からついて来る」ものです。

 現在の日本の置かれた厳しい状況を、少しでも明るくしよう・・・なんて余計なことは考えずに、自分のベストを尽くすことに集中すればイイんです。そのひたむきな姿に、周りの人間も励まされるのですから(少なくともワタシわ)。

 人間ですから調子の良い時、悪い時があっても当然です。良い成績のときは紙面を割いて褒め称え、調子が悪いときは川に落ちた犬を棒で叩くかのような論調ですな・・・日刊ゲンダイわ!今更、「木口小平」でもあるまいに、まるで戦時中のメディアよろしく、「護国の為に!」とでも言わんばかりの勢いですな。アホか?・・・と。

 元々スポーツも、神に捧げられた儀式であったワケですが、今の時代にそれを望むんですかね?であれば、現代における神とは「観客」になのでしょうなあ。更に言えばギリシャ、ローマにおいてスポーツとは「奴隷の見世物」でもあったワケで・・・。

 ワタシは奴隷を囲う趣味はないので、ただ観戦するだけで十分です。誰が勝とうが負けようが、競技中にひたむきな姿を見せてくれるだけで十分です。石川選手に限らず、良い成績を残せたなら「おめでとう」を言うし、残念な結果の時は「次があるさ」と労うだけです。競技をしない者がどうして?競技者に向かって「ああしろ」、「こうしろ」と、エラそうな事が言えます?

 競技者、アスリートは本来孤独なものです。応援してくれる周囲の人がいるのは有難いにしても、最終的に競技に向かうのは自分の身体ひとつなのですから・・・。その孤独に打ち勝つも負けるも、競技者自身の総合力次第でしょう。石川選手はまだ若い。メンタル面で弱い部分も当然あるでしょう。だからといってその弱い部分を、外野が強制的に矯正しよう等とは言語道断。笑止千万。日刊現代。

 ま、誰でも「スランプ」があって当然なワケで、その「スランプ」を乗り越える為に苦しむのも、競技者として生きることを選んだからには、立ち向かわなければならない「ひとつの試練」なのでしょう。石川選手の今後の成長を、陰ながら願う次第です。はい。


でわっ!