2011年8月7日日曜日

未完の技術

 このたびの「東日本大地震」にて被災された方々にお見舞いを申し上げるとともに、災害にてお亡くなりになられた方々のご冥福を、心からお祈り申し上げます。


 子供の頃、目覚まし時計を分解したことがあります。時計が何故?一秒一秒を正確に刻み続けるのか単純に知りたくなり、その衝動を抑えきれずに使用していなかったゼンマイ式の目覚まし時計を興味本位で分解してしまい、案の定、元通りには戻せませんでした。

 精密な部品の組み合わせを目にし、まるで「生命の神秘」を垣間見たかのような興奮を覚えましたが所詮は子供。昆虫の足をもぎ取ったり、アリの巣穴に水を流し込んだり、理科の時間のフナの解剖で「ショッカーの科学者」を気取ったり、その場限りの好奇心を満足させるのみで、後のことなんてナmmmンにも考えていませんでした。

 今思えば・・・ずいぶんと酷い仕打ちを、昆虫やらザリガニやらにしたものです。そしてそう思えるのも、「命の大切さ」を知ったからでしょう。「生きる」という行為は、この地球上の全ての生命に等しいものであり、ミジンコも人間も、「生きる」という行為においては全く同等です。ましてや同じ人間同士であれば尚のこと。

 で、ハナシは「原発」に戻るのですが、今回の原発事故に関して、「福島第一」は地震と津波で崩壊してしまったが「福島第二」は持ち堪えた。一重に、「第一」はアメリカ製で、「第二」は日本の技術で改善されているから。日本の技術はやはり素晴らしい。・・・という論調も見られます。


命がけで踏ん張る東電福島事故現場:世界にとって驚異であり、脅威でもある


 「日本の技術は素晴らしい。」という点はワタシも同意します。その優れた「もの造り」の技術があったればこそ、戦後の急速な復興も成し得たのでしょう。つまり、「もの作り」が経済発展を牽引してきたと言えるワケです。然るに最近では、「日本はもの作りから脱却しなければならない。」などと真顔で論じる経済専門家がTVなどで見られる次第です。

 この、日本の「もの造り」の技術は、日本の数少ない貴重な資源のひとつです。技術の継承と改良は、日本が歩んできた歴史そのものの帰結とも言えます。そもそも限られた資源を有効に活用するために、素材・原料の本質を追求し細部にこだわる日本の「もの造り」とは、過去から現在に継承されてきた叡智なのです。


自然、社会と調和している。


という点では、今のこの世界に求められる技術なのです。それを捨て去ってどうするんですか?ええっ!?

 魚ひとつにしても、頭から尾ひれまで「残す部分無く」調理します。だいたい「魚の目玉」を食する民族なんて、日本人以外にいるんですかね?また、クジラの「ひげ」が文楽人形の素材になったりと、「無駄を出さない」ということは、 


技術として完結している。


・・・つまり技術として、「大人の技術」だと思うワケです。時計を分解しても元に戻せないのは「子供の技術」であったからで、元通りに戻すことが出来て、初めて技術として「完成」されたと看做せるのではないでしょうか。

 日本の原発技術を褒め称えたいのなら、現在も続いている「核反応の暴走」を直ちに止め、「核廃棄物の処理問題」第三者に迷惑をかけること無く解決できて、初めてその技術を誇って欲しいものです。環境に悪影響を与えない=他人の迷惑にならない技術。それが「大人の技術=完成された技術」だと思うワケです。後始末もできずに先進性のみを追い求めるのは、「フナの解剖」に嬉々とする小学生と大して変わらんだろうと思ったりするワケです。はい。

 核の研究開発は未だ「未完の技術」なのです。一般社会にその技術を持ち込むつもりであれば、キチンと「後始末」までの技術を確立してからの導入でないと、今回の原発事故のような事態になってしまい手が付けられないのです。

 既存の技術にも、まだまだ使い道のある技術がゴマンとあります。水力、火力、ガス、いずれも改良の余地はまだ十分にあります。発電機のタービン、モーターの改良にしても、これで終わりという限界を迎えたワケではありません。「目からウロコ・・・」の、革新的な技術や発明が明日にも現れるでしょう。


磁力抵抗「ゼロ」の発電機
草津の男性が発明


 興味本位だけ技術、後始末のできない技術とは、即ち「破壊」にしか利用できないということです。「破壊」であれば、後始末なんて気にしなくてもイイのですから。

 最後に、現在事故原発の処理作業に当たっている作業員の皆さんの、「命を懸けた」作業に心からの敬意を表します。・・・と同時に、皆さんのご家族の心情を思うと心が痛みますし、皆さんをそういう危険な状況へと導いた「国と東京電力」の政策・・・エネルギー戦略の稚拙さには、憤りを覚えます。いつの日か事故処理が完了したその日には、皆さんこそ・・・


国民栄誉賞


に評されなければオカシイと思う次第です。はい。


でわっ!