このたびの「東日本大地震」にて被災された方々にお見舞いを申し上げるとともに、災害にてお亡くなりになられた方々のご冥福を、心からお祈り申し上げます。
<転載>
核燃料サイクルを知らない専門家 地下原発議連、2回目の勉強会
2011年08月01日08時40分
「地下式原子力発電所政策推進議員連盟」の二回目の勉強会が七月七日、衆議院第一議員会館で開かれた。出席議員は鳩山由紀夫前首相、中山恭子元内閣府特命担当大臣、塩崎恭久元官房長官、高市早苗元内閣府特命担当大臣ら一〇人ほど。
会の冒頭、会長の平沼赳夫元経済産業相が「勉強会を始めたら全国から非難囂々のメールがきた。しかしどんなメールがこようとも、日本のエネルギーを考えた時に避けては通れない。地下原発の検討は必要だ」と挨拶した。
会場の空気が凍りついたのは、「原子炉等が想定外の破損事故を起こしても、原子力施設周辺住民に放射線による被害を及ぼさない地下式原子力発電所について」と題して講演した京都大学名誉教授の大西有三氏(地盤工学)が質問を受けた時のことだ。参加議員に国際社会で「核燃料サイクルはどう変わっているか」と問われた際、「核燃料サイクルと言いますと?」と聞き返したのだ。質問議員が慌てて「プルトニウムを取り出してもう一度使うシステム」だと逆に答えると、「私はちょっとあの……我々がやっているのは一番最後に再処理して残った、これ以上は使えない処理です」という珍問答となった。
逆風の中で地下原発の知見を集めようと呼ばれた”専門家”が国の原子力政策の機軸である「核燃料サイクル」を知らなかった。また、研究対象が地下原発ではなく、最終処理場であることが露呈した。さらに、「核燃料サイクル」について解説をくわえたのが(財)電力中央研究所の伊藤洋・研究顧問だったことで、電力業界の存在も色濃い会であることがわかった。議連は、わが国が地下原発に関する知見を有することを盛り込んだ提言を国際原子力機関(IAEA)に送るというが、虚偽に等しく恥の上塗りにはならないか。
(まさのあつこ・ジャーナリスト、7月15日号)
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開いた口がふさがらないとは、まさに斯様な学者、および取り巻きの連中の思考ですなあ。「ヒルの脳髄の研究者」の姿が重なります。いえね?ワタシは「ヒルの脳髄」の研究を否定するワケではありませんが、これには「ローカル」と「グローバル」の関係性にも通じる示唆を含んでいるように思えます。
ある討論会?(トークセッションとも言うらしいですが)で、「学者は人間関係が狭いので、周りが少しおだてれば非常に喜ぶ。」と言っていましたが、それじゃあまるで子供です。まあ、斯様な学者はほんの一握りで、大方はDr.ニャロメ・・・もとい、Dr.根路銘のような、志を持った人間だとは信じていますが、まあ、事無かれ主義、事大主義の学者がいるのも事実のようで。
同じ「BLOGS」というサイトで度々登場する「池田信人(経済学者。上武大学経営情報学部教授、SBI大学院大学客員教授)」氏ですが、ワタシ、あまり他人に対して個人的な批判は書かないのですが、こと、池田氏に関してはあまりにヒドイので、敢えて思いのたけを述べます。
<転載>
脱原発派のよくある錯覚
2011年07月30日16時20分
<抜粋1>
プロ(電力業界や官庁)は、電力不足や料金の上昇を心配していて、原発の安全対策はそれとは別の問題と考え、再生可能エネルギーは環境対策と割り切っている。ところがアマは逆に安全問題で頭がいっぱいで、まず「脱原発」から話が始まり、なぜか再生可能エネルギーがその代わりになると信じている。
</抜粋1>
<抜粋2>
核廃棄物の体積は石炭の数万分の一なので、処理コストは本来は小さい。その処理技術も確立しており、むずかしいのは政治的な問題である。
</抜粋2>
<抜粋3>
(1)農産物と同じく、エネルギーを「自給」することには何の意味もない。重要なのは価格と供給量の安定化であり、もともと供給の不安定な太陽光や風力は問題にならない。価格が安定していて備蓄も多いウランは、安全保障には有利である。
(3)CO2の削減については、原発が圧倒的に有利である。kWhあたりのCO2排出量は太陽光などよりはるかに少ない。出力が大きいからだ。
</抜粋3>
<抜粋4>
根本的な錯覚は、菅首相や朝日新聞と同じく「原発か再生可能エネルギーか」という二者択一にこだわっていることだ。
</抜粋4>
<抜粋5>
たとえば世界標準の教科書でも読めばわかると思う。
</抜粋5>
</転載>
どこから突っ込んだらいいのか・・・。ま、最初から順番に片付けていきますが、「プロ」だ、「アマ」だと、エネルギー問題を階層分けしてしていますが、それって変じゃないですかね?プロ=生産者、アマ=消費者という分け方は、
俺の作った料理を黙って食え。
と言っているようにも聞こえます。お客を奴隷の如く扱う飯屋であれば、
こんな店二度と来るかっ!
・・・と、タンカを切って他の店に行く事も出来ますが、現実、他の店が無いワケですよ。危険な食品添加物が入っているのが分かっていたら、誰もそんな料理は食べたくありません。中国産の「毒餃子」を散々叩いたのはどこの国のマスコミでしたっけ?高くても安全な「国産餃子」を消費者は買い求めましたよね?その心情と原発問題に、さほど違いは無いようにワタシには思えますが・・・。
「核廃棄物の体積は石炭の数万分の一」って、石炭の燃えカスとの比較ですかね?にしても、体積で比較して何の意味があるのか不明です。問題なのは「危険性」ですよね?青酸カリ0.1mgccとミネラルウォータ5Lを比較して、体積が少ないから青酸カリは問題無いと?アホか?・・・と。処理技術も確立しているそうですが、その処理技術とは「無害化」が可能だという事ですかね?であれば、直ちに全国の使用済み核燃料を無害化して、その技術を証明するのが先決です。どうしてそこに政治的問題なんてあるんですかね?
エネルギーを「自給」する必要なく、価格と供給量の安定化が優先されるそうですが、この見解を皆さんはどう思われますか?ウランは価格が安定していて備蓄も多く、安全保障には有利であると池田氏は言い切りますが、ロシアにガスを止められたヨーロッパの様にはならないと、国際政治学を学んだ方々も言い切れますか?ええっ!?机の上の金勘定ばかりで、広い世界が見えていないんじゃないですかね?池田氏は。まるで「ヒルの脳髄の研究者」の姿そのものですな。
海外との貿易無くしては、どこの国も経済が回らないのが現実です。しかし「最後の砦」は残しておくのが一見、表向きは仲良しこよしに見える国際社会の「非情のルール」です。ロシアやベトナムが「穀物の輸出規制」を行ったのを忘れてはいませんか?いくら「お金」を積もうと、「売らないものは売らない」と突っぱねられればそれまでです。どの国も最終局面においては、自国を、自国民を守ることを優先します。当然です。「最後の砦」とはその国の国民なのですから。
国民さえ守れれば、傾いた国でも立て直すことが可能です。そして国民を守るために先ず「食料」。そして復興のために「エネルギー」。この二つはどの国にも干渉されない基盤を固めなければなりません。そして、「食料」を生産するためには「よい土地」が必要不可欠なのです。
つまり現状、核廃棄物の処理=無害化が出来ない以上、原発を継続運転するということは「食料」を確保する基盤(よい土地)を、自ら放棄しているにも等しい行為なのです。この現実は日本という国の防衛上、由々しき問題です。したがって、安全保障上の観点からも、現状では「原発」を至急に廃止すべき。・・・と、ワタシは提言する次第です。はい。
「ヒルの脳髄」=「経済学」という限定的な見地から、金勘定の見地からしか世の中を見られない・・・と言うか見ようともせず、自分の専門内に全てを押し込もうとする姿勢は、「学者」として正しい在り方なのか?結局、「専門」という「ローカリズム」と、「全体」という「グローバリズム」をどう両立させるかが、「学者」の優劣を決めるのではないか?・・・と。
ところで、池田氏の言う世界標準の教科書?どこで売ってるんですかね?一読してみたいものです。
でわっ!