2012年6月4日月曜日

テキトーくんと、マジメくん


 武田センセイの記事を読んで、少し思うところがあったので...。


日本の子どもに贈るもの(1)
母親に許されたこと


<転載>

子どもが20人いて、100ヶのパンがあれば「子どもにゆっくり食べさせろ」と教え、子どもが同じく20人いて、パンが10ヶになれば「子どもに急いでパンを取らせろ」と教えます。


これは「この世には矛盾があるので、その時の行動をしめすもの」で「親は我が子を餓死させても他人の子どもを助けるのは不適切だ」というものです。パンが10ヶになって子どもが20人ですから争って食べさせないと我が子が餓死し、譲れば他人の子どもが助かります。

母親に許されたこと、それは我が子だけを救いたいという母親の行動なのです。



この世には矛盾したことが多く、それには大人としての私たちの覚悟がいるのです。その点でこの原理原則があまり行き渡ってなかったこともあって、私たちは大人としての判断にもとるところがあるような気がします。


・・・・・・・・・
それは1990年以来、日本の大人は日本の子どもを餓死させようとしているようにみえるからです。かつて中東からのタンカーは日本の高度成長の原動力として日本に来ていました。ところが、バブルの崩壊に驚いた日本人は官僚とマスコミの作戦にひっかかったとも言えますが、「節約、もったいない」などと思い、「化石燃料の削減」をはじめました。


その結果、中東からの石油などの出荷量や世界のエネルギー需要が変わったわけではないので、たとえば、中東をでたタンカーはマラッカ海峡を通り、日本に入るのではなく中国に行っています。


中国政府は教えを守り、自らの国と国民を大切にしていますが、結果的に日本の政府の政策は日本の子どもを餓死させようとしています。この状態(タンカーが日本に来ないで中国の方に進路を取る)が続けば、50年後には日本は中国にかなりの水をあけられると思います。


なぜ、日本政府がこのような政策をとるかというと、今の日本政府には「日本国と日本の未来を大切にする」という人は見当たらず、「自分だけの名誉と収入」だけを考えているからと考えられます。


「利権」というのは恐ろしいもので、立派な人でも毎日の損得を考えていると、どうしても日本が見えなくなります。一方、情緒的にものを判断する国民性を知っているマスコミは日本人の優れた特徴(節約精神)に訴えて、世論をリードしました。


でも、私たちは子どもを餓死させる訳にはいきません。石油や石炭はまだ多くありますが、無くてもあっても私たちは子どものために節約をしてはいけないのです。


誤解してはいけないのは、家庭生活や自分の人生は「競争のないもの」ですから「節約」は大切で、「節約こそが人生に幸福をもたらす」のは当然ですが、異なる民族同士の厳しい戦いでは、節約は子ども達の命取りになるという現実を直視する勇気がいります。



「tdyno.103-(4:23).mp3」をダウンロード



(平成24年6月3日) 武田邦彦

</転載>


 「節約」について過去何度も武田センセイは述べられているのですが、ワタシなりに解釈したその要点を述べるなら、


「節約」という名の「無駄」をしている。


ということでしょうか?

 ペットボトルやゴミの分別収集を例に挙げられていますが、コストやエネルギー効率を全体的に計算してみて、「どうも、返って無駄が発生しているようだ。」というのがその主旨になります。

 で、この「無駄」とは何か?というと、「税金」であったり、エネルギーなどの「過剰消費」であったりするワケで、これらの発生した「無駄」はどこに行くのか?というと、


誰かの利益=利権


に形を変えるワケです...。はい。

 つまり、「或る意図」を以って「無駄」が創出されているワケですが、その意図を隠すために「節約」という「美辞麗句」をスローガンに掲げ、マスコミも動員してのプロパガンダを連日繰り返すのでしょう。

 ところで「節約」という行為そのものについて考えるに、


人はなぜ節約をするのか?


といえば、本質は「生存本能」にあるのかも知れません。

 遠い過去、狩猟や農耕が直接生活の糧となっていた時代には、冬の到来や自然災害は命を脅かす脅威であり、尚且つ「明日のことはわからない」という不安から、「緊急時に備えて食糧、物資を備蓄」しておくという「生存本能」が働き、「節約」という行動習慣が生まれたものとワタシなりに推察します。

 したがって、「生き残る可能性」を高めるに「節約」は必然的に生まれ、それが特に?日本人のDNAには深く刻み込まれたのでしょう。その要因のひとつとして、本当は日本が「多民族国家」であり、それ故に過去何度も国内での大きな戦乱があったことが影響しているかとも思われますが、その話はまた別な機会に。

 「節約」は生存への本能に裏付けられているが故に、武田センセイが「節約」することの「無駄」を説いたところで、多くの人を「頭では納得」させることができても、心までは変えることのできない由縁でしょう。

 ワタシも「節約」という行為を、悪いことのように思えない人間のひとりですが、「節約」には、実は「悪い面」も潜んでいます。先に述べたように、「緊急事態に備える」というのが「節約」の本来の目的であり、「緊急事態」が起こらなかった場合どうなるか?というと、


富の蓄積がはじまる


ようになり、結果として「貧富の差」も生じます。

 行き過ぎた「節約」は社会に格差=貯蓄の差をもたらし、本来の趣旨である「緊急事態への備え」から離れ、ただただ、「富の蓄積」のみを求める欲望が一人歩きを始めます。

 それでも物資があまり無い時代であれば、必要以上の「富の蓄積」には大してメリットがありませんでしたが、文明が発達し市場に様々な物資、贅沢品が溢れるようになると「富の蓄積」への欲望が加速し、それは現在に到るまで変らないのでしょう。

 つまり、「節約」という意識と「贅沢」という意識は相反するようで実は表裏一体であり、「贅沢」をしたいという欲望を文明人として取り繕う?ために、「節約」という「マジメさ(道徳観念)」を装っているのではないか?というのがワタシの見解です...。

 では、「節約」に代わる新たな「道徳観念」はあるのか?ワタシは「充分」という観念?道徳?が、もっと必要とされているように思えます。


充ち(満ち)たるを知る。


 難しい話ではありません。人間の欲望は無限ですが、身体能力には限界があります。1億円を食事に費やしたところで、1度に食べられる料理の量には限度があります。1億円相当の価値(食材など)や極上の風味といったものも大切でしょうが、生きていくうえでの必須栄養素、カロリーとは別次元の話です。

 希少価値の食材とか最高の味付けとかは、「食」という本質的な行為からすればサイド・ストーリーであり、それらは直接的に胃袋を刺激するのではなく、「脳」を刺激することで満足感を与えるものです。

 何かに似ていると思いませんか?映画「MATRIX」の中で現れる「人間電池カプセル」と同じです。サイファーはネオと仲間をスミスに引き渡す代償として、自分を再度「カプセル」の中に戻してくれと頼みます。「覚醒」したことで知った辛い現実よりも、「脳」への刺激に過ぎないと判っていても、居心地のいい「バーチャル世界」を選んだワケです。



 それは取りも直さず「欲望の暴走」に身を委ねたワケであり、上手く行けばサイファーはスミスの取り計らいにより、「バーチャル世界」で好き放題に生きられたことでしょう。

 あ...、「節約」に話を戻します。というか、「節約」に対するワタシの見解は前述の通りであり、「本来の節約」に対する理解が広まれば自ずと、「充分」という感覚が体得できる社会が現れるのではないか?と。

 そして「充分」という感覚は、直接「自分の体」を基準に判断が可能で、「脳」への刺激とは別問題であり、さらに言うならばそういった「脳」への刺激が現代社会に蔓延しているのは、


経済発展


とも称される「欲望の暴走」を必要とする現在の金融システム、及び貨幣システムの存在を抜きには語れないワケです。

 そして往々にして、「節約」を口にしながら「無駄」を創出し、生じた「無駄」=「利権」を手にいれようと「マジメ」な顔をした「頭のイイ」人たちが、ワタシたちの「節約」に対する盲信を利用しているに過ぎないようにも思えます。

 ま、それも...「テキトー」な性格であるワタシの「ひがみ」かも知れませんが、2011年3月11日の東日本大震災以降、被災地の復興や、原発事故の事故処理を巡る「マジメ」な方々の言動、行動見るに、あながち只の「ひがみ」とも思えないワケです。 

 いずれにしろ特に原発事故の影響により、


人間にとって、何が最低限必要か?


ということを、ワタシたちは否応無く思い知らされる羽目になりました。何ものにも汚染されていない大地と海。そこから採れる安全な食品。そして清浄な空気と水。

 それらは「脳」に対する刺激ではなく、「自分の体」という本来の基準により知り得たワケで、現在の日本は、謂わば「MATRIX」における「人間電池カプセル」の蓋が開きかかった状態とも言えます。

 そこで辛い現実から目をそむけ、サイファーのように「人間電池カプセル」の中の「バーチャル世界」に身を委ねるのか?それとも「自分の体」を信じ、現実を受け止め(受け入れではなく)自分の力で道を切り開くのか?

 くどいようですが最後は...


個人革命


に帰結するしかないということを、これまでも、これからも、ワタシとしては繰り返し述べるのみです。




人間ナメんなよ!


でわっ!