2010年7月4日日曜日

官僚とは?

 その出自からして、基本的に官僚(役人)の類とは権力者(支配者)の手先であり、律令制の頃からこのシステムは変わっていない様に思うワケです。彼ら官僚(役人)には支配者側の論理が面々と受け継がれていて、庶民から税金を搾取することを至上命題としているワケです。

 しかしながら、官僚機構はそれ自体では力を持ちません。官僚機構が寄生する権力があってこその官僚なワケです。はい。

 そして、現在の日本の状況を見るに、官僚機構が寄生している権力者は誰か?と状況判断をしてみると、

アメリカ

が現在の日本の最高権力であることに気がつくでしょう。

 第二次大戦後、ずっと日本の最高権力者はアメリカだったワケです。そして官僚は素直に権力者に従っていたというワケです。

 話は変わりますが、「龍馬伝」の何回目かは忘れましたが龍馬が勝に、「この国はバラバラだ」と訴えると勝は、「バラバラだからこそ逆に侵略に強い」と云うようなことを答えたのですが、それはそれでごもっとも。国が一丸であったなら、他国に侵略される時もあっという間でしょう。しかし、官僚にとってみればややこしいワケです。イッタイ誰の下についたらいいのか?

 官僚といっても貴族社会の官僚と、武家社会の官僚では、また少し違うようにも思えます。明治維新において天皇を国の最高権力者にしたということは、明治政府は貴族社会の政治形態を復活させたのかもしれません。そして官僚も貴族政治の官僚機構となったのでしょう。

 してみると、明治時代に”伯爵”だの、”男爵”だのの”爵位”が制定されたのも、貴族による?もしくは
貴族趣味による明治政府体制の表れなのかも知れません。

 で、戦後日本を統治したGHQの目には当時の日本政府がどう見えたのか?
戦争中でさえ反目しあう「陸軍」と「海軍」の如く、まったく統制の取れていない政府に見えたのではないでしょうか?そこにつけこまれる要因があったとは考えられないでしょうか?

 中には白洲次郎のように毅然とGHQと渡り合った人物もいたのでしょうが、所詮一人や二人が頑張った所でどうこうなるワケもなく、当時の官僚はアメリカを彼らの主人として受け入れ、ま、それが現在まで続いていると云う事でしょうか?

 官僚の意識改革・・・支配者の手先ではなく、国民の公僕であるという意識が浸透しない限り、税金の無駄遣いは無くならないであろうし、無駄遣いして足りなくなった分を増税にて穴埋めしようという、国民を奴隷の如く扱う政策に終止符が打たれることは無いのでしょうな。


でわっ!