2010年10月23日土曜日

鹿男PART6

 藤原不比等とは何者なのか?調べ続けているのですが、明快な答えが得られません。確かな事は、ものすごく頭が良かったらしい・・・と。元々の名前は「史(ふひと)」らしいのですが、その人並み外れた能力に敬意を表して後年、「不比等(比べ等しき者ではない)」と称されたのでしょう。

 さて、その不比等ですが、ワタシが思うに彼の一番の業績は何と言っても、
「古事記」と「日本書紀」の編纂でしょう。現代においてなお、多くの歴史学者および、多くの歴史マニアがその内容に悩まされ続けているワケです。

 そんななかでワタシ思ったんですケド、何で「古事記」と「日本書紀」と二種類編纂したんですかね?つまり、二編の歴史書を編纂したワケで、意味が無いとは言いませんが、天皇家の正統性を書き記すのであれば、一編で十分だったんじゃないか?・・・と。逆に考えれば、
二編の歴史書を編纂する必要があったとも考えられます。

 そこで!気になる記事を見つけたのですが・・・

32.江戸川乱歩も驚いた!? シュメール語訳『古事記』の謎(1998.6.18)


上記のリンク先に拠れば、「古事記」はシュメール語で読む事も可能らしいです。はい。


<引用>

古事記より

「豊玉姫(トヨタマヒメ)の歌」

(原文)
阿・加・陀・麻・波・袁・佐・閉・比・迦・礼・杼・斯・良・多・麻・能・岐・美・何・余・曽・比・斯・多・布・斗・久・阿・理・祁・理

(読み)
あ・か・だ・ま・は・え・さ・え・ひ・か・れ・ど・し・ら・た・ま・の・き・み・か・よ・そ・お・し・た・ふ・と・く・あ・り・け・り

(文節1)
あかだまは/えさえひかれど/しらたまの/きみがよそおし/たふとくありけり
>赤玉は 緒さへ光れど 白玉の 君が装し 貴くありけり

(文節2)
アカ/ダマユ/サエ/ヒガ/レジ/シ/ラジ/ダマ/キン/ガ/ユ/グシ/タブ/トク/アルケル
>AKA DAM’U SUR GIG RAG SI LIG DAM KIN GI U GUSH TAB TUKU UR KIL

(シュメール語訳)
私の愛した夫よ、宮中の僧侶は(あなたが)病気だから祈祷をすると、布施をせがみます。私の大君よ、もっと度重ねて消息を聞かせて下さい。手紙を頂くのを、心待ちに致しております。


「火々出見命(ホホデミノミコト)の返歌」

(原文)
意・岐・都・登・理・加・毛・度・久・斯・麻・邇・和・賀・韋・泥・斯・伊・毛・波・和・須・礼・士・余・能・許・登・碁・登・邇

(読み)
お・き・つ・と・り・か・も・ど・く・し・ま・に・わ・が・ゐ・ね・し・い・も・は・わ・す・れ・じ・よ・の・こ・と・ご・と・に

(文節1)
おきつとり/かもどくしまに/わがゐねし/いもはわすれじ/よのことごに
>沖つ鳥 鴨著(ど)く島に 我が率寝(ゐね)し 妹(いも)は忘れじ 世の事毎に

(文節2)
オツキン/ドル/ガン/ドク/シム/ア/ガ/イネジア/イメ/ハ/ス/ラジ/ユ/ノクダ
>UK-KIN DUR GAN DUG SIM I GI EN-GIA IMME-LI GAZ SU-LUG IL’NI-KUDDA

(シュメール語訳)
水は皆清く、光り輝いている。私は酒浸りになっている。里帰りの人(豊玉姫)よ、思い返しなさい。(今は)憂さ晴らしに人民の税金を高くして、酒に歓楽を求めている。

</引用>


ま、この一例を以って判断は出来ませんので、全体を通して、どれだけの割合でシュメール語か隠されているかに拠るか?と。で、かなりの割合でシュメール語が隠されているならば、不比等はシュメール人、もしくはシュメール語に関する知識があったと見なせるでしょう。そしてシュメール語の歴史書?「古事記」の編纂の必要性も。

 では何故?不比等にシュメール語の知識があったのか・・・。さらに辿れば
中臣氏(シャーマン氏族)とはどういった氏族だったのか?そして天智天皇と天武天皇の確執と、藤原氏の相関関係とは?

 ・・・そういった諸々の史実が「日本書紀」、「古事記」からはスッポリと抜け落ちているワケですよ。まるで隠すかのように・・・。
 
 そこで参考までに、韓国・・・というか、朝鮮半島の古記、「桓檀古記」の中にシュメール人の記述があるのですが、「偽書」と見なしている韓国人学者も多く、資料としての価値は未だ未知数?かと。はい。


<引用>

『桓檀古記』中「三聖紀全 下巻」より

「『古記』に云ふ、

「波奈留山が下(もと)に桓仁氏の国有り。天海以東の地は亦、波奈留国と称す。其地広さ南北五万里、東西二万余里也。総言すれば桓国(韓国)也。分言すれば則(すなは)ち卑離国、養雲国、寇莫汗国、勾茶川国、一群国、虞婁国(一に畢那国と云ふ)、客賢汗国、勾牟額国、売勾余国(一に稷臼多国と云ふ)、斯納阿国、鮮稗国(一に琢韋国と称す。或ひは通古斯国と云ふ)、須密爾国、合はせて十二国也。天海は今、七世に伝へ、年を歴(へ)ること共に三千三百一年、或ひは六万三千一百十二年と云ふ。未だ孰(いず)れか是なるを知らず」と。」(原漢文、以下略)

この中に登場する「須密爾国」(スミル)こそが、シュメール(スメル Sumer)の事なのです。しかし、これでも、「シュメール人が日本に移住した等と信じられるか!?」とおっしゃる方もおありでしょう。そんな方の為に、更に証拠をお出ししましょう。それは「国名」です。何と古代日本とシュメールの国名は同じだったのです。


古代日本とシュメールの国名は同じ?

古代日本 葦原之中津国
(アシハラノナカツクニ)


シュメール Ki-En-Gi-Ra
(キ・エンギ 「葦原之中津国」の意味)


どうでしょう? 両者の国名は同じ意味を持っていたのです。

一般に「シュメール」と呼ばれていますが、シュメール人自身は自分達の国を「キ・エンギ」(葦原之中津国)と呼んでいました。「シュメール」と言うのは、周辺民族側の呼び方で、「ニッポン」を「ジャパン」等と言うのと同じな訳です。

</引用>


 兎に角、日本の歴史を「神話」の世界から引きずり出さない限り、「真の日本の姿」が見えてきません。そんな大昔の事を調べてナンのメリットがあるんだ?と思う人が大多数でしょうが、ワタシとしては、これから「日本」と云う国がどういう「国造り」をするか、未来に向けて重要な示唆を含んでいる問題のように感じるワケです。

 人間だって真っ暗闇の中では上手く歩く事が出来ないように、自分の立ち位置(歴史・アイデンティティー)があやふやな「国」も、明確な未来、進むべき道が見えてこないと思うのです。それが過去、どんな歴史であろうと・・・。

 したがって歴史学者なる人たちは、洋の東西を問わず「国」の将来、未来に対する責任を負っているという自覚が必要なのは、自ずと明らかかと。勝者側から見た歴史だけでなく、敗者側からの視点も無ければ、「歴史」と云う「事件の積み重ね」に、冷静な判断を下せないように思う次第です。

 また、歴史学者じゃなくても、誰もがネットを使って、最新の歴史資料に目を通す事が出来ます。その点で、前回は「虚構世界」とネットの事を揶揄しましたが、ネットの内部だけの世界に留まらず、現実の外部世界に働きかけるキッカケとしてネット情報を利用するのは・・・アリかと。

三武一宗の法難
会昌の廃仏


でわっ!