2013年1月23日水曜日

アラブとイスラム


 アラブとイスラムについては何度か言及しましたが、基本的には「世俗主義」と「原理主義」の軋轢が続いているものと、ワタシとしては考えています。

 今回、日揮のアルジェリア駐在社員の方々が「テロ」に巻き込まれ、命を落とされたことは誠に痛ましく、同じく海外在住の身として、心からお悔やみを申し上げます。

 と、同時に、強硬な救出作戦?を敢行したアルジェリア(フランス)政府に対して、憤りを覚える次第です。パリは「文化の都」と呼ばれるそうですが、聞いて呆れますなw。え?今回フランス政府が採った行動のどこに「文化」があるのか?「武力」に頼るだけの「蛮族」と変わらないワケですよ。

 服だの、バッグだの、香水だの、料理だの、etc。どれもこれも「フランス文化」のレベルの高さとして語られるものですが、そうしたもの全てが「植民地」の犠牲を糧にして成り立っているのであれば、「フランス文化」とやらには犠牲者たちの怨みが染み付いているだろうし、「血の匂い」すら漂って来るようで顔を背けたくなります。

 ま、「フランス文化」を全否定するワケではありませんが、もうひとつの文化・・・革命にしても、革命側が多くの王族、貴族をギロチン台送りにしたことと、その後の革命政権内部での内部抗争の歴史的事実からすれば、フランス人は本来「野蛮」な民族性を持っているのかも知れません。

 フランス人が自国の「文化的レベル」を誇りにしているのであれば、今回の政府の判断に対して「抗議行動」のひとつも見られてイイように思えるワケですが、今のところ政府の判断に同調しているようなので、「フランス文化」のレベルも早晩、世界中から疑問視されることでしょうなw。

 もちろん、事はフランスに限った話ではなく、イギリスもフランスに同調しているワケですから、当然イギリスの「文化的レベル」の疑われますが、ま、フランスの方が「自国の文化」というものに、より自信を持っているように見えるので、余計にその綻びが目に付くワケです。

 グローバル化が進むと世界中の政治体制も似てくること示唆しましたが、まさにアメリカ流・・・と言うか、グローバル主義の政治・経済の流れが、今回のアルジェリアにおけるアルジェリア(フランス)の強行作戦や、自民党の「憲法改正」の根低に感じられ、したがってそうしたグローバリズムに反旗を翻す、世界的な「人間回帰」も反作用として生じるワケですよ。

 つまり、グローバリズムによって世界中の政治体制が似てくると、世界中の「善良な市民」の連帯も加速する・・・と、いうワケです。

 その意味でも、日本における「反原発」であったり、軍国主義に向かうであろう「憲法改正」であったり、在日米軍による「戦後占領」の継続であったり、「TPP」などによる大企業優先の経済政策であったり、「不正選挙」による不適切な政治家の台頭であったり、もうね?国家の主権が国民にあることを無視した状態が続いていることに対する反発、および目に見える抗議は、


必ず世界に伝播する!


・・・と、確信している次第です。はい。

 政治・経済のグローバリズムが進めば進むほど、人間のグローバリズムも進む・・・というか、人種・民族を超えた人間の「要素」も際立ってくるワケですよ。なぜならグローバリズムは、個人の幸福という、一番根源的な権利さえ侵害しようとするものだからです。

 で、話をアラブとイスラムに戻しますが、先に述べたようにイスラム教には・・・というか、あらゆる宗教には「世俗派」と「原理派」が存在し、ワタシが「汎アラブ主義」を支持するのは、それが「世俗派」の一形態であるからで、逆に言えば「原理派」とは、厳格な規律?によって統一を図るという「宗教的グローバリズム」に思えるからです。

 してみると、同じグローバリズム同士、利害が一致する部分があるのかも知れませんなw。「イスラム原理主義」と呼ばれる勢力と、「欧米グローバリズム」は。

 大きく分けてスンニ派、シーア派というイスラム教の対立はあるのでしょうが、両派が総力を挙げて抗争しているワケではありません。一部の原理主義的過激派が先鋭的な抗争を繰り返していて、その他の殆どの信者は平穏に日々を暮らすことを望んでおり、信仰に従って生活しているワケです。

 例えばエジプトでは、イスラム同胞団がムバラク政権を倒しましたが、「原理主義的」なイスラム同胞団をすべての人が受け入れているワケではありません。ムルシー現大統領の選出にしても、約半数の国民はイスラム同胞団出身の同大統領を支持していません。

 つまり、「イスラム原理主義」を押さえつけてきたことが、チュニジアから始まった「フラワー革命」とやらの引き金になったという見方だけでは、今回のアルジェリアにおける痛ましい事件の発生原因としては不十分であるようにワタシには見えるワケです。

 アラブとイスラム。そして宗教的な「世俗派」と「原理派」の存在。この入り組んだ状況を解きほぐすのは並大抵ではありませんし、まして「異教徒」である日本人には、その答えを見つけ出すことは出来ないでしょう。アラブの人たち自らがその答えを求め、「平和なアラブ」の実現に尽力するしかないのです。

 ワタシたち日本人としては、「同じ人間として」、戦火で家族を失った悲しみや、日々の食料にも事欠く難民キャンプでの暮らしや、子供の将来を案じる親の気持ちや、故郷を失ったことへの絶望感などに「共感」できるハズです。特に、東日本大震災とそれに続く原発事故による被災者の方々の身の上に重ねれば・・・。

 同じような苦しみを抱えている人たちが遥か海の向こうにもいて、「お互い辛いけど、がんばろうね。」・・・という世界的な連帯感こそが、グローバリズムを押し止める最大の力であり、その、「がんばっている姿勢」を世界に示し、同じようにがんばっている世界中の人たちを勇気付ける上でも、日本における抗議運動が一過性のものでなく、「勝利の日」まで続けられることが大切なワケですよ。

 必ず世界は、日本国憲法・・・というか、人類の普遍的原理=国家の主権者は国民である。・・・ということに目覚める時が来るでしょうし、この理念を掲げる日本人であればこそ、世界の・・・いやさ、新時代の魁となるくらいの自覚が欲しいものです。





人間ナメんなよ!


でわっ!