2013年1月9日水曜日

ドイツはドイツ。日本は日本。

           
 IWJ(Independent Web Journal)の非会員向け 記事一覧ページを覗いたら、「2013/01/08 【大阪】増山麗奈ドイツ報告!脱原発×再生可能エネルギー」・・・という記事があり、「再生可能エネルギー」という文字についつい反応してしまいました。

 実はワタシ、「再生可能エネルギー」・・・?エネルギーの再生なんて出来んの?・・・と、常々思っていたもので、これを機会に「再生可能エネルギー」とやらを再勉強してみようと思い、まずはいつもお世話になっている「Wiki」にいってみると・・・。


再生可能エネルギー


 言葉の定義としては、どうも曖昧なようですな。

「再生可能エネルギーには統一的な定義がなく主要な利用方法を除くと曖昧である。「RENEWABLE ENERGY」の翻訳は、「絶えず資源が補充されて枯渇することのないエネルギー」、「利用する以上の速度で自然に再生するエネルギー」という意味であるが、実際には自然エネルギー、新エネルギーなどと混同されて使われることが多い。一般には、太陽光、太陽熱、水力、風力、地熱、波力、温度差、バイオマスなどが挙げられるが、具体的な定義や、政策的な定義や法規、統計にどのようなものを含めるかについては、国際機関、国、組織、法規等による差異が見られる。例えば、欧州連合におけるヒートポンプによる熱利用は性能次第で含めるかどうか分けている。水力発電のうち大型のダムを用いるものについては、環境破壊の少ない中小規模の水力発電と区別され、統計上も別扱いされることがある。なお、化石燃料は定義を満たさない。」

 だったら「自然エネルギー」でいいじゃん・・・orz。

 何で回りくどい・・・というか、ワザワザ分かりにくい表現に代えるのか理由が分かりません。原語?である「Renewable Energy」にしてもです。「Natural Energy」でいいじゃん・・・と。

 「再生可能」なんて、いかにも人の手で作り出すかのような印象を与えますが、風にしても太陽光にしても地熱にしても波にしても、人間の手の及ばない変動をします。つまり人間にはコントロールできないワケです。人間はただ、「その一部」を利用させて貰うだけなのです。

 この事実のどこを以って、「再生可能エネルギー」だなんてたいそうな名前がつけられるのか、最初に命名した人に聞いてみたいものです。ま、恐らくは政治的な意図があってのことだとは思いますが・・・。

 で、「自然エネルギー」で認識にが統一されれば、ググッと、心のハードルが下がるワケですよ。「再生可能エネルギー」だなんて仰々しい名前だと、「ん?何か最新式の科学だべ?」・・・と、勘違いするお爺ちゃんも、「自然エネルギー」と聞けば、「そういやウチの村にも昔あったアレだべ?水車発電だべ?」・・・と、身近な話題になるワケですよ。

 ここがポイントで、エネルギー=電気に対して人事でなく、自分の問題として考える切欠が今の日本には必要なワケです。そして、先の「お爺ちゃん」の例ではありませんが、現在休眠している「小規模地域発電設備」の存在を思い出し、設備の復旧による「地産地消」の電力網の構築にだって繋がるワケです。また、それぞれの地域の特性を活用した「自然エネルギー」の活用にも拍車がかかるワケですよ。

 それをまあ・・・「再生可能エネルギー」だなんて・・・まるで「暗号」のようにして、たかが「自然利用」をさも高尚なことのように詭弁をふるうのは止めにしません?

 長すぎる前振りはこのくらいにして本題ですが、ま、ビデオを拝見してたいへん勉強になりました。


■出演 増山麗奈氏(画家・ジャーナリスト)、古村キャスター

■詳細 http://renaart.exblog.jp/19091369/



Video streaming by Ustream

2/2(16:43~ 1時間12分)


 親しみを込めて「麗奈さん」と呼ばせていただきますが、麗奈さんはブログも書いておられます。


増山麗奈の革命鍋!

1月8日新春 ドイツ報告・再生可能エネルギーについて.増山麗奈ドイツ報告!脱原発×再生可能エネルギー
祝☆新年ドイツ報告会 関西も目指せ!エネルギー自給100%



 麗奈さんのドイツリポート、たいへん参考になりました・・・というか、東西ドイツ統一の際に、ドイツの政界が「ガラガラ、ポン!」されていたという、日本ではありえない状況が発生していた事を知り、それ故に?ドイツでは市民運動の力が強いのだと納得しました。つまり、東西ドイツ統一と市民革命が同時に起った・・・と。

 したがって、市民運動の下地が違うワケですね?ドイツと日本とでは。日本の方がより厳しい状況にあることは言うまでもありません。自民党の「憲法改正」によって、日本の市民運動は言論の自由を奪われ、活動は弾圧されてしまうかも知れませんなw。

 ソレはさておき、ドイツの風力発電関係者もこれからは「ガス」じゃないか?・・・と、漏らしていることからも、「天然ガス」による火力発電にシフトを切るのは、日本にとって賢明な選択であると言えます。

 どう足掻いても「原子力発電」に未来はありません。「核兵器製造」以外には・・・。

 安全性ばかりが取り沙汰される「原発再稼動」ですが、発電後に残る「核のゴミ」をどうするかという視点は、TVのコメンテーター、知識人らの口からは一切語られません。また語られたとしても、「安全神話」を繰り返すだけのカルト教団信者と、何ら変わりません。見ていて気持ち悪くなります。


この国はダイジョウブなのか?


・・・と。

 で、ビデオの終わり近くで「廣瀬隆」氏の名が出て、ガスコンバインド方式の火力発電がチラと話題にのぼりましたが、麗奈さんは、ガスコンバインド火力発電に関しては「不勉強」であるとして、「自然エネルギー」を推していましたが、いくら日本がドイツ以上に「自然エネルギー」が豊富であるといっても、ソレはそれ、コレはこれ。



ガス・コンバインドサイクル発電 :広瀬隆

 「自然エネルギー」が豊富であるということは、裏を返せば環境条件が厳しいっつー事なんです。日本はドイツと違い、平野が少ないんです。耕作面積も限られているんです。そんな貴重な限られた面積に、どデカイ太陽光発電パネルを敷き詰めたり、大型風車をボコボコ建設するのが土地の有効利用になるのか?・・・という疑問があるワケですよ。ワタシには。

 しかも、現状ではそうした大型発電をして利益を得るのは「大企業」だけなワケですよ。一般庶民は、電力会社が「売電企業」に支払う「買い取り価格」を上乗せした電気代を支払わされるワケですよ?それでも「再生可能エネルギー」は素晴らしい!・・・と喜べますか?え?

 「売電」による利益が無ければ「脱原発」は進まない・・・とは、麗奈さんの弁ですが、ワタシは人はそこまで愚かではないと思うワケです。なにしろ、「命はお金では買えない」・・・ワケですから。

 確かに、「脱原発」に向けた具体的な計画性はあった方がイイでしょう。しかしその計画の「大前提」としてあるのは、「未来」がこのまま存在することなワケですよね?、未来に続く健康であったり、状況が今のままであることを前提に計画を立てるのはバカげています。

 福島第一原発の事故は今もって収束していません。日々、放射性物質が降り積もり環境の中で、「具体性」が無いから「脱原発」は後回しにしましょ・・・というのは、物事の順番を履き違えているとしか言えません。逆でしょ?

 何より具体的なのは自分や家族の健康であり、放射性物質による環境汚染です。「未来を確保する」ためには、今すぐ全原発は「廃炉」にするしかなく、未来において「核廃棄物」だとか「核反応」を人間が100%コントロールできるようになった暁に、改めて原子力発電に取り組めばイイでしょ?


とにかく、廃炉。

あしたから、廃炉。

いや、きょうから、廃炉。

いやいや、いまから、廃炉。

すぐに、廃炉。

間髪いれずに、廃炉。

経験なんか要らん。

経験は浅くても心はベテラン。

廃炉。

廃炉イコール真の勝ち組のことや。


・・・と、兵庫のおじさんも申しておりま・・・せんが、心の中ではきっと。

 さて、日本は「自然エネルギー」が豊かなのだから、ドイツ以上に可能性がある・・・と、ドイツ人に言われても、「はい、そうですか。」・・・と、納得するほど素直じゃないワケですよ。ワタシわ。筋金入り?のひねくれ者でして。

 ま、ワタシから言わせてもらえば、自然に対する接し方が違うワケですよ。西洋と東洋では。基本、日本人に限って言えば、自然は畏怖するものであり、信仰の対象でもあるワケです。多分?明治維新まではそうした精神性をみんなが持っていたのでしょうが、明治時代に輸入された西洋思想によって、そうした自然観も若干変化したワケです。

 西洋的な、「自然は開拓するもの」であり、「自然は支配するもの」という思想の行き先が、最近良く耳にする「田中正造」翁が係わった「足尾鉱毒事件」などに表れたのだと思えるのです。一方、そうした西洋的自然観とは相容れない、「南方熊楠」翁のような怪傑も現れる時代だったワケです。

 で、「自然エネルギー」を否定しているワケではありませんが、そこに「自然の生態系」は含まれているのか?・・・と、問いたいワケです。

 日本人が自然を畏怖していたのは、「生かされている」という謙虚な心があったからです。そしてそれは現代でも何ら変わりません。現代人にしても「自然に生かされている」に過ぎないのです。自然が「石油」を与えてくれるから文化的な生活を営むことが出来るワケで、ワタシたちは石油の「使い方」を発見しただけであり、この世に石油が無かったら、全く違う世界になっています。

 その他の天然資源にしても全く同様であり、ワタシたちは自然に生かされている身なのです。そのことを昔の日本人は良く知っていたからこそ、自然界に住まわせて貰っている証として「里山」を築き、そこに祠や神社を置いて「自然界」と「人間界」の間の「結界」とし、結界を境に「自然と共棲」する生活スタイルを確立したワケです。

 ま、「日本人」であればこれくらいは一般常識として知っておいて欲しいものですが、国を任された者であれば尚のこと、日本人の精神基盤について深く理解していないと、明治政府のように薄っぺらな西洋崇拝に終始するだけでしょうし、そういった人間には何故?天皇陛下が田植えの儀式を行われるのかさえ理解できないでしょうなw。


愛国心?


・・・あんたら、本当に持ってんの?(誰とは言いませんが・・・)






人間ナメんなよ!


でわっ!