2013年1月1日火曜日

嘘が現実で、現実は嘘。




4.25櫻井よし子氏記者会見
「日本国憲法について」


櫻井よしこ氏の憲法論【書き起こし(1)】

<櫻井談:1>

 本日は自由報道協会にお招き頂き、ありがとうございます。今日、私に与えられたテーマは、憲法です。日本国憲法の改正についてです。主に文化と安全保障の面からお話ししたいと思います。憲法というのはどの国にとっても、その国の価値観の根幹をなすものです。しかし、日本国憲法はそのような形になっておりません。日本が敗戦して占領下にあった時に、アメリカに作られたこの憲法の価値観は、私たちの文化に根ざしたものではありません。

</櫻井談:1>


 改憲論者の憲法改正の理由としてよく言われるのが、現行日本国憲法は・・・


日本文化にそぐわない


・・・というものです。その理由は、「アメリカに押し付けられたものだから」・・・ですが、ワタシが考えるに「文化と憲法」を同一視して語ること自体・・・


チョット違うんじゃないの?


・・・と、言いたいワケです。

 その心は、「異文化」が交わりあうことは非常に困難だからで、櫻井女史や他の改憲論客の言う様に「現実の世界」とやらに目を向けるならば、今世界中で起きている紛争のほとんどは「民族」の対立、即ち「文化」の対立とも言えるからです。

 つまり、「文化」を憲法の根幹に据えるなんて、「異文化」との軋轢を自ら招くようなもの・・・紛争の入れ食い状態になるワケで、であればこその、「好戦的な国家」への布石として憲法9条の改変が外せないのは、「自明の理」・・・となるワケでしょうが、もう・・・


アwwwホwwwかwww。


 ちゃうねん、ちゃうねん。もひとつちゃうねん。紛争回避しよう思うんなら、「文化」なんて見栄は脇に置いといて、腹を割って話し合うしかないねん・・・と。

 ザックリ言うと、世界中の国々が求めているものは「エネルギー」と「食い物」なワケですよ。


「エネルギー分けてくれ」

「食い物分けてくれ」


・・・それだけの話なワケです。つまり、人間が生きていく上での生々しい交渉であり、「文化」などというチャラチャラしたものは「お呼びじゃない」・・・と。

 では交渉の際に「武器」となる「交渉力」とは何か?・・・といえば、「文化」の垣根を越えた「普遍的理念」であり、それは何か?・・・と、問われれば、


「同じ人間だろ?」


・・・という「共通認識」しか残らないだろうというのが、ワタシの見解です。

 したがって、「人類普遍の原理」に基づく現行日本国憲法の正当性が、図らずも証明されるワケです。


<櫻井談:2>

 たとえば、去年の3月11日、あの大震災が起きました。被災地の日本人の姿は、本当に多くの人たちに感動を与えました。なぜ感動を与えたかというと、あの大地震・大津波ですべてを失って、愛する家族さえも失った究極の悲劇の中で、被災地の人たちは誰一人として自分勝手な行動をしなかったからです。本当に僅かな食べ物しかなく、寒い中、着る物もの食べ物も無い中で、みんな一生懸命に助けあいました。その姿を見て、日本に普段はあまり友好的でない国のメディアでさえも、「日本人は立派だ」と論評しました。

 その姿は私たち日本国民にも、私たちはこういう人だったんだ、ということを見せてくれたと思います。日本人ってなんて素敵な人たちだったのだろうと。こんなに立派なんだということを思い出させてくれたのが、3.11の一つの側面でした。

</櫻井談:2>

 
 これもまた何かと「美談」として語られますが、生きるか死ぬかの切羽詰った状況の中で、「自分勝手」に振舞うヴァカはまずいないでしょう。そんなことをすれば自分の「生存確率」が下がるだけです。生き残るためには「助け合うしかない」という、そうした極限状態に置かれた被災者の状況を、ナニ勝手に「美談」に脚色してしまうんですかね?


同情するなら金をくれ!


・・・的な状況なワケでしょ?ジッサイ。こうした「美談」大好き仲間って、他人の不幸を利用しているようで、うさん臭w。


<櫻井談:3>

 じゃあ日本国憲法に書かれた、日本の価値観はどのようになっているでしょうか?

 たとえば第三章を見てみます。この第三章は二章の続きです。当然のことですが。第二章はあの憲法9条です。第三章は10条から始まります。日本国憲法の中で一番大きな章なのです。

 それは日本国憲法で日本国民の権利及び義務を定めた章です。そこを読んでみるとすごく変な気持ちになります。ここに書かれていることってほんとに日本人なのかなって、そう思わざるを得ません。読んでみますと、"あなたにはこういう権利があります、あなたにはこういう自由があります"ということがたくさん書かれています。その権利を行使しなさい、自由を享受しなさいという意味だと思います。でも私たちは大人になれば、権利と自由の裏側には責任と義務が無ければならないと知っています。

 でも日本国憲法第三章には、責任と義務はほとんど出てきません。私はそれぞれの言葉がどれくらいの頻度で出てくるか、「お正月」の「正」の字を書きながら調べました。権利が16回出てきます。自由が9回出てきます。責任と義務が3回ずつ出てきます。それぞれの言葉の頻度から見て、どういった価値観が一番重視されているかがよくわかります。権利や自由はもちろん大事ですけれど、そうしたものばかりを主張するのは私たち日本人の価値観ではなかったのです。でもそう書かれてある。震災時に多くの人たちが見せて下さった姿は、憲法第三章に書かれている価値観とは正反対のものでした。東北の被災者の人たち。さっき申し上げましたけれど、自分のことよりも他者のこと家族のこと、とっても思いやりました。一生懸命助けようとしました。

 本来ならばそうした価値観が、国の憲法に吹きこまれていなければならないと思います。これが憲法改正が必要な第一の理由です。

<櫻井談:3>


 あのw、「単語」の数を数えてナン意味が?重要なのはその「単語」が使われている文脈ですよね?「単語」を抜き出しただけで何が判断できるのか、櫻井女史に聞いてみたいものです。つうか、そんなことを自慢げに語っている時点で、櫻井女史の知的レベルに「?」を抱かずにはいられません。

 で、ちなみに第三章「国民の権利および義務」には、「公共の福祉」という「単語」がみられますが、自民党の改変案では、これが「公共の利益」と書き改められていて、ワタシの感覚からすると、「利益」と「福祉」とは相対する関係なワケですよ。「福祉」と「金儲け」とは別な次元の話なワケですよね?

 現行憲法では個人の自由、権利は「公共の福祉」を基準に保障されていますが、これが「公共の利益」に書き換えられると、「反原発運動」は電力会社の利益=公共の利益に反するとして弾圧されるでしょうなあ。

 「公共の福祉」であれば、「反原発運動」は原発事故や放射性廃棄物から国民の健康を守る・・・という、「公共の福祉」に適った運動であると現行憲法の「お墨付き」も得られるワケですよ。

 現行の憲法にしても、「無制限」に個人の自由、権利を許容しているワケではありません。ワタシたちは「公共の福祉」を旨として行動しなければならないワケですが、「公共の福祉」とは、みんなが生活しやすい環境の整備を意味し、そこに「利益」が発生する必然性はないのです。謂わば、


無償の愛


・・・にも等しいものです。然るに「公共の利益」となると、グッと幅が狭まります。

 簡単なことですよね?「無限の利益」なんてものは存在せず、必ず「利益を享受するグループ」が限定されます。つまり、自民党案の言う「公共の利益」の「公共」とは、この「限定されたグループ」のことなのか?・・・という話になるワケですよ。


ふざけるな!


・・・と、言いたいですなあ。


<櫻井談:4>
 
 第二の理由は安全保障です。第二章憲法9条。この憲法9条とそれから前文。この2つを合わせて見て、我が国の今の憲法の下で、日本国を守ることができるのかしら。そう思って読めば読むほど、守ることなんてできないと思います。あの前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と書かれています。

 中国や、今、中東で起きている民主化運動を見てみましょう。シリアのアサド政権。国連の調査ですでに9,000人の国民を軍隊が出動し殺したのです。国際社会はこのアサド政権に非難警告決議をしようと、昨年11月と今年2月、安全保障理事会で討議しました。でも出来ませんでした。中国とロシアが拒否権を発動したからです。中国はまた、北朝鮮の金正恩政権を擁護しています。中国は、イランという核開発の意図が明らかな国に対してもそれを守っています。

 つまり私が申し上げたいのは、国際社会は、我が国の憲法前文に書かれているように、"平和を愛する祖国"、もしくは"公正と信義"、そうしたものだけで成り立っているわけではない。国際社会ですから、私たちと同じ価値観の国ももちろんあります。一生懸命に平和と民主主義と人権を法律によって国を統治するという意味で、守ろうとする国々はたくさんあります。でもそうでない国もある。

</櫻井談:4>

 アメリカにおける大衆心理操作の歴史的事実からすれば、現実と思っている世界こそが嘘なのだ・・・とすら思えます。情報操作、心理操作によって創り上げられた「現実世界」とは、世界中の支配層にとって都合のイイ見せかけの世界像であり、M.L.キング牧師の言葉・・・


「だがわたしは正直に言って、現代、われわれの社会のいくつかの点に「不適応」な自分を誇りに思う。良き社会実現以前の「社会不適応者」とは、良き意志を持った人々なのだから。」


・・・が示すように、この世界が不正に満ちているからといって不正に適合するのは、より良き社会を望む全ての人たちにとっては「後退」なのだということです。

 ま、櫻井女史とキング牧師を並べるのもチャンチャラおかしいワケですが、ワタシはキング牧師の言葉に与しますわ。そしてこれからの国際社会において大切なのは、「国」を見ることではなく「人」を見ることであり、日本の反核運動にドイツ、フランスの市民が呼応してくれているように、「国家」という枠を越えての交流の時代に入ったということです。

 そして、「民間交流の時代」であればこそ、「人間存在の普遍性」の共通認識による相互理解の重要瀬は増し、現行日本国憲法の意義もより多くの人に再認識されるでしょう。


<櫻井談:5>

 中国、ロシア、北朝鮮、イラン、シリアは典型的な事例です。こうした国々がすぐ近くにいる時に、中国は過去24年間、異常な軍拡を続けて、我が国を安全保障に脅威を与えています。脅威があれば国の責任として、国民と国土を守るのは当たり前です。でも今の憲法ではそれがなかなか出来ません。私は今国土領海のことを言いましたが、今の9条の条文では、コンピュータによるハッキングも守ることは出来ません。

 昨年、我が国の衆議院・参議院全員のIDとパスワードが盗まれていたことがわかりました。三菱重工や川崎重工などの日本の軍事産業の中枢もハッキングされていたことがわかりました。でも我が国は専守防衛ですから、こうしたことに対して予防的な攻撃も出来ません。自衛隊はこの予防攻撃に関われません。アメリカだけでなく、ロシアも中国も韓国もマレーシアもシンガポールもみんなこうしたサイバー攻撃に対しては、いわゆる一定以上のものに対しては、戦争行為と見なすとして軍隊が守ります。

 つまり、今の日本の憲法ではサイバー攻撃に対しても、我が国を守ることが出来ないということが明らかです。こういう事例から憲法は、私たちが次の世代のためにも責任を持って論議して変えていかないといけない。そういうふうに思って私は今日ここに、憲法改正をみんな一緒に考えましょうと、参りました。

 私は、日本の基本的なあり方を誰も変えようとしない。これはおかしいのではないかと思い、憲法改正を一つの目標に掲げて、5年前に「国家基本問題研究所」という小さなシンクタンクを作りました。興味のある方は是非ホームページをご覧になって、もし共鳴してくだされば、一緒に憲法を考えるということをやってくださればと思います。どうもありがとうございました。

</櫻井談:5>


 あのwww、いくらなんでも「サイバーテロ」には立ち向かえるでしょ?自衛隊も。9条で放棄しているのは、一応、「武力」だけなんだし・・・。ていうか、ITの専門家であれば軍人である必要もないワケで、文部科学省の内部に「カウンター・サイバーテロ・ユニット」略称、「C.S.U.」・・・なんて立ち上げるのも、「24」みたいでイイかも?


 あ、ご挨拶が遅れました。


新年あけましておめでとうございます。




謹賀新年!


でわっ!