2009年11月28日土曜日

権力への欲望 10

今月最後の?エントリーとなる「お題」は、こちら、

飯山一郎のLittleHP

で、

◆2009/11/27(金) 無礼な日南市市議をダシにして…

とゆう記事を読んで、ワタシが感じたことを。


<抜粋>

私は,この市議サン達に悪臭を解消する方法を,悪臭ゼロの養豚場で説明した.
ほぼ全員が私の理論を納得したようなので,「質問はありませんか?」と訊いた.
2名の市議から質問があった.
「悪臭が解消した過程で,臭気測定などのデータは取ったか?」
私は,
「私の学問はデータを重視する理論ではありません.実践科学です.」
とか…,
「鉄の錆び方やクモの巣などに,臭気が解消していった経過が残っています.」
と私の方法論を説明していると,2名の市議が,吐き捨てるように言った.
「話にならない!」 「うん,話にならない!」
“見学”に来た者にしては,まことに無礼な物言いである.

私は短気である.一刻者である.喧嘩は成り行きで即買う.
「そうかい! 俺もアンタらとは話をしたくない! 帰るぞ!」
と捨てゼリフを残し,サッサとその場を離れたのである.

私が抜けたので,日南市は,まだまだ苦労するだろう.
ニセのグルンバが登場したり,サギ師まがいの悪徳業者が暗躍するからだ.
予算や値段も,私の知らないところで決まり,利権が生れているという.
グルンバの電力は法外な太陽光発電だという.
こういう情報が入っていたので,私は無礼な市議をダシにして,抜けたのだ.

日南市は,今後も悪臭をダシに悪徳業者にカネ(税金)をムシられるだろう.
可哀想なのは,悪臭に悩む住民である.

</抜粋>


ワタシは気が長い(気が小さい)方なんで、こうスパッと啖呵をきれる人は
羨ましい限りですが、ま、それはさて置き・・・

「大いなる力には、大いなる責任が伴う。」

と言ったのはスパイダーマンのおじいちゃん、「ベン」さんでしたね。
もしベンじいちゃんが、飯山大先生の立場にあったとしたら、
同じように「啖呵」をきったでしょうかねぇ?
ワタシが勝手に想像するに、ベンじいちゃんだったら

「何をほざいておる。(笑)この小僧っ子がwww。」

と、腹の中で思いつつも、何度も視察に来てくれた市職員の熱意に
何とか応えてあげようとするんじゃないですかね?
市職員は「グルンパ」一縷の望みを託したワケでしょ?
その意気に感じ入るのが本物のサムライじゃあないの?
よしんば、「グルンパ」なる設備に利権が絡んでこようとも、

困っている人たちを先ず助けるのが
本物のサムライじゃあないの?

市議ったってアレでしょ?公務員でしょ?
公僕でしょ?国民の僕(しもべ)でしょ?
そんな輩がエラそうな事を言うのなら、

窘めてやるのが国民の務めとゆうもの。責任とゆうもの。
だって、国民が自分で選んだんだから。

エラそうな態度=権力をかさに着る連中に対して、
同じように自分の「権力を行使」して対抗するのは、結局、

同じ穴のムジナ

ドッチも自分の「権力」ばかりが大切で、

本当に困っている人たちは蚊帳の外なんじゃなの?

可哀想なのは,悪臭に悩む住民である.

はぁ?その心は?

アホな議員を選んだ自分たちの責任でしょ。

とゆう事ですか?自分にはもう関係有りませんと。

「正義」とゆうか、「正しい事」を実践しようとするのは結構疲れます。
いろんな利権やら何やらが複雑に入り組んでいる実社会では。
これがゲームの世界だったらね、気に入らなかったらリセットとかね?

でもワタシたちは人の集まり、「社会」で生きる事を選んだワケで、
棲み辛い世の中かも知れませんが、それでもこの世界を少しでも
より良くして行こうとゆう、「名も無き人たち」の努力があったから
いま、何とかこの日本が、この世界が存在する様に思うワケです。

ワタシごときが飯山大先生に四の五の言える立場ではないので
「西郷南洲翁」の言葉をもって、飯山大先生にご自分の、
そして日本の未来、 世界の未来に対して、御身の処し方を
ご再考願えれば幸いかと。


「西郷南洲翁遺訓」

第三十七ヶ条

未来永劫までも、信じて心から従う事が出来るのは、ただ一つの真心だけである。

真心なくして、世の中の人から誉められるのは偶然の幸運に過ぎない。

真心が深ければ、例え当時知る人が無くても、後の世に必ず心の友が出来るものである。


・・・僭越ながら。


でわっ!