2010年12月12日日曜日

新しい秩序は混乱の中から産まれるんではなかろうか?

 いま世の中が、上から下まであらゆる局面で混乱しているのは、みなさんも薄々感じているのではなかろうかと。しかし、だからといって自分に何ができるのか?いままでの旧システムの恩恵を受けている人たちにすれば、これからどうすればいいのか、不安な心境になるのもご尤もです。はい。

 その不安を拭い去るために、外敵を妄想して好戦的になったり、逆に、ただ只、保身に走ったり、はたまた、現状から逃避し自分の世界に閉じ篭ったり、ワケの分からない事を喚き散らしたり、その対応振りは人様々です。

 で、ワタシ思うに、新しい秩序が産まれようとしている時だからこそ、世界は混沌の中にあると思うのです。これがね?単なる従来型秩序のバージョンアップ程度であれば・・・つまり新秩序のように見えて実はその裏で、従来の秩序・金融体制を造ったコーディネーター達の、いわばモデルチェンジの様なモノであれば、まぁ、割合いすんなりと?新秩序、「ニュー・ワールド・オーダー」への切り替えが行われそうに思えるのですが、どうも違いそうな感じを受けるワケです。

 彼のウィキ・リークスの創始者アサンジュ氏と、ウィキ・リークに対する司法的?な措置への反発として、世界中にミラー・サイトが400近くもゲリラ的に立上げられたり、資金源を遮断する措置をしたスイスの銀行のサーバーがサイバー・アタックを受けてダウンさせられたり、事態は権力者側の思惑を越え、簡単には沈静化の方向に向かわないのではないでしょうか?

 つまり、何処かの誰かが設計した新秩序ではなく、自然発生的な新秩序が世界中で産まれつつあることの裏返しとして、混沌は、出産における産婆役として必然的に存在するのではないでしょうか?であれば、この混沌は慶ぶべき混沌、祝福すべき混沌と呼べるのではないか?・・・と。なぜならば、従来の権力者側から操作された秩序ではなく、初めて庶民の間からの新しい秩序が産まれ出でようとしている証かも知れないかです。この、現在の混沌とした社会状況は。

 正しい庶民の在り方としては、先ずは自分の生活をシッカリと維持することでしょう。こういった混沌とした時代には、デマや噂話に振り回されがちになります。つい先日騒がれた、歌舞伎役者の市川海老蔵氏にしても、尖閣諸島の中国漁船追突の件にしても、デマと憶測ばかりがマスコミを賑わせ、事件自体の真相がウヤムヤにされようとしています。

 事件、事故が発生したら、証拠を集め、現場を検証し、状況を分析・判断する。それって当たり前の事ですよね?なのにどうして?マスコミ、言論人、大学のオエライ先生方は、事故の真相に言及しないのでしょうか?それが不思議でなりませんし、そう思っているのはワタシひとりではない筈です。だって一般的な庶民としては、そう考える方がスジが通っているし、自然ですから。そこをね?スッ飛ばして、中国脅威論や北朝鮮脅威論を展開するって、分別をわきまえた庶民の行動とは、到底思えないワケです。ワタシわ。

 テレビのニュースや新聞が報道する事がウソだとは言いません。でも、100%真実だとも思えません。みんなが不安である事で、ウソを受容れ易くなる傾向はありえます。例えば、悪い男に騙されているかもと思いながらも、「愛してるよ。」と囁かれると、そのウソを信じたくなる女性の心理に近いかも知れません。

 そういった女性を、分別のある大人であれば「愚かな女だ。」と、一笑に伏すのでしょうが、いざ、自分が同じような立場に立たされた場合に、冷静な判断が出来るか?まっとうな庶民であるあるという事は、そういった当たり前の分別を見失わない事。それに他ならない様に思えるワケです。

 従って、世界が混沌としてようが、自分まで混沌とする必要は無いと云うことです。いつも通りに家族に接し、いつも通りに働き、いつも通りにご飯を食べて、いつも通りに一日を終える。そのルーチンを揺るぎ無き物とするのが庶民の王道であり、世界中で普遍的に、日々繰り返されてきたワケです。

 混沌を忌み嫌う必要はありません。お産のときに陣痛が伴うように、それはごく自然な現象であり、陣痛を恐れていたら子供が出産できないが如く、混沌を恐れていたら、新しい時代を迎えられないかも知れません。未だかつて実現されたことの無い


庶民が主役となる時代

・・・を。


でわっ!