2012年5月1日火曜日

ミャンマー徒然

    
 ネットゲリラさんのトコでミャンマーの記事を見かけたので、徒然なるままに綴ります。


<転載>

ビルマ少数民族が日本を頼ってきた
野次馬 (2012年5月 1日 08:44) | コメント(3)

<抜粋>

【国際】ミャンマー政府と内戦状態にある少数民族の武装勢力、カチン独立機構「KIO」幹部、日本に和平

仲介と停戦監視を要請

1 ラストボーイスカウト@空挺ラッコさん部隊ρ ★. 2012/04/28(土) 19:03:47.30 ID:???0

 ミャンマー政府と内戦状態にある少数民族の武装勢力、のラキェン・ラジャ書記長(67)は28日、都内で産経新聞の取材に応じ、「外国の監視がなければ停戦が安定的に継続するか疑わしい」と述べ、日本政府に和平協議の仲介と停戦監視団の派遣を求めた。

 総書記は、11の少数民族武装勢力で作る「統一民族連邦評議会」(UNFC)の特使として来日。26日に外務省を訪れ、仲介を要請した。

 政府は7勢力との間で停戦に合意しているが、KIOとの協議は難航。昨年6月以降、傘下のカチン独立軍(KIA)と国軍との間で激しい戦闘が続いており、4月1日の連邦議会補選でもカチン州では投票が延期された。

 ただ、上智大の根本敬教授は「日本は現政権の改革を注視する姿勢を取っており、仲介に乗り出す可能性は低い」と指摘している。

</抜粋>

</転載>


 ここで軽く第2次大戦終結前後のミャンマー独立の経緯をおさらいすると、日支事変(日中戦争)が泥沼化するなか、中国側に武器を供給するルートとしてイギリスの植民地であったミャンマーの存在があり、日本軍としてはその供給ルートを断ち、大陸での戦況を好転させるためにも、ミャンマーのイギリスからの独立を支援する必要に駆られ、その目的で南機関をミャンマーに送り込み、「ビルマ独立30人志士」が選抜されたワケです。

 その「30人志士」が核となり「BIA(ビルマ独立義勇軍)」が編成され、昭和17年にイギリスを首都ラングーンから排除しますが、「ミャンマー独立宣言」は日本軍本部の命によって「時期尚早」と保留されます。

 イギリスが撤退し南機関がその任務を解かれると、ミャンマーはイギリスで獄中にあったバー・モウを奪還し、アウンサンの念願であった「独立宣言」を公布しますが、それもつかの間、インパール作戦にて日本軍が大敗し再度イギリスがミャンマーの植民地化に動き出します。

 で、このままでは「日本軍」と共倒れになり、イギリスの再植民地化により「ミャンマー独立」がご破算になるどころか、今まで独立のために尽力してきた「30人志士」を含む独立派の粛清は免れず、そうなった場合、「ミャンマー独立」は更に遠のくだろう。・・・と、アウンサンは考えたことでしょう。


 その苦渋の結論が「反日蜂起」であり、先ずは「ミャンマー独立」ありき。・・・というアウンサンの長年の悲願に思いを馳せれば、「裏切り者!」とひと言で切り捨ててしまうのも、ま、何と言うか・・・「武士の情け」というか・・・止むに止まれぬ心情として偲ばれますし、南機関の当初の目的であった「中国への武器供給ルートの遮断」というミッションのためには、「ミャンマー独立」の維持は不可欠であったワケです。

 アウンサンは「裏切り者」の汚名を敢えて被ることで、「恩義」ある南機関の任務を忠実に遂行したとも言えます。「30人志士」の中には日本への忠義を貫き、「抗日蜂起」には加わらず「自殺」したボ・ミンオンなどもおり、もうね?それだけで十分ですわ。思いはシカと受け止めました。

 ミャンマーはその後再度イギリスの植民地に編入されますが、生き残った「独立派」の粘りにより、交渉にてイギリスからの独立を勝ち取ります。しかしアウンサンは「完全なる独立」の日を迎える前に、イギリスにそそのかされた?国内の政敵ウー・ソーの企てにより暗殺されたと言われています。

 ミャンマーが親日であるのも「30人志士」が生き残ったおかげなワケで、「反日蜂起」を日本に対する「裏切り」と糾弾するよりも、長期的な「より高度な政治判断」があったと捉えるべきかも知れません。

 さて、ミャンマーにおける少数民族の問題ですが、イギリスの統治期にマジョリティーであるビルマ族の結束を阻止するために、カレン族やカチン族などの少数民族を軍人、警察官の任務に就けたワケですが、それがミャンマー独立後に「反英運動」の一環として、少数民族の排除や民族間の紛争の火種になるワケです。


<忘れられた植民地ビルマ・カレン族>


 さらにはそうした少数民族が栽培する「アヘン」を西側の犯罪組織が買い取ることによって、少数民族側は武器を補充し内戦が長期化しているという側面もあります。


アヘン王国潜入記 (集英社文庫) [文庫]
高野 秀行 (著)
 

ミャンマー 
 
<抜粋>

独立 [編集]

1948年にイギリス連邦を離脱し、ビルマ連邦として独立するが、直前の1947年7月19日にアウンサンは暗殺された。初代首相には、アウンサンを継いでAFPFL(パサパラ)を率いるウー・ヌが就任した。独立直後からカレン人が独立闘争を行い、ビルマ共産党は政権を離脱するなど、政権は当初から不安定な状態にあった。1949年、国共内戦に敗れた中国国民党軍の残余部隊がシャン州に侵入し、雲南省反共救国軍としてゲリラ闘争を行った。CIAが物資や軍事顧問団を援助し、タイへのアヘンの運び出しも行った。ヌ政権は国連で中華民国と米国の策動に抗議した。

一方で政権はシャン州一部に国軍部隊を展開し、1950年代半ばまでに国民党軍勢力を一掃した。しかし、シャン州は依然として半独立状態が続き、独立意識の高いワ族やシャン族、コーカン族など諸民族を下地として、都市部から排除されたビルマ共産党が麻薬産業を支配下において、事実上の支配を継続した。ヌ首相の仏教優遇政策は、キリスト教徒の割合が多い、またはキリスト教徒が支配的な立場を占めるカチン、チン、カレンなどの民族の強い反発を招いた。独立を求める民族勢力(麻薬産業を背景にする北部シャン州と、独立志向の強いカレンなど南部諸州と概ね2つに分けられる)、国民党軍、共産党勢力との武力闘争の過程で、国軍が徐々に力を獲得し、ネ・ウィン将軍が政権を掌握する下地となった。

</抜粋>


 ま、ワタシの勝手な理屈ですが、先ず「少数民族」が「独立」するメリットは何なんですかね?「民族自決」はごもっともなのですが、「独立」後の国の運営をどうお考えなのでしょうか?生活、文化水準が低くても、「民族」が肩寄せ合い細々と暮らしていければそれでイイのか?
 
 それとも、それなりに豊かな生活、文化水準を享受したいのであれば「お金」が掛かるワケですが、そうした社会の資本となるような「産業」があるのか?もしそれがね?「アヘン栽培」などであった場合、世界中の犯罪組織に食い物にされるのは目に見えています。

 であれば、中国のような「自治区」という位置づけでもイイのでは?とも思うワケです。ミャンマー政府も過去の遺恨は水に流し、ミャンマーという「国体」を維持することを優先に考えた方がイイんじゃないですかね?かつてアウンサンが「ミャンマー独立」を最優先に考えたように・・・。でないと、いつまで経っても少数民族は「麻薬産業」の隠れ蓑に利用されるだけで、先ずはミャンマーの「国体」の形をハッキリさせ、国内から麻薬犯罪組織を駆逐するのが得策かと思います。はい。

 で、アヘン栽培に替わる農作物の支援とか農業支援であれば、日本は協力を惜しまないでしょう。なんなら現在農業に携われず、悶々とした日々を送っている福島の農家の方から希望者を募り、現地での指導をお願いするというのも、ひとつの建設的なアイデアですわな。



人間ナメんなよ!


でわっ!