2012年5月12日土曜日

会議は踊る、されど・・・


 BLOGOSに秀逸な記事があったのですが、BLOGOSでは「無断転載」を認めていないようなので、直接、記事を寄稿したご本人(図案さん)にリンクを貼りますが、これって、もしご本人がリンク、転載フリーであっても、BLOGSに掲載された時点で記事の著作権がBLOGOS側に移るとしたら、オリジナル記事の版権てどうなるんですかね?ま、チョット疑問に思ったもので。


●企画プランナーの頭の中●

2012年05月11日
不毛な議論は何も生み出さないし前には進まない。


 読めば納得100%なのですが、「議論」も去ることながら「議題」も重要なカギです。何しろ「議題」があってそこから「議論」がスタートするワケですから、「議題」=「問題」に対する意識の共有が成されなければ、「有益」な結論も得られません。「図案屋」さんの言う、


当事者意識


の欠如とは、まさに「問題意識」のすれ違いに他なりません。


 したがって、「問題意識」を共有することが「不毛な議論」に陥らないための前提条件であり、「問題意識」さえ確実に共有できていれば、必然的に「答え」は導き出される。・・・というのがワタシの考えです。はい。

 で、「議論」によって「結果」=「具体的な対策」を得るのに、「意見」だけを闘わせていても「不毛」です。「意見」とは或る意味「脳内の産物」に過ぎず、「具体的な対策」=「前に進む足掛かり」となるのは、あくまでも「現実」です。

 先ず「現実」を正確に認識し、「脳内の産物」を現実世界に引き出し、「誰も目にも明らか」にしてこそ、その後に交わされる「意見」の交換も有意義(具体的)になるのではないでしょうか?

 では、「現実」を正確に認識するにはどうすれば良いのか?「私心」を排除した「検証作業」が行われなければなりません。自分に都合の好い(私心)データばかりを提示しても、「現実」を見誤るばかりか、その後の対応にも多大な悪影響を及ぼします。

 「私心」=「利権」を一旦排除して、現実・現状を正確に把握することが、何よりも優先されなければなりません。「利権絡み」の問題は、その後の話し合いで折り合いをつければイイんです。それが「政治力」というものでしょ?違います?

 そ・こ・で、具体例として原発事故ですが、事故の被害状況は正確に検証されているんでしょうか?土壌・海洋の汚染、健康被害、毎日の放射性物質の拡散、etc・・・。それらの正確な検証がなされず、イイカゲンな(私心に満ちた)情報ばかりを公開し、かつ、それに対して対策を立てたところで・・・無意味です。・・・というか、ハッキリ言って「害」にしかなりません。

 阪神淡路大震災の完全?復興には7年かかったそうですから、東日本大震災の復興にも、それくらいの期間を要すると覚悟しておいた方がイイでしょう。ただ、2件の大震災の決定的な違いは、


原発事故に拠る放射能汚染


です。阪神淡路大震災の際には放射能汚染の被害は発生しなかったので、それでも7年で何とか復興を成し遂げられましたが、今回の東日本大震災には放射能汚染の問題が加わるので、復興の時期の目途さえ正直、立てられないのではないでしょうか?

 それは取りも直さず、原発事故終息の目途が立たないからであり、そこから導き出されるのは


原発事故を一日も早く終息させる


という結論に他なりません。よね?・・・となると、現在、東京電力任せにしている「事故処理体制」では、復興そのものも「東京電力任せ」と言える状態であり、国民の代表として国の運営を任されている政治家として、


それでイイのか?


という話なワケですよ。はい。




 原発事故直後から思っていることですが、

「何故?民間の知恵を導入しないのか?」、

「何故?日本一国の手に余るようなら、諸外国の協力を仰がないのか?」、

「何故?可能性が未知数の新技術であろうと、最善を尽くそうとしないのか?」、


何故?何故?何故?何故?WHY?・・・。

 震災、津波も去ることながら、今日も・・・今この瞬間も・・・放射性物質は事故原発から排出され、日本を蝕んでいるのです。「政府は当てにしないで、自分の力で生き残ろう。」という人たちもいますが、サバイバル精神は好しとしてもそれは或る意味、「日本を放棄」した態度の裏返しのようにも思えます。

 生き残ったとしても、放射能で汚染し尽された国土を前にボーゼンと立ち尽くすしかありません。そこに子供たちのための未来はあるのでしょうか?


 「恥を忍ぶ」・・・という言葉がありますが、武士(もののふ)こそ、この言葉の重さを知り、「何が最重要なのか?」を判断しなければなりません。「名誉」や「名声」だけを重んじるのが武士の姿ではありません。時には膝を屈し、「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」より大きな局面を見据えるのも、立派な武士の在り様です。

 一時的に国力が衰えようとアタフタせず、足元をシッカリ固めてから「捲土重来」を果たせばイイのです。敗戦後の日本がそうであったように、今の日本に、そういうヴィジョンを描ける政治家のひとりや、ふたりはいるだろう?・・・と。
 
 で、先の「不毛な議論」の補足?めいたことを述べるならば、「前進」とは、利害の対立の「調整」の積み重ねに他なりません。下図に示した「進路」は、便宜上、「正」「誤」に分けましたが、ワタシの持論である「調和は善」、「不調和は悪」からすれば、現在世界各地で繰り広げられている「反格差社会運動」にて攻撃されている「1%」の搾取層は、紛れも無く「誤った道」の側を進もうとしています。


 それに対して、残りの「99%」の人が共存できる道を「正しい道」としますが、人間が「完璧な存在」で無い以上、100%正しい道を進むこともまた、不可能なワケです。もし進めるとしたら、「人類補完計画」によって「人格統合」された個性の無いワタシたちの群れでしょう。

 したがって人間が人間である以上(過ちを犯すという前提条件)、どうしても少しだけ「誤った道」側に寄ってしまうのは仕方の無いことなのです。ただ、その「寄り具合」が酷くなると、行き着く先は「破滅」でしかありません。この「寄り具合」を所謂「許容悪」と、ワタシは何度か述べているワケです。はい。

 したがって「理性による欲望のコントロール」とは、この「寄り具合」=「許容悪」を自覚し、キチンと軌道修正できるか?・・・という話なワケです。そしてそれを、ひとりひとりが個人革命により体得できた時、従来の社会システムや政治は過去の遺物となり、マヤ暦の言う第五太陽期(人類幼年期)は終わり、新たな第6太陽期を迎えられるのだろう・・・と、まあ、そうなるワケです。はい。

 話が飛躍しましたが、言いたいことはただひとつ。


何が何でも、原発事故を終息させる。


そのためには日本の総合力を、それでダメなら世界の総合力を、惜しみなく投入しなければならない。・・・というのが、逼迫した「現実」の日本の姿なのです。

 最後に、食品に含まれる放射性物質と健康被害レベルを、簡単に計算できるサイトがありましたのでリンクしておきます。これによると、現状の食品安全基準、1kgあたり100ベクレルで計算するとこうなります。


ベクレル(Bq)、
シーベルト(Sv)計算・換算




味の素KK「レシピ大百科」
肉じゃが レシピ (4人分)



牛こま切れ肉・150g/玉ねぎ1個(200g)/にんじん小1本(150g)/じゃがいも3個(450g)/水カップ2/酒大さじ2/「ほんだし」小さじ1(3g)/砂糖大さじ1/みりん大さじ1/しょうゆ大さじ2/サラダ油大さじ1/さやいんげん(ゆで)適量   ※計量の単位は、カップ1は200ml、大さじ1は15ml、小さじ1は5mlです。


食材だけの合計で950g・・・1人分237.5gなので、1日3回食べたとして712.5g。これを1年間続けると・・・


預託実効線量
0.0005721375 Sv
0.5721375 mSv
572.1375 μSv


という結果になりました。約0.6ミリシーベルトと、年間の法定被爆限度である1ミリシーベルト以下ではありますが、「肉じゃが」だけの数値ですからね?ほかに「ご飯」を食べたり、「お味噌汁」を飲んだり、「間食」したりすれば、軽wく・・・「年間被爆限度」を越えることでしょう。もっとも、1kgあたり100Bq換算なので、それ以下であれば話は別ですが。

 ま、一家に一台くらい放射線測定器があってもイイかもしれません。最近は値段もこなれてきたようですから。
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※詳細なレビュー



人間ナメんなよ!


でわっ!


追記:
科学者の責任

地球温暖化CO2犯人説のウソ 3/8