2009年12月27日日曜日

権力への欲望 18

いきなりですが・・・
連山などは、
「民」とは、「目が見えない=盲目」の状態を指す。
と、繰り返し言っていますが、ワタシは、自分を紛れも無く「民」だと
思う次第です。・・・はい。

で、ついでに、連山の記事からの引用なのですが・・・

<引用>

「仏陀といわれるゴータマは、赤ん坊が死んで頭が狂ってしまった母親に、子どもを生き返らせると話した。その為の儀式をする為に、誰も人が死んだ事がない家族を探して欲しいと言われた。その母親は村中を巡って探したが見つからなかった。その母親は人は死ぬもんだと気づき正気に戻った。生きている子どもが愛せるなら死んだ子どもも愛せるはずである。」

</引用>


これにチョット手を加えて、こうゆうのはどうでしょうか?

「仏陀といわれるゴータマは、利権政治に怒り狂っている男に、政治を浄化する事ができると話した。その為の儀式をする為に、誰も利権を求めたことの無い家族を探して欲しいと言われた。その男は日本中巡って探したが見つからなかった。その男は、人は利権を求めるものだと気づき正気に戻った。人の愚かさが理解できるなら、現在の社会状況も理解できるはずである。」


ワタシたちは「自民党」の治世に嫌気が差し、
前回の選挙で「民主党」を選択したワケですよね?

自らの意思で。

前にも書きましたが、前回の選挙ほど「民」の意思がキッパリと
国政に反映された選挙はなかった様に思うのです。
そしてそれは、日本国民が自らの意思で歩き始めた

最初の一歩

であった筈なのです。
いま、「民主党」に委ねているとは言え、あくまでも主役は

国民一人一人なのです。


狭い?国土に一億人から棲んでいるワケですから、
当然、利害の対立も生まれるでしょう。
しかし今の日本国民には、それを乗り越える知恵が備わっていると
ワタシは信じます。けっして「盲目」などではないと・・・
この先、まだまだ道のりは長いでしょうが、

ま、ボチボチやって行きましょうや。

でないと、せっかく勇気を出して「変革」を選んだ
老い先短い両親が、死んでも死に切れませんがなwww!
より良い未来のために、我慢すべきは我慢しないと。ね?
それでは・・・

良いお年を!



でわっ!