ワタシの父が手術の麻酔の後遺症から「仮性痴呆症」になり、東京の西、青梅の山中の「特別養護老人ホーム」に入所していたことは以前お話しましたが、ま、おかげさまで現在はすっかり回復し、暇を見ては百姓仕事なんぞに精を出しているワケです。ホント、しぶといと言うか、ナカナカくたばりませんwww。で、山崎先生のトコで文学と「父親殺し」の相関関係について書かれていたのを読んで、少しばかり自分の思うところを述べてみようかと。はい。
父が入所している特別養護老人ホームにベトナムから何度か見舞いに行ったワケですが、冬場なんぞは気温30℃のホーチミンから、いきなり10℃以下の青梅山中に居るワケですから、まぁ、夢でも見ている様な気分でした。が、冬の身を切るような寒さと云うのも子供の頃から慣れ親しんだ多摩の環境なので、「あぁ、帰ってきたんだなぁ。」と云う感慨もありました。
で、ある年の冬、母が用事があったのでワタシ一人でお昼過ぎに父を見舞いに行った時の事、父の部屋に行くと姿が見えません。そのころ父の徘徊行動が多く、モップの柄でトイレの窓ガラスを割り脱走?をしようとした事件もあったので、どこへ行ったのかと所内を探し回ると、畳の敷かれた空き部屋の日当たりの良い場所で、食後の昼寝をしているのを見つけました。
そこはポカポカと暖かく、窓の外には冬枯れの雑木林が見え、まるで時間が止まったかの様な静かな、穏やかな空間がありました。ワタシは寝ている父の横に胡坐をかいて座り、小枝に残った枯葉が風に吹かれ揺れるのを暫く見ていたのですが、ボチボチ起こそうか?と父に視線を下げた刹那、そこに一匹の老猫を見た気がしたのです。一匹の年老いた猫が、陽だまりの中で本当に気持ちよさそうに寝ている。今にして思えば、あれがワタシと父の「邂逅」の瞬間ではなかったか?・・・と。
男なら誰しもが、「父親」と云う存在と或る時期対峙するハズです。ご多分に漏れずワタシにも「反抗期」なんぞがあり、父にはずいぶんと逆らったものでした(ワタシに原因があったケースがほとんどですが)。が、やがて自分の家庭・家族なんぞを持つようになると、やはり誰もが自然と「父親」と「邂逅」し、酒なんぞを酌み交わす様になるものです。
「邂逅」=めぐり合う・・・かの冬の日、ワタシは父と「邂逅」できたのだと思うワケです。それまで多くの時間を父と過ごしてたのに、ワタシは父とめぐり合っていなかった。父とは、ワタシを抑圧する「権力」であり、それはより大きな「社会」の分身だったのかも知れません。まぁ、子供から見たら得体の知れない社会システム、その「代行者」としての「父親」と云う逃れ様のない存在が、若かりし頃どうにも息苦しかったのは事実です。はい。
男の子は「生きること(未来)」への漠然とした不安や、「自分(アイデンティティー)」と云う存在の危なっかしさを、「父親」と云う存在を足がかりとして乗り越えて行くのではないでしょうか?もちろん「父親」がいなくとも年をとればイヤでも大人(社会参加)になるのですが、「社会システムの代行者」としての「父親」、その「権力(社会)」に反抗する事で「擬似革命」を経験し、「反逆者」として逞しくなるのではないか?・・・と。
ま、ワタシの如き凡人は、この「擬似革命」で情熱を浪費しているので芸術的な感性がゼロなのでしょうし、逆に「擬似革命」を通過しなかった人が、その情熱(反逆的精神)を「文学」とか「芸術」に投影しているのかも知れません。
「父親」と云う、ひとりの人間、ひとつの人格と「めぐり合う」のには時間が掛かるのでしょうな。一生「父親」と「邂逅」せずに終わってしまう人も居るかも知れません。が、恐らくは意識せずとも「邂逅」している人が大多数なのでしょう。ただワタシの場合、かの冬の日の昼下がりに父と「邂逅」できたという実感が嬉しく、反面、「邂逅」の祝杯を酌み交わすことが出来ないのは残念ですわ。
で、「エディプス・コンプレックス」ですが、「人間性」の時にも述べた様に、ワタシは西欧の学問を金科玉条の如く受け売りするのはどうか?と思っているヒネクレ者なので、いまさら・・・と思うワケですわ。ま、大学の先生とワタシとでは相手になりませんがwww。
でわっ!