2011年1月15日土曜日

タイガーマスク一揆

 これはもう、政府、政治、内閣に対する「レジスタンス運動」=「一揆」と呼べるんじゃないんでしょうかね?
「タイガーマスク」「Silent Bomb」…匿名で目立ちたがる日本人

 ま、上記の様な見方をする方もいますが、まあ、確かに日本人の基本的な気質として、「揉め事は好まない。」「その場は丸く収める。」という気質があるのは、同じ日本人ですから、よmmmく解ります。

 この日本人気質が匿名性を求めるのは、当然の成り行きなのでしょう。歴史を振り返れば庶民、農民が木っ端役人をスッ飛ばして領主に直訴する際、
「唐傘連判状」といって、誰が直訴、一揆の首謀者か解からないようにした連判状を作成しました。

 不満を抱いているのはみんな一緒なのです。だから「直訴状」提出の責任を、誰か一人に負わせることは出来ない。勿論
「大塩平八郎」のように、率先して矢面に立ってくれる英雄も時には現れますが、そんな英雄の出現をただ待っていたら、英雄が現れる前にこっち飢え死にしてしまうかも知れませんよね?

 従って庶民は自力で行動=一揆を起こすしかなかったのですが、その知恵として、「みんなで責任を分け合う」という目的で、先の「唐傘連判状」が生まれたと思うのですよ。それにしても恐らく相当の覚悟が必要だったでしょう。
ヘタしたら連判状に署名した全員にお咎めがあるかも知れない時代だったのですから。

 つまり日本人が「匿名性」が好きなのは、過去の歴史における、権力者からの庶民に対する弾圧から身を守る為の知恵。・・・であったとも考えられます。はい。

 さて、現代の政治はどうなのでしょうか?日本は民主主義を掲げていますが、庶民の声が政治の場に届いているのでしょうか?権力者の弾圧は止んだのでしょうか?庶民の代表者たるべき人物が、国政を担っているのでしょうか?もしそうでないなら、ワタシたちは不適切な代表者を、即刻交代させる事が可能なのでしょうか?

 ワタシにはどうもそのようには思えないのですが、であれば、ワタシたち庶民はこれからも「自ら行動しなければならない=一揆が必要とされる世の中に在る」ように思えます。

 昨今日本全土に広がる「タイガーマスク運動」は、政府が庶民を助けないのなら、庶民同士で助け合うしかないという、無血のレジスタンス運動に近いものかも知れません。

 そして、一揆であればこそ「匿名性」を求め、しかも全国規模で広がっている事実から、国中に「タイガーマスク一揆」賛同する庶民が増えているのでしょう。つまり、全国規模での「無血反政府一揆」と見做せるかも知れません。

 日本が大きく変わるかも知れませんなあ。


でわっ!