2011年6月13日月曜日

自然エネルギーとかmmm

 このたびの「東日本大地震」にて被災された方々にお見舞いを申し上げるとともに、災害にてお亡くなりになられた方々のご冥福を、心からお祈り申し上げます。


 脱原発の代替として「自然エネルギー」が提唱されていますが、ワタシ的には「それもチョット浅いんじゃなイカ?」・・・と、思う次第です。・・・はい。表現を変えれば、「環境調和型エネルギー」の方が的確ではないかと。

 で、ナンで些細な?言葉に拘るのかといえば、今までワタシたち庶民は、幾度と無く「言葉に翻弄されて来た」ワケですよ。今回の事故で発生している「メルトダウン」にしても、政府、東電側は「溶解」などと言葉を挿げ替え、事態をウヤムヤにしようとしました。過去の原発事故にしても、「事故」を「事象」などと言い、あたかもそれが自然発生したかのような、人の手が及ばない「現象が発生」したかのような、そんな姑息な釈明をしているワケです。そんなスカしたインテリ連中の「言葉遊び」に、騙されてはいけないのです。
 
 今回の原発事故後、多くの「御用学者」、「御用マスコミ」、「御用知識人」の化けの皮がボロボロ剥がれましたが、それもこれも、庶民の知的レベルが格段に向上したからに他なりません。それは何に拠るかと言えば、インターネットの普及により、過去の如何なる時代よりも「情報量が格段に増えた」こと、そして、一部の知識人のみではなく、ワタシたち庶民にも十分な「知的ポテンシャル」が備わっていたという証明です。

 過去における、知識人と呼ばれる人たちと庶民の違いとは何か?と検証すれば、「情報量の違い」の一言に尽きます。学問を極めようとする学究の徒と、先ず食う為に働かなければならない庶民とでは、当然、日常的に獲得する情報量に差が生じます。

 社会全体を見渡せば、さまざまな職業が渾然一体となり、「文化」とか「文明」とか「産業」とかが、より「複雑な方向」に変化して来たワケですが、従来、社会の先頭に立っていたのは「権力者」であったり、「知識人」と呼ばれる層の人たちであったワケです。つまり、彼らの意に従って社会は変化して来たとも言えます。

 それもこれも、「知識層」と「庶民層」の「情報格差」から生じた結果であり、決して庶民が知識層に比べて劣っていたからではありません。そして現在、インターネットというツールにより、ワタシたち庶民も忙しい日々の暮らしの中で、情報を手に入れることが可能になりました。

 この事は逆に、今まで「情報を独占」、「知識を独占」することで自らの利益を守っていた層にとっては、「食い扶持」を失いかねない脅威となるでしょう。したがって、インターネットを規制したくもなるのでしょうなぁ・・・


「青少年インターネット規制法案」が成立すると、日本のネットは完全に死ぬ


”現代版・治安維持法”「コンピューター監視法案」が衆議院にて可決


 ハナシを戻します・・・。「自然エネルギー」という言葉は、自然環境を利用した発電方法に「限定」されるイメージがあります(ワタシわ)。「風力」にしても、「水力」にしても、「波力」「地熱」にしても、もちろん「太陽光」にしても、「個人」で一から発電するには多少手に余ります。てか、無理でしょう。そうなると「インフラ整備」が必要となり、自給自足からは少し外れてしまいます。

 信頼できる自治組織、組合などによる電力自給であればイイのですが、東電のような企業に発電を任せるのは、もうご勘弁願いたいです。ワタシが理想と考えるのは「自家発電」であり、それ自体は簡単な事なのです。「自家発電機」を買えばイイだけのハナシですから。

 で、問題となるのは、発電機からの騒音であったり、燃料の供給であったり、環境に対する負荷であったりするワケですが、これらの問題解決にはさほど時間は掛からないというのがワタシの見解です。従来の技術の延長で十分対応可能でしょう。

 先ず騒音の問題にしても、最近の車のエンジンが如何に静かであるかは皆さんが実感しているはずです。その技術を発電用エンジンに応用すればイイだけのハナシです。燃料の問題は、過去何度か紹介した「HHOブラウンガス」あたりが有力候補でしょう。燃焼しても有害なガスは発生しませんし、チョットした設備でガスの生成が可能です。自宅でガスが自給できるかも知れません。発電量にしても、現在市販されている発電機で一家族分の電気くらいは賄えるでしょう。無駄遣いは出来ませんが・・・。それに、発電モーターの技術だって進化?しています。


大丈夫だ、問題ない。


 「自然エネルギー」を否定する気はありません。公共事業ともなれば雇用も生まれるでしょう。・・・が、「自然エネルギー」のみに皆が一辺倒になるのも、いままで「原発を容認」して来たのと同じように、また過ちを繰り返す元にもなり兼ねません。一番大切なのは、「エネルギーの多様性」を確保する事で、極端なハナシ、一人一人が自分流の発電方法で電気を作れる様な社会が、これからの新しい時代にふさわしいのではなイカ?・・・と、思う次第です。

 
でわっ!