2012年12月30日日曜日

今年一年を振り返って

     
 ま、何はともあれ、地球が滅亡しなくてよかったです。はい。それ以外にはイロイロありましたが、一番大きかったのはやっぱり・・・


不正選挙


・・・ですかね?

 クドイようですが、ワタシ、先の衆議院選挙は不正が行われたと思っているので、疑念が晴らされるまで・・・つまり、選挙結果が検証されるまで考えを改める気はありません。

 今回の選挙結果を分析し、小選挙区が悪いとか、投票率が低かったとか納得する人も多いようですが、一説では今回の自民党の得票率は15%とか?全有権者の8割以上が信任してない政党が議会の過半数を占め、ワタシたちの希望と反する政策を断行するという状況を、


しょうがない


・・・と、納得できるんですかね?ワタシにはちょっと・・・。であれば、声を上げるしかないワケですよ。

 「しょうがない」・・・と、座り込んでいても何も変わらないワケですよ。何でもイイから、自分の出来ることから始めるしかないワケですよ。それがプラスになるか、マイナスになるかなんて考える前に、まず、「ボールを投げてみる」・・・しかないワケですよ。

 「ボール」を受け取る人もいれば、無視する人いるでしょう。中には「ボール」を投げ返してくれる、奇特な人もいるかも知れません。そうしたコミュニケーションの存在が「社会」というものの根幹になると思うワケで、「しょうがない」と座り込んでいるだけでは、一面、「非社会的」であるとも言えます。

 心の内はどうあれ、外に働きかけない限り何もはじまらないワケですよ。デモを無駄なことだと言う人もいますが、デモという形でしか表せないメッセージもあるワケですよ。もしデモもせず、ひとりひとりが心の内で悶々としていても、それこそ「しょうがない」ワケで、じゃあ、どっちの「しょうがない」の方がより、社会に対して自分が係われるか?・・・という、話になるワケです。

 ま、おエライ学者センセが・・・「デモなんてしても、しょうがないんだ」・・・みたいな事を言っていたもので、


それは違うだろ?


・・・と、つい・・・。 

 それはソレとして、今回の衆議院選挙ですよ。そんな支持の低い政党を、ワタシたちの代表と認められるのか?認めてイイのか?投票率が低いのが原因であるなら、投票をやり直すのが「筋」ではないのか?

 また、投票率が低いと言われているにも係わらず、全国各所で投票所に列が出来ていたという、マスメディアの報道とは食い違う情報もネット上では続々と報告されています。だからこそ、本当に投票率が低かったのかを確かめる上でも、選挙結果を「検証」しろと言いたいワケです。

 選挙の話はこれくらいにして、もっと大きな流れが見えたのがこのところ記事にしてきた・・・


大衆心理操作の歴史


・・・になるワケです。

 ジークムント・フロイトが心理学=潜在意識を発見する前から人は他人に心を左右されていたワケですが、せいぜい「恋の鞘当」だとか、ま、広く見れば「宗教」とかであったワケですが、潜在意識の発見後、システマチックに(任意に)人の心を操作することが可能になったワケです。 

 それを利用したのが「広告業者」であり、広告業者の雇い主である「企業」であり、「政府」であり、「精神分析医」であったワケです・・・アメリカにおいては。

 大衆の心理を操作することに、アメリカ政府と企業は価値を見出したワケで、「理想の市民(奴隷)」を創り上げることで大量消費を促し企業は利益を上げ、アメリカ政府は支配体系を維持できたワケです。それがアメリカの「黄金の50年代」の正体だったワケです。

 しかし、需要に対する生産供給の過剰・・・ソレに気づいた市民の漠然とした不安は、フロイトの心理学を以っても抑えきれなくなるワケです。ちょうど、「福島第一原発」の事故によって、「安全神話」からワタシたちが目覚めたように、現実の異変に気づいてしまうと、心の問題だけでは片付けられないワケですよ。





 その破綻が、「マリリン・モンロー」の自殺によって?顕在化したのかどうか判断つきませんが、政府、企業による、フロイト派理論を用いた大衆心理操作に気付いた学生が反旗を翻したのが、


学生運動


・・・であり、学生たちはフロイト派の心理操作、社会的弾圧から脱却するために、フロイト派の宿敵であったウィルヘルム・ライヒの心理学に飛びついたワケです。

 そしてこのライヒ派の心理学が「フラワー・ムーブメント」、「ヒッピー文化」へと繋がるワケで、「フラワー・ムーブメント」は平和運動だと日本では誤解されましたが、その始まりは、フロイト派精神分析医と組んだ政府、企業による大衆心理操作=社会支配に対する抵抗運動だったワケです。

 つまり、当時の日本の「ヒッピー」たちは、アメリカの真似はしてもその本質までは理解していなかったと考えられます・・・三島由紀夫の作品にも確か・・・「葡萄パン」・・・とかいう、「ヒッピー」を描いた小編があったように記憶していますが、そうしたアメリカの現状を、三島由紀夫にしても認識していたかどうかは疑問です。

 その他にも、60年代後半から70年代中盤にかけて様々な「ヒッピー文化」が日本でも花開きましたが、ワタシの個人的感覚からすると、ベトナム戦争の終結に時を合わせるように、「ヒッピー文化」も衰退をはじめました。

 で、ライヒ派=フラワー・チルドレンの、「自我の解放」に向かう精神運動は、当初の学生運動の目的であった支配体制の打破には向いませんでした。なぜなら、ひとりひとりが余りに自己の心の深遠にのめり込んだために「個」として分断され、体制に立ち向かう「力」として集結できなくなってしまっていたのです。ちょうどこの頃が所謂、


しらけ世代


・・・と呼ばれるワタシの世代にになるワケです。

 ワタシ、世代的にも学生運動の次の世代で、子供心に「浅間山荘事件」とか、「連続企業爆破事件」とかを


何やってんだかなw。


・・・と、冷ややかに見ていたワケですが、アメリカでの大衆心理操作の実態からすれば、そうした社会支配に対する過激な反逆が、ああした行為に「連合赤軍」などを走らせたのだ・・・と、今なら理解できます。

 「個」に戻ってしまった大衆は、おそらく以前よりも、さらに洗脳支配の対象となりやすくなっているのではないでしょうか?なにしろアメリカ政府、そして大企業は、豊富な資金、豊富な人材、豊富な技術力をバックに、現在では「ピンポイント」で個人攻撃=個人洗脳が可能になっているワケです。

 コンビニで何気に手にする雑誌、それは自分の意思で選んだものでしょうか?確かに自分の意思で選んだワケですが、ワタシの、そしてアナタの心理的嗜好を知り抜いた出版社が、その好みに合わせた雑誌を創ったから、その雑誌を手にしてしまったワケです。つまり・・・


狙い通り


・・・の行動に過ぎないワケです。よね?

 「そんなことを言ったら、何も自分の意思では買えない」・・・と、思うでしょうが、確かにその通りです。何を選択するかは個人の自由であり、個人の心の問題です。

 しかし企業側からすれば、「売れるものをつくる」・・・というのが大前提としてあるワケで、そのためには個人の心も覗くでしょうし、広告などによって心理操作もするでしょう。つまり、ある「商品」を手にした時、その「商品」に心を奪われている・・・とも言えるワケです。

 たとえば街角の勧誘であれば、自制心を以ってそれを拒否することも出来ますが、美人の誘惑に男が弱いように、自分の好みであれば頼まれなくても「自発的」に誘惑に乗ってしまいます。それが、「購買」という行為の本質なワケです。

 ま、考え出すときりが無いワケですが、こっちが考えなくても向こう・・・企業や広告会社は、いかに消費者に商品を買わせるかと日夜研究しているワケですよ。つまり、


新手の洗脳の手口


・・・を。

 それが現実であり、そのことにあまりに無防備であることは、やがてかつての1950年代のアメリカのように、政府が、企業が、支配層が、再度大衆を心理操作して、社会支配体制を磐石なものにしようとするのを許すだけです。

 いや、ジッサイ既にそうなりかけているようにすら、ワタシには見えるワケです。自民党のあの、不可解な勝ち方。それに対して声を上げられない「沈黙の大衆」。なし崩しに原発は再稼動され、個人の人権さえ軽んじる憲法改正。国家が至上とされ、その合意を押し付けられる社会。

 そうしたことに何も感じない。何も感じられないように情報は操作され、「自分がオカシイのか?」・・・と、思わせるような、精神分裂状態の社会。

 ライヒ派によってズタズタに分裂させられてしまった「個」を、再度、健全な社会の要員として蘇らせる必要があります。バラバラの「個」は、謂わば「原子」のようなものであり、様々な「原子」が組み合わさることで「物質」がその形を現わすように、バラバラなままの「個」は、


それ自体では成りえない


・・・のです。

 では、バラバラな「原子」が結合するために「原子間力」が必要なように、バラバラな「個」が結合するために必要な「力」は何か?ワタシが思うにそれは、


同じ人間だろ?


・・・という、きわめてシンプルな「合意形成」に尽きると思うワケです。

 何度も繰り返してきたように、生物学的に見て全ての人間は「平等」なワケですが、その動かし様の無い事実こそが、バラバラに分断された「個」を、社会の要員として再構成する「力」だと。

 家柄だの、血筋だの、民族だのに拘るのは、「旧世界」の遅れた?思想です。「新世界」の思想の本流は、


人間回帰


・・・にあり、今まで当たり前過ぎて見過ごしていた人間と言う存在を再発見する事にあります。人間という「新大陸」に一歩を記すところにあるワケです。

 今年2012年、人類が滅亡しなかったのは幸いです。ワタシたちには、人間という「新大陸」が残されたのです。「旧世界」のゾンビーズはこれからも悪あがきするでしょうし、「新大陸」への上陸を邪魔するかも知れませんが、そこに人間という「新大陸」が存在するのは、揺ぎ無い事実なのです。

 さて、最後になりますが、「大きな流れ」・・・すなわち、大衆の心理操作を目論む勢力の最終的な目標は何か?と言えば・・・


富(実体経済)の独占


・・・に他なりません。その目的ための「道具」としての「お金」が存在するワケです。このことは非常に重要な問題です。「お金」に依存し、「お金」を基準とした社会である限り、「お金」を支配する者たち・・・資本家、銀行家、企業家、政府などの支配力を、常に受けることになるワケですから・・・。

 同じ人間の分際でありなら、仲間である同じ人間から搾乳・・・もとい、搾取しようとは、


思い上がりも甚だしい!


・・・というのが、今年の〆の言葉です。それではみなさん・・・


よいお年を!





人間ナメんなよ!


でわっ!