2013年7月20日土曜日

悪路であろうと一歩づつ

  
 あす(7月21日)は投票日ということで、長かった?2013参議院選挙も終わりを迎えようとしています。

 この選挙期間中、様々なことが言われました。「衆参両院のねじれ」であるとか、「二院制は日本に適さないのではないか?」とか、「選挙制度(公職選挙法)の問題」とか、「一票の格差」とか、「マスコミによる世論誘導」であるとか、あと・・・ナンですかね?

 ま、そうした諸々の要因が相まって


政治不信


・・・に国民が陥るのも無理からぬハナシであり、選挙の投票率は年々低下しているワケです。

 で、ワタシ・・・思ったワケです。確かに現行の日本の政治、および選挙制度は不備な点が多く、「民意」を反映させていないのでしょうが、だからといって「政治に無関心」になる=「投票に行かない」というのは・・・


どwwwなのよ?


・・・と。

 勿論、投票に行く/行かないは個人の自由なワケですが、じゃw「投票に行かない」という選択が、本当に「個人の自由意志」に基づくものなのか?

 先の原因・・・「政治不信」が「有権者」の足を投票所に向かわせない原因だとするならば、それは自由意志ではなく、「政治不信」をつくりあげた政府によって、


心が誘導されている。


・・・とも言え、つまり、そうする(そうなる)ように仕向けられているのであり、それを「自由意志」と勘違いしているのかも知れません。

 実態問題、その「自由意志」とやらは何を望んでいるんですか?大雑把に言って、「明るい未来」と「暗い未来」の、ドッチがお望みなワケですか?

 現状の政治に不満があり、「明るい未来」を望む人であれば、おそらく「投票所」に足を運ぶことでしょう。「暗い未来」をワザワザ望む人はいないと思いますが、「投票の棄権」・・・即ち投票に行かないということは、不満があるはず現状の政治に対する「信任」ということであり、結果として、「暗い未来」を自ら望んだ・・・と、いうことになります。よね?

 ここまでで、ワタシの考え方・・・どこか間違ってます?

 で、同意して頂いているとしてハナシを進めますが、であるならば、「政治不信」を理由に投票を棄権するのは間違っている・・・と、言えます。少なくとも、「明るい未来」を望む全ての有権者にとっては・・・。

 そして今現在の有権者のみならず、「未来の有権者」=「子ども・孫」のためにも「明るい未来」を望む気持ちがあるのなら尚更です。

 よく言われるように現在の政治は「腐敗」しているのかも知れません・・・というか、「原発」、「TPP」、「改憲」、「増税」に対する自民党の政策を見れば、「腐敗」しているかどうかはアレとして、


狂っている!


・・・とすら言えます。「国民」を無視した暴走振りは


独裁一直線!


・・・の観すらあります。





 そうした政権を信任するのか?・・・というハナシなワケですよ。「投票の棄権」をする人たちに伺いたいのは・・・。


自分ひとりが投票したところで・・・。


・・・と、思っている人もいるでしょうが、そんなの当たり前です。たった一人の投票で世の中が変わるなんて、勘違いしていませんよね?独裁者にでもなるつもりですか?大切なのは、「たったひとり」の積み重ねなワケですよ。

 「たったひとり」の積み重ね=「民意」が、もし、現在の自民党の政策を支持するのなら「それも好し」。それが「民主主義」の在り方であり、「民主主義」において重要なのは、「より多くの人の意見」なワケです。

 つい先日、ワタシの地元(多摩地区小平市)で、区画整備に対する賛否の住民投票が行われましたが、投票率が50%以下であったために無効となりました。この件について住民投票の有効性を訴える人たちもいますが、よしんば有効とされたとして、投票数の半数が賛成にしろ反対にしろ、全体から見れば25%(1/4)の意見によって、「税金」使われ方が決まるワケです。

 果たしてこれが「民主主義」と呼べるものかどうか?ワタシには大いに疑問ですし、「住民投票」を無効とした小平市の判断も、理解できないワケではありません。したがって、「住民投票」を提案した市民グループの最大の躓きは、「投票率」を上げられなかった・・・住民の理解を得られなかった・・・と、いう点にあると言えます。

 ハナシが脱線しましたが、極論を言えば「国政選挙」にしても同じことであり、投票率が50%以下の選挙結果なんぞで


「民主主義」を気取ってイイのか?


・・・という事なワケですよ。

 かかる「国政選挙」は無効と看做し、投票率が全有権者数の75%(3/4)以上になるまで、何度でもやり直し投票を実施するのが、「民主主義」を実践するには必要であり、


何度も投票なんてメンドクサイ


・・・と、誰もが思うでしょうが、だったら最初の一回で決まるようにみんなで投票に行けば済むハナシでしょ?

 それに「民主主義」って、実際根気の要る「メンドクサイ政治システム」なワケですよ。然し、そうした手間隙を掛けることが「個人の人権の擁護」にも繋がるワケですから、決して疎かにはできません。


日本国憲法

第三章 国民の権利及び義務

第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。


「政治不信」ですw♪


・・・などとと開き直ったところで、何かが変わる可能性があるでしょうか?


否!否!否!


 「明るい未来」を望むのであれば、どんなに可能性が低かろうと、0(ゼロ)でない限り投票に向かうのが


庶民の正しい足掻き方


・・・であると、ワタシは思う次第です。

 それはちょうど、「悪路」を進むのにも似ています。進む道が「悪路」だからといって、進むことを止めてしまうでしょうか?に車輪をとられ、ぬかるみで足が滑ろうとも、「進むことをあきらめない人」は、黙々と前に進むだけです。

 「悪路」=「腐敗政治」こそ、「明るい未来」に到達するために踏みしめ、乗り越えて行かねばならないのであり、そしてワタシたちに課せられた「一歩」とは、まさしく選挙における「一票」と言えるのではないでしょうか?


全ての選挙は、民主主義の実践のためにある!






人間ナメんなよ!


でわっ!