2013年7月26日金曜日

言葉を弄ぶ

  
 今朝、ネットのニュース欄で目に付いたのが、「サービス残業」という言葉だったのですが、これって・・・


タダ働き


・・・のことですよね?


(1)社員の妻から訴えられた「すかいらーく労組」…会社への漏洩恐れて社員は労組から離れる
2013.7.24 07:00 (1/3ページ)[karoshi過労死の国・日本]

・・・外食チェーン大手「すかいらーく」の社員だった中島富雄=当時(48)、横浜市都筑区=は平成16年8月、脳梗塞(こうそく)で死亡した。神奈川、静岡両県の複数店舗で店長の不在時などに応援に駆け回る「支援店長」。月平均130時間にも及ぶサービス残業が2年も続いた末の過労死だった。・・・


 月平均130時間=約16日(8時間労働/日)・・・毎月、16日分も「タダ働き」させられていたというコト。この事実を「サービス残業」という言葉で「粉飾」?し、事実の重大性を誤魔化しているワケですよ。

 実はつい最近、父親が過労死をしたという人と話す機会があって、彼はそのことがあって、会社に対する「忠誠心」のようなものは持てず、何度も職場を変えているそうでした。

 彼自身、決して怠け者というワケではなく、労働意欲が有るが故に職場を変えながらも働き続けているワケですが、ワタシから見れば、いっそ、個人で事業を始めたほうがイイのでは?・・・とも、思えます。然し、個人で仕事をすることが如何に大変かは、ワタシ自身が身を以って痛感しているので、気安く薦めることもできません。

 もどかしい限りですが、こればっかりは個人の才覚によるので、どうしようもありません。で、ハナシを戻しますが、いつから日本では「タダ働き」を、


サービス残業


・・・などという姑息な言い回しで、「粉飾」する慣わしになったんですかね?

 ま、ワタシにしても、「サービス残業」という言い回しを無節操に受け入れてきたワケで、先日、「過労死」の関係者に出会わなければ、この先も考えてみる機会は無かったかも知れません。

 こうして思い直してみると、言葉の「粉飾」・・・「すり替え」が、現在の社会において溢れていることに気付かされます。

 「売春」は「援助交際」となり、「事故」は「事象」と呼ばれ、「タダ働き」は「サービス残業」に置き換えられ、もっとも顕著なものは、東京電力が発表する福島第一原発事故の、事故処理および現場の状況報告に現れています。

 この言葉の「粉飾」の意味するところは、


現実を直視ししたくない


・・・という「心理」の表れです。しかもそれが社会的に蔓延しているワケですから、社会全体が「現実」を直視することを避けていることになります。

 会社の帳簿を「粉飾」すれば、会社にとって不利な現実を誤魔化すことができ、それは「会社」にとっても、「社員」にとっても、「株主」にとっても、「銀行」にとっても、「好ましい」ワケです。

 同じことが社会についても言え、この現実を直視しないという態度は、所謂「日本人の美徳」のひとつである、


角を立てない


・・・という精神性に依るものだと推察されます。

 然し、「角を立てない」ということと、「現実を直視しない」ということは全く別問題であり、会社の帳簿の「粉飾」などは、「現実を直視しない」ことによって「その場は丸く収まる」・・・といった、


現実逃避


・・・に過ぎません。そうした「現実逃避」を繰り返していて、会社が・・・社会が・・・良くなると言えるでしょか?

 良くなるワケがありません。逆に、事態はドンドン悪くなる一方です。「現実」から目を逸らしているのに、「現実」を改善できるワケがありません。では何故?現実を直視しようとしないのか?


責任を逃れる。


 この一言に集約されるでしょう。現実を直視し、それを認めるということは、そこに現実と繋がった自分の存在が生まれ、同時に、現実に対して「能動的」になり得る自分の「責任」も発生します。

 つまり、現実を直視せず、「粉飾」された言葉だけを「受動的」に受け入れていれば、「責任」は発生しないワケです。


何処かの誰かのせい


・・・にして、自分は知らん顔ができるワケです。顕著な例が、ゴルフ場に降った放射性物質の責任を、東京電力福島第一原子力発電所の爆発事故によるものだと、ゴルフ場オーナーが東京電力を訴えた裁判です。

 件の裁判で、事故後に放出された放射性物質は東京電力の持ち物ではない=「無主物」であるとして責任を逃れ、なんと!裁判所も東京電力側の主張を認めたのですから、これからは「放火犯」は存在しなくなる可能性があります。よね?

 先の戦争の「責任者」を問う、伊丹万作氏の言い分にしても同じことが言えます。「自分は騙されていた」・・・と、責任を放棄する前に、現実と正面から向き合ったのか?現実を直視することを避けるという行為、心理は、


自ら進んで騙される


・・・という自発的行為であり、その実態は、「責任逃れ」という「保身」に他ならないワケですよ。


戦争責任者の問題|伊丹万作


 今回の参議院選挙で自民党が大勝したワケですが、ワタシから見て、「原発」を推進し、「TPP」加盟を目指し、「増税」を予定し、しかも「日本国憲法」を改憲したがっている自民党に、投票する要素など「1ミリ」も無いワケですが、それでも多くの人が自民党に投票したワケですよ。

 で、ワタシ的にはそれが、「現実を直視」した上での判断であって欲しいワケで、後々・・・


騙されてましたw。


・・・などという、歴史の繰り返しはカンベン。・・・と、言いたいワケですよ。だって、それじゃ戦前戦中から何一つ進歩していないって事でしょ?日本人が・・・。

 それはチョッと・・・情けなさ過ぎると思いません?これだけ普及したインターネットは、一体何のためにあるのか?・・・と。

 言葉は「心を映す鏡」です。したがって、言葉を「粉飾」する・・・「弄ぶ」ということは、心が不誠実であることの表れであり、「角を立てない」・・・を好しとする日本人の精神文化とは、「紙一重」で違うということです。

 まずは現実を直視し、引き受けるべき責任を引き受けた上で、人間相互の関係性において「無駄な争い」を避けるために


角を立てない


・・・という精神文化は「有」だと言えますが、現実を直視せず、ひたすら責任から逃れるために言葉を「粉飾」し、その仮想現実に納得し合う・・・進んで騙されるという行為は、


我が身が可愛いだけ


・・・の、自己中心的な行為であり、もし、日本人の精神性の本質がそこに在るのだとしたら、いまこそソレと向き合う必要があるでしょう。例え多くの痛みを伴おうとも・・・・。







人間ナメんなよ!


でわっ!