2010年9月13日月曜日

祟り(タタリ)の深層

 毎度ヒロシさんとこのつぶやきチェキをしてますが、オモシロイつぶやきが多くて飽きません。そんな中でワタシ的にヒットしたのがこれ↓


<抜粋>

YS_KARASU タタリガミ=小沢を言い始めたのは昨年12月のこと。その時からタタリガミに続く子タタリガミ=小沢信者の姿も見えていました。今まさにその状態。この際、タタリガミに勝ってもらうのも手ではないかと。そうしないと暴走が収まりそうにないかも。 @strategycolum 小沢はタタリガミ
2:45 AM Sep 11th webから
bilderberg54と3人がリツイート

</抜粋>


 ま、日本人て「タタリ(祟り)」とか「呪い」とか、昔からよく言いますよね?


祟りじゃwww!八ッ墓の祟りじゃwww!


とか・・・?





 で、タタリや呪いって一体何なの?と考えてみるに、無念な想いを残して死んだ人とかが、死んでからも現世の人間に復讐してやると云う事でしょ?大雑把に言えば。

 つまり現世では弱い、虐げられた存在であっても、死後の世界・・・現世の力の及ばない世界から、現世に対して仕返しをする事を、「祟る」とか「呪う」とか言うワケですよね?その良い例が
「菅原道真」かと。はい。

 と云う事はですよ?「タタリ」を恐れる心理の裏には、理不尽に弱者を虐げたとか、もしくは策略によって他人を騙まし討ちしたとか、いずれにせよ加害者とか権力者の後ろめたさが、心のどこかに有るんじゃないかと。はい。

 では何故?小沢氏が「タタリガミ」呼ばわりされるのか?遡れば明治維新からの、「会津藩」と「長州藩」の確執があるからではないでしょか?長州藩は会津藩に対して熾烈な処分を下しました。そのひとつが、戊辰戦争で死んだ会津藩士の亡骸を野ざらしにした事です。

 
戊辰戦争百話・会津
◆第百話:戦死者の埋葬に奔走した、伴百悦◆


<抜粋>

■城の内外でたおれた二千余柱の遺体は、会津開城後も賊軍という汚名のもとに埋葬することも許されず、腐食するがままにまかされていた。これをみかねた滝沢村の郷頭横山三郎・肝煎(きもいり)吉田伊惣治らは、明治元年十二月二十九日、飯盛山に自刃した白虎隊士の遺体四体を妙国寺に仮埋葬したが、これが西軍に察知され、彼らは罰せられて入牢するという事件も発生した。

■百悦は町野主水・高津平蔵らと計り、西軍の参謀らに対して何度かの嘆願を重ねた結果ようやく阿弥陀寺と長命寺に埋葬することの許可をとりつけた。しかしそれは、百悦らの願いとはまったく異なるものであった。会津藩戦死者は罪人として扱われ、埋葬地も罪人塚、埋葬にたずさわるのも罪人の埋葬にあたってきた人々に限られた。このため百悦らは自らをその人々の列に落として戦友の遺骨収集にあたり実に二千三十三体の遺体を埋葬したのであった。

</抜粋>


第三者が聞いてもヒドイ話だと思う…。

夫婦坂二輪旅紀行
会津と長州


<抜粋>

「あいつらはさぁ、きったないよ! 俺たちはさ、長州その他西軍戦死者の墓を作って葬ったのに、ヤツら、会津兵の死者の埋葬を許さないで、野ざらしにしたんだぜっ!」

</抜粋>


と、なりますわな。フツー


 まあ、か様な過去のいきさつがあって、なおかつ田中角栄元首相の
「ロッキード事件」とかの絡み?もあったりするんですかね?田中元首相を慕う小沢氏としては。その辺を揶揄して小沢氏を「タタリガミ」と呼ぶワケですか?

 いずれにせよ、「タタリ」を恐れる側にそれなりの理由が在るに違いなく、ただただ「タタリ」を恐れるだけでは何も解決しないように思うワケです。ワタシとしては・・・。何故に小沢氏が「タタリガミ」呼ばわりされるのか?「祟る側」と「祟られる側」がそのいきさつを明確にすることで、「祟りの輪廻」を断ち切れるんじゃないでしょうか。

 判官贔屓と同じ様に、「祟り」というものに対する日本人の感情も、全国各地で共通するもがあります。すなわち日本全土で謂れ無き差別や弾圧を受けた庶民が、たくさん居たことの証のように思うワケです。

 「祟り」を沈めるにはどうすればいいのか?生贄や貢物で一時的に祟りを沈めるのではなく、「祟り」の原因を取り除かなければ「荒御霊」は所詮、
「荒御霊」のままで、「和御霊」にはならないように思うのです。では具体的にどうすればいいのか?簡単な事です。


因縁を解き明かす。


 ま、言葉にするのは簡単な事なんですが、社会・・・人が集まると必ず利害関係が生じます。利害関係の中で利を得ている者、例えば身分差別だったり、職業差別だったり(インドのカースト制とか)、あと何ですかね?とにかく、そういった諸々の因縁を解き明かされると困る人達もいるワケで(どちらかと言うと権力者側)、それ故に歴史を改竄したり、真実を隠蔽したり、まあいろいろやるワケです。はい。

 しかし、もう隠し事がまかり通る時代じゃないでしょう?インターネットというツールのおかげで、誰もが真実を知る事が出来る時代になった今、特に若い世代には、過去の因縁を断ち切り「タタリ」の無い新しい時代を築き上げて欲しいと、切に願う次第です。

 そして小沢氏に限らず心ある政治家には、過去の因縁に縛られずに日本と云う国の舵取りを、世界中の庶民も視野に入れた、スーパー・サイズな視野でして頂きたいと願う次第です。はい。現代の八百万精神を世界に示すためにも。

 ちなみに蛇足ですが、祟り・タタリの語源は「タタール」から来ていると、某サイトで見かけたのですが・・・

地名黙示録

<抜粋>

意富比の異名、大大日をタタリと読むことから生まれた民族名

 では「タタール」とは、いったい何者か。文献に登場するのは8世紀以降だ。しかも正体がどの史料も曖昧で定まらない。ところが顔を出す8世紀とは記紀が内外に披露された時期と一致するのである。タタールは母音調和で「ツツール→チチウル(土浦)→秩父」に転訛する。ということは、8世紀どころか、はるか以前に関東の一角に同根の氏族がすでに陣取っていたことになる。

</抜粋>

 
 要は、朝鮮半島から移民が流れ込んでくる遥か以前から、「タタール」と呼ばれる民族が日本列島に定住していたが、新興の移民が彼らを駆逐、もしくは支配体系に組み込み、そして新興移民朝廷に従わない既存民族の反撃を「タタール」=「祟る」として恐れたのが、「祟り」の始まりじゃないのか?

 ・・・などと、個人的に因縁を分析してみたワケですが・・・。苦しいですかね?


でわっ!