2010年9月6日月曜日

世論と自論

 民主党の党首選挙に日本中の関心が集まっていることと思いますが、そんな中で毎日繰り返し報道される「世論調査結果」と云うしろもの。菅氏が有利だの、小沢氏が有利だの、目まぐるしく情報が交錯し、庶民の目にはもう何がなんだか、頭の中がゴチャゴチャな状態ではないかと?

 人の心とは弱いものです。例えるなら、アダムとイヴが蛇(悪魔)にそそのかされて禁断の実を食べてしまった様に、正しい心を持った人でさえ、その正しさが自発的な意思に基づかないと、簡単に過ちを犯してしまうものです。

 アダムもイヴも正しい心を持った人間でした。が、その正しさは所詮、神に与えられた借り物の正しさでしかありませんでした。それ故、蛇(悪魔)のささやきに耳を傾け、心が揺らぎ神に背いてしまったのです。

 もうお分かりいただけたかと思いますが、「世論調査」とやらがどう言おうが、自分の意見、自論を持ち続ければいいのです。

権力への欲望 20

本物の指導者の条件


 なんども繰り返しますが、結局、社会を変える原動力となるのは、一人一人の心の持ちようでしかないと思うのです。

進歩か、後退か 2

進歩か、後退か 18

進歩か、後退か 21


 今回は「民主党党首選挙」と云う事で、民主党員とそのサポーターしか投票権がありませんが、党首となった者が自動的に次期総理と云う事であれば、民主党員以外の庶民にとっても軽くは無い選挙です。それを指をくわえて見ているしかないと云うのも歯がゆいですなあ・・・


権力への欲望 22


 長年続いた自民党政権に終止符を打ち、民主党に政権を移譲したのはワタシたち庶民の意思でした。暮らしやすい社会を求めるワタシたち庶民の意思でした。選挙と云う民主的な事務手続きにより社会を良くしたいと願う、ワタシたち庶民の意思でした。一人一人の意思が反映された選挙投票によるものでした。その意思にウソは無かったハズです。そして今現在も、「より良い社会」を望んでいる気持ちにも。

 いかなる政党であろうと選挙で選ばれたからには、政治家が勝手な真似をすることは許されません。自らの保身を優先に考えることは許されません。彼らが優先すべきは庶民の生活の安寧であり、庶民の言葉に耳を傾けることなのです。彼らは庶民によって、その職務を委託されている立場なのだから当然です。

 そして民主主義社会において最も唾棄すべき行為は、選挙を、投票を、汚すこと。つまり選挙結果を操作する事です。それは庶民一人一人の意思・心を踏みにじる行為です。民主主義を根本から否定する行為だからです。

 前回、八百万精神について触れましたが、ワタシの中では八百万精神は民主主義にもつながります。全ての人がバラバラな意見・自論を持っていますし、個人の尊厳としてそれは否定できません。だからといってバラバラなままでは社会として纏まらない。自然界に存在する全ては、「なるようになる」事を受け容れるだけですが、人間は常に、「なりたい」という欲求を持っているので相互に軋轢が生じます。そこで話し合いや選挙によって妥協点を探る。これが現代的八百万精神かと。

 そして、やはり前回触れた
日本の「調停者」としての役割。この役割を全うする為には、日本は「独立」していなければなりません。誰かの庇護の下に在る「調停者」に公平な調停が出来るでしょうか?ムリです。はい。一部の利権を代弁するのではなく、全体を見渡し調和をもたらす為には、「独立」していなければなりません。したがって、ワタシが勝手に解釈したエンデ氏の日本に対する期待=調停者を日本が受け止める為には、日本が「独立した国」になる事が必要不可欠となるのです。ま、ワタシの解釈が正しければの話ですが・・・。

 ・・・と云うワケで、以上がワタシの自論です。はい。


でわっ!