このたびの「東日本大地震」にて被災された方々にお見舞いを申し上げるとともに、災害にてお亡くなりになられた方々のご冥福を、心からお祈り申し上げます。
S.ジョブス氏の訃報以降、追悼記事やニュースが後を絶たないワケですが、ワタシも釣られてYoutubeで過去のCM、「Think Differentムービー」を見直してしまいましたわ。で、その中に登場したバックミンスター・フラー氏の姿を見て、若かりし頃を懐かしく思い出しました。
Apple Steve Jobs The Crazy Ones - NEVER BEFORE AIRED 1997
「アップル・マニフェスト」
クレイジーな人たちを讃えよう。
はみだし者。反逆者。
トラブルメイカー。
四角い穴に打ちこまれた
丸い杭。
物ごとを違うところから
ながめている人々。
彼らは規則が好きじゃない。
現状を維持するなんて
気にもかけない。
称賛してもいい。
異議をとなえるのもいい。
発言を引用してもいい。
信用しなくたっていい。
美化しようと
中傷しようとかまわない。
だが、彼らを
無視することだけはできない。
なぜなら彼らは
物ごとを変えるからだ。
彼らは発明する。
想像する。癒す。
冒険する。創りだす。
インスパイアしてくれる。
彼らが
人類を前に進めるのだ。
たしかに
クレイジーにはちがいない。
そうでなければ、他のいったい誰が
無地のキャンパスに
芸術作品を見ることができるだろう?
いったい誰が沈黙の中に座って
まだ作られていない音楽を聞けるだろう?
あるいは
赤い惑星をじっと見つめて
車輪に乗った実験室を見ることができるのか?
私たちは
そんな種類の人々のために
道具を作っている。
クレイジーとしか見られない人々だが
私たちには天才が見える。
自分は世界を変えることができる
と考えるほど
十分にクレイジーな人たちが
ほんとうに世界を変えるのだ。
Think different.
(訳/真野流・北山耕平)
高校生の頃、夜中に民放で「アインシュタイン」という科学番組を放送してて、好奇心旺盛だったワタシは毎週の様に見ていたワケですが、丁度その頃、フラーレンが認知されるワケです。
で、当時はインターネットも無く、当然、Wikipediaで手軽に調べることも叶わなかったので、記憶の中に留めるしかなかったのですが、それに比べると今の若者はホント!恵まれてますなあ。
久しぶりにフラー氏の姿を見たのでググってみると、フラー氏も相当「クレイジー」な人だと再認識しましたわ。
バックミンスター・フラー
リチャード・バックミンスター・フラー(Richard Buckminster Fuller, 1895年7月12日 - 1983年7月1日)は、アメリカのマサチューセッツ州出身の思想家、デザイナー、構造家、建築家、発明家、詩人。
<抜粋>
バックミンスター・フラーの富の概念
フラーは独特の富の概念を公言していた。それは、一般的に私たちの大部分に認められている貨幣ではなく人間の生命を維持・保護・成長させるものとした。それらを達成するための衣・食・住・エネルギーを、そして究極的にはより効率的に成し遂げるための形而上的なものであるノウハウの体系であるテクノロジー、それ自体が更に発展し続ける、それこそが「富」の本質であるとした。
「自分の時間をより有効な探査的な投資に解放すれば、それは自分の富を増やすことになる」
この言葉にも彼の独特の富の概念が現れている。
</抜粋>
で、そのフラー氏が、アメリカ建国の裏舞台に言及しているらしいです。
山崎淑子の「生き抜く」ジャーナル!
<抜粋>
9/26追記 【代表Column】
「アメリカの独立戦争へいたるボストン茶会は、東インド会社の謀略によるもので、アメリカ国旗は「東インド会社」の旗から英国の国旗の部分を星に入れ替えてできたとバックミンスター・フラーは言っていた。」と井口氏が述べている(下記)。
が、英国、東インド会社、アメリカ合衆国の旗をならべて見ると、1776年7月4日独立宣言の前後およそ1年強のあいだ、アメリカの旗は東インド会社の旗だったことがわかる!
つまり、『アメリカ合衆国は東インド会社北米支店だった』のである。
2011/9/26 【川崎泰彦 記】
</抜粋>
確かに「旗」を見比べると、アメリカ国旗は独立当初、東インド会社の旗であることは一目瞭然。
アメリカ合衆国の国旗
デザインの変遷
1775年12月3日 - 1777年6月14日 1年(18か月)
1777年6月14日 - 1795年5月1日 18年(215か月)
イギリスの旗の一覧
イギリス東インド会社の旗
1707年-1858年
アメリカ独立戦争とは、イギリスからの独立を勝ち取るための戦争だったと学校では教わりましたが、では何故?
Kazumoto Iguchi's blog
2011年 06月 03日
「カリブの海賊」もまたただの駒に過ぎなかった!:英米政治の古典的ストーリー!
<抜粋>
アメリカ合衆国は、歴史上は英米の戦争。アメリカが独立戦争を起こしてイギリスから独立したことになっているが、しかし実際は、そのやらせのきっかけとなった「ボストン茶会事件」はイギリスの「東インド会社」の工作だった。表向きは国同士の戦いだったが、実際にはアメリカ合衆国を影から支配するためにイギリス貴族が仕組んだものだったと、そして、アメリカ国旗は「東インド会社」の旗から英国の国旗の部分を星に入れ替えてできたのだと、かのバックミンスター・フラーは言っていたのである。これが今回のキッドの絵で実に良く分かるのである。
</抜粋>
ムムム!そうするとアメリカは「自由の国」でもナンでもなく、建国当初から裏でイギリス貴族に操られていたという事ですか?その流れとして「スカルズ・アンド・ボーンズ」のエンブレムは、海賊行為を繰り返していた東インド会社の「海賊旗」に由来すると?
スカル・アンド・ボーンズ
スカル・アンド・ボーンズ(Skull and Bones、S&B、頭蓋骨と骨)はアメリカのイェール大学にある秘密結社。「The Brotherhood of Death」の異名がある。秘密結社にも拘わらずなぜか会員名簿が公開されている。
スカル・アンド・ボーンズの1947年の集合写真、ジョージ・H・W・ブッシュは時計の左にいる
スカル・アンド・ボーンズのエンブレム
で、ブッシュ家といえば、知っている人は知ってますが、あの、ナチスと縁が深いワケです。
世界の真実の姿を求めて!
主要メディアに無視され読けたブッシュ=ナチスの政府公文書の存在
<抜粋>
この機密解除された公文書によれば、プレスコット・ブッシュと彼の仲間であるロウランド・ハリマン(当時の米国外交界のアイドルだったエイヴレル・ハリマンの弟)やジョージ・ハーバート・ウォーカー(現職ブッシュ大統領の母方の祖父)などが、米国が開戦して以降も8カ月ちかくこのドイツ産業界の大実業家と取引を続けていたことが生々しく記されている。
</抜粋>
ここに書かれているハリマンとは、優生学支持者のアメリカのハリマン一族の人間で、優生学とは選民思想の事で、してみるとその思想面でナチスのユダヤ人虐殺に共感していたのでしょう。
ナチスとアメリカの「優生思想」のつながり
優生学
さて、優生学の歴史?は遠くギリシャ時代の哲学者、プラトンにまで遡るワケですが、その弟子であり、アレキサンダー大王の家庭教師を勤めたアリストテレスも、その思想をシッカリ受け継いでいました。
<引用>
『民族と帝国』(アンソニー・バグデン著・訳・猪原えり子・監修・立石博高
ランダムハウス講談社・クロノス選書)より抜粋
その1 「アレクサンドロスは帝国を作りあげる者の典型と考えられてきた。ローマの作家アプレイウスは、「世界帝国を築いた、人類の記憶に残る唯一の征服者」と讃え、見習うべき手本にして超えるべき実例としている。」
その2 「アリストテレスはアレクサンドロスに、ギリシア人だけを人間として扱い、他の征服した民族は動物か植物と考えるように助言した」
その3 征服者「アレクサンドロス大王(紀元前三五六~三二三年)は、自分の名前を付けた都市を何十も作った。…(略)… ローマの哲学者・歴史家プルタルコスによれば(誇張しているのは確かだが)、アレクサンドロスの在位中に七十以上も新しい入植地が作られたという。
</引用>
ここで、スカル・アンド・ボーンズのエンブレムを再度検証すると、「322」という数字が見られますが、この数字が何を意味するのか?様々な憶測がなされていて、で、ワタシが思うにコレはアリストテレスの没年です。つまり・・・
アリストテレスの遺志を継いでいる。
・・・と言いたいのでしょう。
したがってスカル・アンド・ボーンズのマニュフェストとは明らかに選民思想であり、単純な白人至上主義よりも過激で、有色人種はもとより、同じ白人でさえも「間引き」の対象とすることを厭わないワケです。
そうした選民思想を抱く一部の人間が政府、財界を手中に収めるとどうなるか?現在のアメリカの様な状況になるワケです。そして危険なのは、根本的な行動原理は経済ではなく、選民思想を抱くカルト集団だという事です。
現在、政府に対する不満が全米に広がっていますが、下手すると政府を牛耳るカルト集団が、政府に不満を持つ庶民を強制収容所(FEMAキャンプ)に送り込むという、陰謀論?じみた事態も考えられなくは無いワケです。
更に言えば、その為・・・人口の間引きの為には、今回の全米における反政府デモを、「好機」と舌なめずりしているかも知れませんなあ。剣呑。剣呑。
でわっ!