2012年11月25日日曜日

鹿男PART10


 えw、奈良の春日大社の「鹿」を巡ってダラダラと書き綴ってきたワケですが、ここらでもう一度整理してみたいと思います。

 事実関係を羅列すると・・・

1.春日大社の「鹿」は、藤原不比等が鹿島神宮(茨城)から呼び寄せた。

2.不比等の父、中臣鎌子(藤原鎌足)は、中大兄皇子(天智天皇)と共謀して蘇我氏(宗家)を討つ。

3.中大兄皇子は斉明天皇(母:皇極天皇)の下で権力を振るうが、「白村江の戦い(663年)」に破れてしまい多くの百済難民が「倭」に渡来する。

4.叔父である孝徳天皇から皇位を継ぎ天智天皇となるが、皇子・弘文天皇(大友皇子)は天智天皇の同母弟、大海人皇子(天武天皇)の反乱(壬申の乱)により自害して果てる。

5.この間に中臣鎌足は没し、その死に際して朝廷から「藤原」の性を賜る。

6.「壬申の乱(672年)」の終結時、天智天皇方の縁者であった不比等は幼少(14歳)であったことで責を免れる。

7.不比等は、天武天皇>持統天皇>文武天皇>元明天皇と、4代の天皇に奉職する。

8.不比等在任中に、「古事記」、「日本書紀」が編纂される。

・・・と、いうワケで、「白村江の戦い」から不比等が没する720年までの57年の間に、国号が「倭」から「日本」へと変わったことなどを鑑みても興味が尽きないワケです。はい。


歴史は必然を以って流れている。


 というのがワタシの自論であるワケですが、現在世界中でおきていること・・・戦争にしろ、金融にしろ、差別にしろ、原発にしろ、国内政治にしろ、国際政治にしろ、すべては「因果の連鎖」の中にあるワケです(ワタシ的には)。

 その「因果の連鎖」のバックボーンとなっているのが「歴史認識」に他ならないワケで、故に


歴史を検証しろ!


・・・と、繰り返してきたワケですが、最近、「戦後史の正体」なる書籍も出版されベストセラーということで、正しい歴史認識の重要性が広く知れ渡るのはイイことですw。

 ただし、「日本の闇」は戦後史程度で済まされる問題ではなく、「日本」という国の成り立ちから再検証する必要があり、その過程で、特に既得権益に甘んじている人たちにとっては、イロイロと都合の悪い事実がほじくり返されることでしょう。

 で、そうした「嘘の歴史」を常識としてきたワタシにしても、自分自身のアイデンティティーを揺るがされないとも限らないワケですが、そこで精神的動揺に負けずに「踏み止まる」ためにも、


人間回帰


の必要性をクドクド書いてきたワケです。即ち、「人間回帰」=「個人革命」とは、現実を「幼子のように、あるがままに見る」という、簡単なようでもあり、「私利私欲」に凝り固まった心には非常に難しいことでもあるワケです。

 しかし、成長・進歩の限界を迎えているかのような現代社会において何が一番重要かと考えるに、「基礎」、「土台」を固めるという、一見地味な作業だったりするのではないか?・・・と。

 「国」の基礎とは何か?そこに住む人々です。では人間の基礎とは何か?現代人にとってそれは理性です。では理性の基礎とは何か?それは正しい認識です。では認識の基礎とは何か?万人の検証に耐えうる事実です。

 したがって、「事実をあるがままに見る」という行為は普遍的認識の基礎であり、この「揺ぎ無い土台」の上に立たなければ、これ以上の社会の進歩は望めないというのがワタシの見解です。

 経済だの、国際政治だの、付け焼刃の対策をしたところで、その土台がおぼつかない状態では同じ過ちを繰り返すだけでしょうし、そんな事をいつまでも繰り返していられるほど、ワタシたちはこの地球にとって「無害な存在」でいられるワケでもありません。

 スピノザ的に言うならば「宇宙の調和システムは無慈悲」であり、ワタシたちが調和を乱し続けるならば何時の日か必ず


調和のシステムから排除される


時が来るということです。それは「予言・預言」の類とは全く関係無く、ワタシたち自身が蒔く種であり、したがってそうならないように自分自身で軌道修正することも可能だということです。

 なんか・・・歴史の話からスゴwく飛躍してしまいましたが、「基本」は同じなワケです。「土台」をシッカリさせること。そのためには正しい認識・理解を身に付けること。



 その一環として「歴史の再検証」や、「人間の再検証」があるワケで、ワタシのブログなんて、実はソレしか書いてなかったりするワケす。


進歩か、後退か、

・・・と。

 壮大な時間の浪費だったかも知れませんなw。ワタシのブログに目を通していただた「奇特な方々」にとっては・・・。

 最後に、或る歴史マニア?のブログの一文をご紹介して締めたいと思います。


さだべえの 歴史探検

<転載>

はじめに

 日本全国で様々な「まちおこし」が提案されています。でも、個々に特有の要因があるのでしょうが、難航しているケースが多いようです。

 自分の住む「まち」の発展を望まない人はいないでしょう。ただ、それは漠然とした希望にすぎず、具体的な発展イメージが描けない人が多いのも事実です。

 官主導による各種インフラ整備、商業の活性化、福祉の充実等々、様々な「まちおこし」プランがみられますが、一番の難関は「民意の醸成」ではないでしょうか。

 「いつか、だれかが、なにかを」やってくれる。そのはずだ。きっとそうだ。

 この種の発想には、常に「だれかが」であり、けっして「自分」が含まれることはありません。また、この場合の「だれか」とは「国家」に集約されます。

 今までは、それでも問題はなかったのです。でも、今後はどうでしょう。

 すでに「国土の均等ある発展」という「ナショナル・ミニマム」の時代は終りを告げ、当該自治体の税収に応じた自助努力をすべきだとする地域主権型システム、いわゆる「ローカル・オプティマム」に移行しつつあります。

 そして、この地方分権の時代に突入すれば、「だれか」には自分が含まれることを自覚する必要があり、他力本願から自力達成に意識改革しなければなりません。

 このように、地域の人々に発想の大転換を求め、自力達成を根底に置いた「まちおこし」に積極的に参加をしてもらうには、地域コミュニティーの形成が不可避であり、その前段としての「民意の醸成」が不可欠の要件となります。

 ただし、意識改革は簡単な問題ではありません。

 地域住民がコミュニティーを形成するには、住民相互間の共通認識が必要とされますが、その共通認識を構築する上においても、地域の資源特性である「歴史認識」の共有を図るのが最適な手法ではないかと考えます。

  幸いにして鳴子町鬼首には「鬼と女神」という大きな歴史資源が存在します。

 ややもすれば古代史は難解で、専門家以外には無縁の世界だという先入観をもつ人もおられるでしょうが、古代史は各種史料の断片(ピース)を寄せ集めて、自分の推理に基づいて、適当にピースを連結させていくパズル・ゲームです。

 本文における筆者の解説も、あくまでも筆者の推理を展開しているだけのこと。古代史は考古学上の発掘と、その出土品の科学的分析を待たなければ、検証のできない暗闇の世界でもあります。

 皆さんも、これを読みながら独自のパズルを作り上げて楽しんでください。

 そのための材料の提供をしているのです。そして、そこから「歴史認識」の共有が促進されれば、これ以上の幸せはありません。

 では、これから本文に進んでください。

</転載>


JUMP
歌:忌野清志郎 作詞:忌野清志郎 作曲:三宅伸治






人間ナメんなよ!


でわっ!