2012年12月17日月曜日

Too Young to Give Up, Too Old to Revolution.


 これから「日本の本当の危機」が始まるのかも知れません。原発事故なんて、ホンの序の口に過ぎなかったことに気づかされるんじゃないですか?なぜなら、「自由」そのものが奪われようとしているのですから・・・。


自民党憲法改正案草案


 今回の衆院選挙は、多くの人に「不正選挙」の疑念を抱かせています。しかし「お利口」な人たちは、「不正選挙」さえ堂々とやってのける「巨大な力」の前に萎縮し、口を閉ざし、「波風を立てる」ことを避け、保身にのみ専念することでしょうなw。

 それを責める資格なんて、当然ワタシにはありませんが、見え見えのイカサマ博打に負けて、「はい、そうですか」・・・と身ぐるみ剥がされてもヘラヘラ笑っていられるほど、まだ人間もできてはいません。





 そこに「不正」の存在が疑われるならば、それを「検証」するための努力を惜しむつもりはないワケで、先はもう大して長くは無い人生であっても、まだ「Too Young to Give Up」だと、自分では思っているワケです。ま、おそらく死ぬまで「Too Young to Give Up」なんだろうケド・・・。
 
 そういえば過去にもおひとり、そうした人間がいました。ワタシが「反原発」に目覚めるキッカケを与えてくれた、平井憲夫氏です。


原発がどんなものか知ってほしい(全)
平井憲夫


 自分の「余命」と向き合いながら、死ぬまで「真実」を語り続けたその生き様がワタシに、


お前はどうなんだ?


・・・と、問いかけてきたワケですよ。キヨシローにしても同じで、死ぬまで「Give Up」はしなかった。

 「信念」・・・なんて言うと大袈裟ですが、自分が正しいと思ったことを「正しい」と思い続けて死ぬことに、何の遠慮が必要なのか?「正しい」と思うことを公言することに、何の遠慮が必要なのか?「正しい」と思うことに従い行動することに、何の遠慮が必要なのか?

 そうした生き方が認められるのが、「民主主義」というものですよね?もちろん意見の対立から軋轢も生まれますが、まずは自分の意見を公言できる環境。それこそが、ワタシたちが長い年月をかけてやっと手にした財産なワケです。


日本国憲法

第三章 国民の権利及び義務

第十二条
 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。


第十章 最高法規

第九十七条
 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。


 日本国憲法は、無条件でワタシたちを守ってくれるものではありません。憲法で保障された権利は、ワタシたちの不断の努力によって維持しなければならないのです。

 なぜなら個人の人権、尊厳とは誰かから与えられるものではなく、人それぞれが本来持って生まれたものであり、自分のものを自分で守るのは「自立・自律」した人間の当然の行為であり、もしもそれを他人に委ねるのならば、それは即ち、自らを進んで「奴隷」とすることに他ならないワケです。

 故に日本国憲法は、憲法自体が人を拘束することがないように、


これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。


・・・と、前文=日本国憲法の理念にしたため、「憲法」よりも「人類普遍の原理」を上位に置いているワケです。

 そして「政治」とは、「人類普遍の原理」を実現するための道具であり、道具の所有者はワタシたちであり、憲法とは、道具を「共有」するための約束事であるというのがワタシの解釈です。

 ま、憲法論は学者、先生がたにお任せすることにして、さて、今回の衆議院選挙の是非(合憲性)を検証するには、具体的にはどういう方法が考えられるんですかね?

 何度でも言いますが、今回の選挙で「不正が行われた可能性」が否めない(ワタシ個人だけかもしれませんが)以上、徹底した検証(マスメディアも含めた)が行われる必要があります。

 必要とあれば一時的に「国民評議会」のようなものを設立し、国連に監視員の派遣を要請した上で、「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会」に対して恥ずかしくない、理性的な決着をつけるのが「筋」のように思えます。

 なにより、今回の選挙が「有効」であるか、それとも「無効」なものであるかを「検証」することは、今後の選挙のためにも必要なことです。

 考えてみれば、選挙とは「投票」してそれで終わり・・・・というのは不完全で、最終的に全選挙過程を検証する・・・つまり、開票・集計の過程まで含めて検証しないと「正当な選挙」が行われたかどうか証明できず、したがって、「正当に選挙された国会における代表者を通じて行動する」という、憲法の前文からも逸脱してしまうことになるワケですよね?

 結論として、今回の衆議院選挙結果に不審な点があろうが無かろうが、選挙ごとに投票結果の検証は行わなければならない必須事項であり、どうして今の今までひとりの政治家も、ひとりの憲法学者も、この件について言及し、実行しようとしなかったのか不思議でなりません。

 と、いうワケで、さっそく開票・集計の検証作業に入って貰えませんかねwwww。




人間ナメんなよ!


でわっ!