2013年5月19日日曜日

人と人との境界線

   
 今回も「橋下市長」の発言について掘り下げます。もうね?ここまでアチコチで「炎上」したからには、トコトン付き合います。

 で、所謂「知識人」、「リベラル派」を自認する人たちは、「人権」とやらを最終兵器のごとく振りかざしますが、彼らの「人権」に対する認識は甘く、それによって人権の在り方が大きく歪められ、その悪影響が「日本国憲法」にまで波及するのではないか?・・・と、ワタシなんぞは危惧する次第です。はい。

 まずはじめに言っておきたいのは、「人権」とは・・・


個人のエゴ


・・・に他ならないということです。つまり、「ワタシの人権」・・・と口にした時、それは、「ワタシのエゴ」・・・と、言っているのと同じだということです。

 「個人の尊重」とは、その個人が抱える「エゴ(人権)」も含めての尊重であり、お互いに尊重し合うという状態は、「エゴの衝突」を生むことになります。
 そうしたエゴの衝突を回避するため、もしくは衝突の衝撃を吸収、拡散するために、「日本国憲法」の中には「公共の福祉」・・・という概念が導入されているワケで、これをもっと簡単に言うと、


自分が嫌な事は、他人にもすなっ!


・・・と、いうことです。

 「日本国憲法」では「公共の福祉」という概念を導入していますが、人と人との「エゴの衝突」を回避、和らげるために、宗教的に導入された概念が「愛」です。


愛ですよ、愛!


 即ち、「公共の福祉」とは「愛」の一形態であり、そこが自民党などの改憲案に見られる、「公共の利益」という概念とは、一線を画するところなワケです。

 ま、この話は本論とは関係ないのですが、「人権」=「エゴ」であることを理解するところからはじめないと、「人権」という言葉だけが浮き足立って、足元すくわれるんじゃねwの?・・・と、老婆(爺)心ながら心配になるワケですよ。

 人間集団、社会を形成する過程で、「個人」のエゴ(人権)の衝突が起こるのは必然であり、人と人との境界線をどう引くか?・・・ということが、近代社会の主題=人権論に発展するワケです。

 そうした「人間のエゴ」というものの例え話に、「ヤマアラシの夫婦」という話があるのですが、話の内容は割愛させていただくとして、この話の要点は、「エゴ」のぶつかり合いに、明確な境界など無い・・・ということです。(これはワタシの理解ですが)

 つまり、人と人の間にも明確な境界線など無く、お互いの「エゴ」の接触点には「グレーゾーン(交渉領域)」がある・・・と、いうことです。そしてそのことで、「エゴ」の衝突衝撃が緩和されるワケですから、境界なんて、キッチリ線を引いて決めない方がイイ・・・という理屈にもなります。

 ワタシが危惧するのは「人権擁護」を訴える団体、活動家が、こうした事実を踏まえずに「迂闊」に線引きをしてしまい、それが既成事実とされ、後々に悪影響を及ぼすのではないか?・・・という点です。

 さらに付け加えるならば、この「グレーゾ-ン」とは、「人間の愚かさの象徴」であるとも言え、みんなが、お互いに「愚か」であることを了解しているからこそ、「グレーゾーン」が、「愚かさの緊急避難所」として必要とされてもいるワケです。

 そうした人間の本質を理解せずに、「グレーゾ-ン」を撤去することが近代理性であり、確固たる「人権」の獲得に繋がる・・・と信じている、清廉潔白な人権活動家などは、ワタシに言わせれば、


人間を神にでもする気か?


・・・と。

 人間はどこまで行っても人間であり、「愚かさ」を抱えて生きていくのが人間だとワタシは思うワケですが、「愚かさ」とは「不完全性」でもあり、それゆえに、人間が進歩するためのモチベーションにもなり得るワケで、悪い面ばかりじゃないとも思うワケです。

 橋下市長の「従軍慰安婦」に対する一連の発言は確かにいただけませんが、それに対して、「フーゾク業界」を一緒くたにして、「人権!人権!」と騒ぎ立てている知識人もまた、いただけないですなw。幼稚すぎますw。

 人間が「性善」であろうが「性悪」であろうが、個人の人格にも表裏があるように、「両面」が揃って一体を成していることを、まず認める必要があります。

 こういう言い方をすると、「必要悪」というものを認める考え方にも発展し兼ねませんが、ワタシの持論は、


必要悪は無い。在るのは許容悪だ。
 

・・・というもので、この「悪の許容範囲」が、上記の「グレーゾーン」・・・「エゴ」の許容範囲だと捉えています。

 したがってそれは「必要悪」というをとらず、人と人との関係性や、その場の状況によって定義(善悪)が変化する・・・と、言えます。

 フーゾクの女性に海兵隊員の性欲を解消してもらおうという、その考えがおぞましい・・・とは、琉球新報の社説ですが、そうした仕事に就く女性も同じく、おぞましいということですかね?

 ま、フーゾク・・・たとえばキャバクラとかも、「接客業」という、れっきとした仕事なワケですよ。銀座のクラブも然り、温泉芸者も然り、メイドカフェも然りです。そんな中で、海兵隊員相手の「接客業」だけはおぞましいと?


とんだ職業差別ですなwww!


 不本意ながらも、望まない仕事を選択する人はたくさんいます。いい就職口が無いとか、突然会社が倒産してしまったとか、その事情は様々ですが、それでも、できれば「生活保護」のお世話にならずに食い扶持を稼ごうと、努力をしているワケですよ。見上げた心意気です。

 それを、海兵隊員相手の「接客業」を選んだ女性に対して、「おぞましい」などと「上から目線」で言われては、


身も蓋もありませんなwww!


 そうした、庶民感覚から乖離した知識人、もしくは第三極と呼ばれる政治運動が、いくら「正論」をブチあげたところで誰も本気で耳を傾けないでしょう。なぜなら彼らの言う「正論」とは、彼らの「イデオロギー」に基づく正論であり、残念ながら普遍的な共感は得られないからです。

 政治運動が「イデオロギー化」した時点で、既に時代の流れからは取り残されており、自民党などの旧来の勢力と何も変わらない・・・ということに自らが気づかない限り、「みどり」だの、「グリーン」だのといった政治勢力が、この夏の参議院選挙で票(支持)を集めることはできないでしょう。

 今ならまだ間に合います・・・が、どうします?野党のみなさん?






人間ナメんなよ!


でわっ!