2013年5月10日金曜日

集団的自衛権とは?

  
 同盟国が他国より侵略を受け、自衛のために戦闘状態となった場合に加勢すること・・・で、あくまでも「防衛戦」の範疇である。

 サンフランシスコ平和条約でも「日本の自衛権」は認められており、日本本土に対する侵略攻撃に対しては、防衛戦が認められている。

 しかし、同盟国の本土が他国からの侵略にさらされない限り、海外に派兵することは「防衛戦」の枠を超えており、日本国憲法の第9条に違反する。

 原則として、同盟国などとの合同演習の目的以外で、日本の自衛隊が海外に展開することは認められない。

 先のイラク戦争の時のように、たとえ非戦闘地域での後方支援であれ、自衛隊を海外に派兵するのは憲法違反である。

 したがって、現在アフリカに駐留中の自衛隊部隊は、直ちに日本国内に帰還しなければならない。


自衛隊の本格拠点、「ジブチ」の町を取材
< 2011年7月13日 16:59 >

 ソマリア沖で海賊対策にあたる自衛隊の新たな拠点が、アフリカ東部・ジブチに誕生した。海外で初めての本格的な“基地”となる現地では、ある変化も起きている。その様子を富田徹記者が取材した。

 午前5時、ジブチにある自衛隊の拠点では、3時間後の飛行に向けた準備が着々と進められている。海上自衛隊の「P3C哨戒機」がこれから飛び立つのは、日本と天候もまるで違うアフリカの空…入念なチェックが続く。任務は、ソマリア沖の海賊を上空から監視すること。約8時間の飛行を週3回のペースで行う。日本政府は、この活動を10年以上の長期に渡り続ける構えだ。

 ジブチには、この任務を支える約180人の要員が常駐する拠点が作られた。さらに、ジブチの港には海上自衛隊の護衛艦が派遣されている。ソマリア沖を航行する船を海賊から守るためだ。合わせて500人以上の自衛官が滞在する国となったジブチだが、町では、ちょっとした変化が起きていた。

 たとえば、アイスクリーム屋には、店を訪れる隊員向けに日本語で書かれたメニューが登場した。ジブチに寄港中の自衛官は、「日本語のメニューがあると、やっぱり親近感がわきますね」と、笑顔をみせる。中には、きれいに盛りつけられた“お造り”をメニューに出すお店もあった。この店では、自衛隊がジブチを訪れるようになった2年前から和食をメニューに加えたという。

 しかし、ジブチの人々にとって自衛隊はいわば外国の軍隊。警戒心はないのだろうか。ジブチの人に尋ねると、「自衛隊の拠点ができても、すでにフランスやアメリカの基地があるから、何も変わらないよ。“おまけ”みたいなものだからね。自衛隊の拠点誕生は、ジブチにとっていいことだと思うよ。仕事が増えるだろうし、経済にとっても良い影響があるだろう」と、分析する。経済的なメリットへの期待の方が大きいようだ。

 一方、自衛官たちは、日本から遠く離れた国で任務を続けることをどう感じているのだろうか。市内のレストランに食事に来ていた、護衛艦で寄港中の隊員たちに聞いてみた。北園三等海曹は、「どちらかといえば、震災派遣に行きたかったというのはあります」と、“日本への思い”を語る。彼らが日本を離れたのは3月15日。実に、東日本大震災発生から4日後のことだった。宗海一等海士と牧二等海曹は、それぞれ「日本が大変な時に海外派遣に行っていいのかなと思った」「近所の人からは、『日本の国益にかかわるような仕事だから、胸を張って行ってきなさい』と言われた」と、当時の様子を振り返る。

 日本でも活躍の場があったはずなのに、あえて海外での活動に参加しなければならない理由は何なのか。若い隊員たちには葛藤(かっとう)があるようだ。そこで、ジブチで空の任務にあたる隊員にも話を聞いてみることにした。

 現在、ジブチの空で活動しているのは、東日本大震災時に空から遭難者の捜索などを行った青森・八戸の部隊。「P3C哨戒機」の乗員、服部一等海曹も震災発生当日から被災地上空を飛びまわった一人だ。服部さんは、「一番はじめに見たのが、気仙沼の悲惨な光景。私もああいう光景を見るのは初めてで、クルー全員が言葉を失っていました」と、当時を振り返る。震災復興支援の任務途中で、海外に来たことへの心残りはあるのだろうか。この問いに対して服部さんは、「こちらもやはり日の丸のためにやっている仕事ですので、与えられた任務をやるだけです」と、話してくれた。

 遠く離れた異国の地で日の丸を掲げることの意味…それは常に問いかけ続けていくべきことなのかもしれない。


 ソマリア沖の海賊相手に自衛隊が出動する「大義」は無く、日本籍のタンカーの航路の安全確保が目的であれば、「海上保安庁」から人員を派遣するのがスジである。日本本土を防衛するための自衛隊が日本を留守にするなど、あってはならない事なのだ。

 海上保安庁職員には、日本に向かう船舶の航路の安全を守ることを誇りに、そして自衛隊員には、日本の国土を守ることを誇りに、任務に当たっていただきたいものである。

 したがって、ジブチの自衛隊員のみなさんには、一刻も早く日本に帰還していただきたい。

 何度でも言うが、サンフランシスコ平和条約で日本の自衛権は認められており、自衛のための戦いについてまで、憲法第9条では否定していない。

 9条で否定しているのは、「国権」の発動による武力行使であり、武力行使による国際紛争の解決であって、自衛隊の存在を否定しているワケではない。

 「戦力」という言葉の解釈に拠るが、「戦力」には、「攻撃力」と「防衛力」のふたつの側面があり、日本国憲法で放棄している武力行使とは、「攻撃な武力」の行使に他ならない。

 詭弁に聞こえるかも知れないが、同じ「刃物」であっても、身を護るために使われることもあれば、通り魔殺人にて使用される場合もあり、使う人によってその「役割」は大きく変わるのである。

 「武力」にしても同じく、使う人によってその「役割」が変わるものであり、正しく使うのであれば、誰からも非難される筋合いでは無いし、また、その行使においても、国際社会から理解されるであろう。

 戦前、戦中の軍指導者に見られた、「キガイに刃物」のような状況にならないよう、憲法第9条は戒めているのである。

 陸軍、海軍、空軍を保持しないのであれば、陸上「自衛隊」、海上「自衛隊」、航空「自衛隊」でいいではないか。自衛隊の「本分」は「軍隊」であることではなく、日本本土を外敵から「防衛」することであり、そのことを理解していれば、逆に「自衛隊」という名称に誇りを覚えるハズである。

 その精神は気高く、古の中国に存在した「墨家」のようでもある。「墨家」は「非戦思想」でありながら、侵略に対しては徹底的にこれを防いだと伝えられ、「自衛隊」の在るべき姿を示してはしないだろうか?

 始皇帝の中国統一の少し前に、「墨家」は歴史上から忽然と姿を消してしまったが、その伝説上の「墨家」が、「自衛隊」となって現代の日本に甦ったと想像するだけで痛快である。「墨家」のふるさとである中国に向かって、自慢したいくらいである。


自衛隊よ、墨家のごとくあれ!





人間ナメんなよ!


でわっ!