2006年5月27日土曜日

BAよ永遠に

「BA」と言えば・・・
ハイ。BA(婆)ちゃんデス。

何を隠そう、私、お婆ちゃん子でした。
父方の祖母は私が幼い頃に亡くなってしまったので
記憶に残っているのは母方の祖母のことばかりなのですが、
なにしろ、祖母に怒られたという記憶がありません。

怒られた記憶が無いのは勿論なのですが、
だからといって、甘やかされたという記憶もありません。
なのに、なんで祖母が好きだったのか?

いつもお地蔵さんのように静かに佇んでいた祖母だったのデス。
昔話をイロイロ聞かせてくれた祖母だったのデス。
関東大震災、第2次世界大戦を生き抜いてきた祖母だったのデス。
謂わば「歴史の生き証人」だったのデス。
子供心に湧き上がるいろいろな疑問にひとつひとつ真面目に応えてくれ、
父や母さえも頭の上がらない私にとっては「神」のような存在だったのデス。

インターネットでありとあらゆる情報が瞬時に蒐集できる昨今、
「歴史の生き証人」なんて意味の無いことの様にも見えます。
しかし、歴史は「頭」だけで理解するものではなく、
「体」で受け止めてこそ次の世代にバトンタッチできるのではないでしょうか?

私とて、祖母からの又聞きの歴史認識ですが、
祖母の人生に実体験として刻み込まれた歴史は祖母の中で、
祖母が死ぬまで祖母と一緒に生き続けたワケで、
教科書の中の「死んだ歴史」ではなく「生きた歴史」だったのです。

「歴史」とは人間の日々の営みの上に形成されるダイナミックで
生命力に溢れる無形の産物。と言えないでしょうか?
「靖国問題」を含む先の大戦の禍根により
日本と周辺諸国の関係がギクシャク(険悪?)した現状・・・

ひとつだけ確かな事は、
どの国の国民も進んで戦争に突入したのではないという事。
各国の指導者・指導部による国策、国益に食い違いが生じ、
結果として各国の国民が戦争に巻き込まれたという事実。
その事を一番良く知っているのはやはりその当時を生き抜いて来た
爺ちゃん、婆ちゃんたちで、
自己擁護に詭弁を振う各国の指導者や政府じゃないでしょう。

民の心情というものはどこの国であってもそんなに変わらない。
というのが私の基本信念デス。
往時を生き抜いた市井の老人たちを一堂に集めてサミットでもすれば
孫たちの為にも後世に禍根を残さない様、
老人の知恵?で戦後の諸問題も一気に平和的に処理できるのでは?
・・・などと考えるのは甘いですかネェ?

ま、政と民は必ずしも一致しないわけで、
これは日本に限らずどこの国も同じ。
正直、政治家だけに任せていたら世の中ちっとも良くならないのでは?
などと、最近シミジミ思います。

中国の民。朝鮮の民。その他の世界中の民と
平和的に共存できる日が来るのはそう遠くないと信じたいデス。はい。

で、なんで急にこんな事を書く気になったかというと、
今日、久しぶりにチュー・マン・チン通り(スカイガーデン横)にある
小じんまりとした市場を通った際、
顔馴染みの乾物屋のお婆ちゃんと目が合いほんの瞬間、
お互いに笑顔を交わしただけだったのですが、

(おぉ~、お婆ちゃんまだ生きてたんだ。元気そうでなにより。)

(アンタもネ。ちゃんと仕事してんの?)

と、いうような感じで(あくまで本人の思い込み)、
お婆ちゃんの品の良い笑顔に、祖母のお地蔵様の様な笑顔が重なり、

(あぁ、このお婆ちゃんも先の世界大戦、ベトナム戦争と、祖母と同じように歴史の荒波を乗り越えて来たんだなぁ・・・)

と。

その上で、安らかな、お地蔵さんの様な笑顔に到達できるなんて、
やはり、年を経た人間に対して畏敬の念を抱かざるを得ないワケで。
(まだまだ未熟者ですから、私。)

そしていま、「歴史の生き証人」たちがまだ存命している内にこそ
戦中・戦後をきっちり清算しておかなければ、
「国益」だとか、「品格」だとか、
本来の「歴史的事実」とはかけ離れた歪んだ次元に問題がすり替えられ、
結果として、ただ只、醜い応酬がこの先も繰り返され続けるのではなかろうかと
遠いベトナムの空の下で、日本の行く末を案ずる次第です。はい。