2006年5月20日土曜日

I WANDERING AGAIN

つづく・・・

3日目の朝、ホテルのビュッフェでシッカリ朝食を摂ってから
ホーチミン行きのバス乗り場(プサー・トマイ横)へ。
GFは見送ってくれなかったケド、まぁそれも止む無し。
なんせ朝寝坊だからね・・・でも正直ちょっとさみしいっす。
(思いやりを持つというのは結構シンドイ事かも知れません)





「感謝」と「謝罪」:「謝」、日中間の感性の違い

http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1979288/detail


バスは8時過ぎにプノンペンを出発し、12時前にはバベット手前の食堂に到着。
ここで乗客が食事をしている間にバスの車掌が出国手続きを代行してくれます。

で、食事をしている最中、ウルサイ蝿を追い払おうとしたら
誤って飲んでいたカフェー・タッコー(ベトナム名:カフェ ダ~)を
テーブルから落としてしまいました。
(アララァ~、ヤッチマッタ~!)

当然ガラスのコップは床に落ちて粉々に・・・なるハズだったのが、
落ち方が良かったのか、中身はブチマケテしまいましたがコップは無傷。
食堂のお姉ちゃん(カンボジア人)が


「おかわり持ってくるから。」

とありがた~いお言葉。同じテーブルで食事をしていた4歳くらい?の白人の女の子に

「ダイジョウブダッタ?」

と尋ねると、向かいに座っていた父親が

「ニホンジンデスカ?」

と話しかけてきたのでそこから少しお互いの身の上話など。
こっちはサイゴンでジミ~な生活をしているので話題が少なく、

主に相手(アメリカ人)の身の上話の聞き役。

彼、ショーンはユタ州の出身でカンボジアで2年暮らし
奥さん(ベトナム人)と結婚してから一旦アメリカに戻り、
2年アメリカで生活した後、仕事の関係で現在2年間サイゴンに滞在してるとの事。
娘を2区のインターナショナル キンダーガーデンに通わせているらしいです。
(2区に外国人用の幼稚園なんてあるんだ~)

娘の名前はアリシア。奥さんの名前は・・・・忘れた。(失礼。)



「ナイス トゥ ミーチュー♪」

とアリシアと軽く握手して、奥さんとも、と思ったら
マンカウをパクパク食べてた奥さんは果汁で手がベトベト状態。

「アラヤダ、ワタシ手ガ汚レテルワ。ゴメンナサイ。」と握手パス。
(タ、助かった・・・)

食事が終わるちょうどいい頃合で車掌が国境職員を連れて戻って来て
バスの乗客の確認が済むと再びバスに乗り込み国境へ。
そういえば、お姉ちゃんが持って来たおかわり、
カフェー・タッコー(カフェ ダ~)じゃなくて
カフェー・タック・ドッコー(カフェ スダ~)に変わってて、

「お金取ろうかな~?」

とお姉ちゃんがニヤニヤしながら言うので

「ミエンフィーにせい!」

と。
結局、カフェ ダ~の値段でカフェ・スダ~を飲ませてもらったのだから
お姉ちゃんに感謝!

バベット国境で乗客の最終確認とバスの内外を軽く調べ終わると
バスに乗車したままベトナム側のモクバイ国境へ。

(リア ハウイ カンボジア~。シンチャオ ベトナ~ム。)

ベトナム側の入国手続きもバスの車掌が代行してくれるので
イミグレの長い列に並ぶ必要がなく、
大きな荷物を抱えたバックパッカーを尻目に

(よっ、ちょっくらゴメンよっ!)

と、イミグレのカウンターを一瞬で通過するのは快感でアリマス。

あとは一直線に1区に戻るだけ。
のハズだったのですが今回は珍しく国境から少し離れた警備所にバスが止められ、
な~んか、入念にバスが調べられました。

乗客は荷物を置いたままバスから降ろされてボ~っと
チェックが終わるのを待っているしかありません。

(あぁ~、空が青いなぁ~。風が気持ちイイなぁ~)

などと思いながら草を食んでいる水牛を見ているうちに検査が終わり、
バスは再びサイゴンに向かって走り出したのでした。
チミタチもたまには真面目にお仕事(国境警備)しないとね♪

旅に出ると毎度の事ながらイロイロな出会があります。
時として私を疲れさせる事もありますが、
ヤッパリ、旅は楽しいものでアリマス。

おわり