2012年3月13日火曜日
中東史概略
現代に連なる中東の歴史をどの時点から考えるか?・・・とした時、やはり「ユダヤ教」「キリスト教」「イスラム教」の、三大宗教が揃った時点からが無難か?・・・と、ワタシには思えるので、ま、その他のマイナー?な宗教・・・「ゾロアスター教」とか、「ミトラ教」とか、「マニ教」とかの影響は割愛して話を進めます。
しかし、改めて考えてみると、世界三大宗教は中東が発祥なんですよねえ。「キリスト教」は欧米の宗教のように思われがちですが、それはローマ帝国内で「キリスト教」が布教されていく過程で、ローマ帝国風に「アレンジ」されたせいではないか?・・・と。
キリスト教:諸教派の系統図
ローマ帝国にとってのキリスト教
ユダヤ戦争(66年 - 74年)
東西ローマ帝国(400年頃)
キリスト教の主導権?がエルサレム派からローマ派(パウロ側)に移って後、イスラム教が勃興し、ローマ帝国とサラセン帝国(ウマイヤ朝:661年 - 750年)の両雄が並び立つ時代になりますが、ウマイヤ朝の最盛時には西ーマ帝国は既に無く、AD700年から750年頃の間はこんな感じではなかったか?・・・と。
ウマイヤ朝と東ローマ(ビザンツ)帝国(750年頃)
ウマイヤ朝は、首都を現在のシリアのダマスカスに置き、その勢力を大いに拡大したしたが、イスラム教の後継者(カリフ)の地位を巡って内紛が絶えず、それにより瓦解してしまいます(750年)。その際にスンナ派とシーア派に別れ、その確執が現在まで続いているという次第です。はい。
ウマイヤ朝の殆どの領地は、反乱を起こしたアッバース家(シーア派)が引き継ぎアッバース朝となり、王家(スンナ派)はイベリア半島に逃れ、後ウマイヤ朝を興します。
アッバース朝(750年 - 1258年)
後ウマイヤ朝(756年 - 1031年)
で、アッバース朝はモンゴル帝国に滅ぼされ、後ウマイヤ朝は、またしてもカリフ後継問題にて自滅してしまいます。
アラビア半島に居を構えるアッバース朝が滅ぼされた後、アッバース朝に継承されていたカリフの地位を、エジプトに居を構えるマムルーク朝が引き継ぐことになるのですが、マムルーク朝もオスマン帝国によって滅亡し、受け継がれ来たカリフの位も廃止されてしまいます。
マムルーク朝(1250年 - 1517年)
オスマン帝国(1281年 - 1922年)
いよいよオスマン帝国が登場し、時代は「近代」に突入するワケですが、この続きはまた改めて。ただ・・・ひとつ言えることは、どうも「イスラム教」だけでは、アラブの諸部族をまとめ上げるのは無理なんじゃないかと。
即ち、「アラブ人の誇り」とやらと「イスラム教」とは、どうも・・・
別問題?
のように思えてなりません。そうすると「宗教」って全般的に見て、イッタイ何なんでしょうね?「争い」を止める手立てにならんワケでしょ?コト、中東においては・・・。
人間ナメんなよ!
でわっ!