2013年2月14日木曜日
あなたの心は誰のもの?
前回は生意気にも武田センセに異を唱えましたが、今回は「全く同感!」・・・と、胸のすく思いです。ベトナム語で言えば、「ドン・イー(同意)」といったトコロです。はい。
インドの「巨人の星」
以前、アメリカにおける「大衆心理操作」の歴史を追った、イギリスBBC放送製作による「自我の世紀(the CENTURY of the SELF)」という動画を紹介しました。
大衆心理操作(洗脳)の歴史 1
大衆心理操作(洗脳)の歴史 2
大衆心理操作(洗脳)の歴史 3
これを観れば、所謂「洗脳」というものが、例えば「オーム真理教」のように、特別な環境の下、特別な人たちによって、特別な人たちに対してのみ、行われるものではないことが分かります。
現代社会においての「洗脳」の方法は、ますます洗練され、そして表面的には見えにくくなることで、既に日常化しているとも言えますし、そうした日常の中で、自分の心を見失っているとも考えられます。
で、アニメを日本の主要輸出産業にしよう・・・と言った首相が、過去にいたように記憶していますが、海外で日本のアニメが人気があるからといって、国税を投入して輸出産業として育成することに、ワタシとしては違和感を覚えたワケです。
ま、単なるワタシの郷愁なのかも知れませんが、「あしたのジョー」にしても、「銭ゲバ」にしても、あと・・・「光る風」とかにしても、主人公は常に反体制派でした。そのことはつまり、作者自身が反体制派であり、マンガというものが「カウンターカルチャー」であったと言えます。
大人たちには、「マンガを見るとヴァカになる!」・・・と、叱られながら、それでもコッソリとマンガを読み耽ったものでしたが、それに比べると現在は「隔世の感」があります。マンガ、アニメがもてはやされ、映画やドラマの原作になる時代ですから、過去の「日陰者」=「カウンターカルチャー」の時代が、まるで幻だったかの様にも思えます。
が、ワタシに言わせれば、「つまらない時代」になったものです。「カウンターカルチャー」であることにマンガ、および作家の存在意義を感じるワタシとしては、彼らと彼らの作品=マンガが権力側・・・もしくは「多数派」と迎合するということは、大いなる喪失?損失?としか言えません。
つまり、「多数派」に対しての「カウンターカルチャー」が消失すれば、残るのは「モノカルチャー」であり、文化の多様性という観点からすればマイナスとなり、文化そのものを、単調でツマラナイものにするであろうからです。
「権威」を振りかざす「多数派」に対しての、ホンのささやかな「レジスタンス」。それこそが、次なるステップへと文化が上昇する上での「創造の原動力」になるのだとワタシは思うワケです。
したがって「体制」に取り込まれたマンガに、「企業」に取り込まれたマンガに、何が生み出せると言うのか?生活のためにマンガを描くというのなら、原発のPRマンガだけ描いてればイイんじゃないですか?政府の広報に「四コマ」マンガを連載させてもらえれば、税金で収入が得られるワケですよね?
マンガ家は権力者のイヌなのか?
・・・と、苦言を呈したいワケですよ。昔からのマンガ愛好家としては。
マンガ家としての矜持を持て!
・・・と、奮い立って欲しいワケですよ。ま、マンガ家に限らず、すべての「カウンターカルチャー」の担い手に対してですけれども・・・。
特にロックミュージシャンは酷い!
・・・と言っておきます。「キヨシロー」以外、誰一人として公然と「反体制」を歌にするロッカーが現れないワケで、
日本のロックは死んだ!
・・・としか言いようがありません。
しかし、その「魂」は・・・「キヨシロー」が示してくれた「矜持」は、多くの有名・無名を問わず多くの「ブロガー」に受け継がれ、「カッコだけのロックミュージシャン」より、遥かに、「魂がロックしている」と言えるでしょう。
本題に戻ります。武田センセが仰られるように、マンガ、アニメに企業PRを挿入するのは、れっきとした「サブリミナル」であり、過去の「ポケモン事件」からしても、その効果を狙っている(というか、NHKがそれを明言している)ことは明らかですが、残念ながらインドでの放送ゆえ、公共広告機構や消費者センターはそれを指導することが出来ません。
であれば、日本心理学会であるとか、脳生理学会であるとかが、「学者の良心」を以って諌めるなり、歯止めをかける方法もあるワケですよ。それとも「企業」とグルになって、彼らも「御用学者」ですか?
最近テレビを見ていると、出演者の着ているTシャツのロゴがボカされていたり、飲み物や調味料の商品名がボカされているのが妙に目障りに感じるワケですが、「そこまでスポンサーに気を遣っているのか?」・・・と、「番組スポンサーでない企業名は隠すのか?」・・・と、穿ってしまうワケです。
もうね?どこのテレビ局も下り坂なのは、「再放送枠」の増加からも見て取れます。新しいコンテンツを生み出す力がないワケですよ。財政的な面もあるでしょが、なにより「創造力」がなくなっているのが一番の原因でしょう。
そうした衰退の道を歩みつつあるメディアにとって、「税金」は魅力的な収入源なワケで、喜んで政府のプロパガンダに協力するでしょうし、「原発推進」にも協力するでしょうよ。
いつぞや「産経」の記者が「緑の風」の記者会見の席で、「我が社の世論調査では緑の風の支持率が低いが、それをどう思うか?」・・・と、得意気?に質問していましたが、それを見て(オイオイ、チョット待ってくれよ)・・・と。(一介の個人企業の世論調査に、どんだけ価値があんの?)・・・と。
社会の、民意の代弁者のように振舞っていますが、マスコミは全て個人企業です。何ら公的な権限を持っているワケではありません。あくまでも企業の利潤を追求しているに過ぎません。そんな個人企業が、「ウチの世論調査がw」・・・と高飛車に出たところで、なんぼのもんじゃい!・・・と。
フツーに考えれば分かることです。
で、話は戻りますが、もしインドでそうした「サブリミナルアニメ」を日本企業が放送しているのだとしたら、即刻中止、もしくは打ち切るのが、アジア各国が日本に寄せる信頼を貶めないためにも得策でしょう。
同じアジア人でありながら、植民地主義、グローバリストの片棒を担ぐような真似をするのは、アメリカの半植民地的な日本の現状からしても、「侍」の「矜持」からしても、「国家の品格」からしても、ワタシにも恥ずべき行為にしか見えないワケですw。orz
人間ナメんなよ!
でわっ!