2013年2月15日金曜日

インターネットで政治は変わるのか?

       
 不正政党・・・もとい、自民党が今夏の参議院選挙にて、インターネットによる選挙活動の解禁を掲げていますが、ワタシには胡散臭さがプンプン漂うワケですw。

 ワタシもこうしてネットを利用する立場ではありますが、多分、「ネット選挙」を諸手を上げて賛成している諸氏に比べて、ネットの力をそれほど評価していません。

 先ず第一に、昨年末の衆議院選挙にしても、選挙期間中はアレにしても、その前にネット上では十分に情報の交換、公開がなされていたワケで、投票に臨むに当っての心構えは各人備わっていたハズです。

 総論としては、ネット上の民意と現実世界の民意が乖離していたと言われていますが、ま、ソレはアレとして、ネット上の民意が、現実世界にダイレクトに反映されないのは事実です。


何故か?


 少子高齢化が取り沙汰されて久しいワケですが、早い話が「老人」が増えて「若者」が減っているということですよね?そうした老人たちの何パーセントがインターネットを利用していると言うのか?

 孫崎氏もインタビューの中で仰ってましたが、ご自分はインターネットに疎いので、他人の力を借りているそうです。ネットを利用して情報発信をされているご自身がネットに疎いとは、おしなべて同年齢層の方々が、どの程度ネットを利用しているか想像がつくはずです。

 少子高齢化という社会の現実からしても、「老人」と「若者」のどっちのほうが「有権者」が多いのかは明白なワケで、少ない有権者層に向かって働きかけても、選挙結果はその有権者数に見合ったものになるだけです。

 つまり、「ネット解禁!」・・・などと、舞い上がっているひとたちとは別に、確実にデジタルディバイド化される多数派のご老人が発生するということに、何故思いが及ばないのか?・・・と。


188.安倍晋三がネット選挙解禁を唐突に言い出したのはなぜか?


 そうした「ネット環境」から隔離されたご老人たちの票を、どこかの政党がまとめ上げることができれば、先の衆議院選挙と同じ轍を歩むことになるだけです。ま、もっともワタシは、


不正選挙


・・・だと思っていますが、ご老人に限らず「女性」にしても、ネットに接続して積極的に情報を収集しようという奇特な人がどれだけいるのか?

 特に、直接的に政治の影響を受ける主婦などは、日常の家事に追われ多忙な人が殆どでしょうし、そうなると、つけっ放しのテレビ・ラジオからの情報を、家事をしながらの「ながら見」、「ながら聞き」というのが一般的な情報収集スタイルになるでしょう。

 したがって女性層に対しても、「ネット解禁」の恩恵はそれ程・・・というか、ほとんど無いと思われ、従来の公職選挙法がイイか悪いかはアレとして、ネットが使えない状況では「チラシ」を配ったり、「集会」を催すなりして情報の交換を図ったものが、「ネット解禁」となると、逆にそうした連帯が分断される可能性も考えられるワケですよ。

 デジタルディバイド・・・分断されてしまった「老人」、「女性」はどこに向かうのか?無料で情報を提供してくれる「テレビ」であったり、気軽に何度でも読み返せる「新聞」になるのは当然です。

 と、いうことは、いくら「正論」を唱えたところで、「ネット空間」という閉ざされた世界の中だけに留まっている限り、現実世界への波及効果は、「ネットコミュニティー」の大きさに比例するだけである。・・・と、いうことです。

 そして、それを狙って「ネット解禁」を推進しようとしているのだとしたら?・・・と、ワタシなんぞは穿ってしまうワケですが、いずれにせよ、選挙はワタシたちの一番重要な権利のひとつであり、その権利の行使に当っては、全ての有権者が同じ条件を保障されなければなりません。謂わばスポーツにおける「フェアプレー」のようなものです。 

 以上の観点から、ワタシの結論としては選挙期間中の


「ネット解禁」は時期尚早である。


・・・となります。逆に、普段はネット上で情報を収集していても、選挙期間中はネットから離れ、「老人」、「女性」に向けた何らかの現実的な活動・・・人が集まる場所でのチラシ配りとか、街頭での呼びかけとか、商店街での集会であるとか、そうした実生活に直結した活動の方が、はるかに有効だろうと思う次第です。

 「ネット選挙」を待ち望んでいるひとたちに水をさすようでアレですが、繰り返しますが、「選挙」は全ての有権者が、同じ条件の下に参加できるように保障されなければなりません、それが、民主主義と言われるものの第一歩だとワタシは思います。

 ワタシとしても、さんざん「ネットによる連帯」を煽ってきたワケですが、ソレはそれ、コレはこれ。ネットはやはり「道具」の一種であり、「道具」と「主体」の区別はハッキリさせなければなりません。インターネットが便利であるということに「中毒」にならないよう、気を付けなければならないワケです。

 「ネット中毒」と「テレビ中毒」。どっちにしても、「道具」に、「便利さ」に溺れて自分の「主体性」を見失ってはならないワケで、その「主体性」を取り戻そうというのが「人間回帰」であり、その過程の理性的な判断として、時として「便利さ」を捨て去る決心=「個人革命」も位置づけられるワケです。はい。

 ま、「ネット解禁」が本当に政治を良くしているのか?先行しているアメリカ、ヨーロッパの社会状況をよく検討して、その上で考える必要もあります。




人間ナメんなよ!


でわっ!