2013年8月5日月曜日

国籍と人権

  
 前回、日本国憲法には「独立条文」と「並立条文」とがある。・・・と、述べましたが、日本国憲法を考える時、同時に、「憲法の適用範囲」についても考えてみる必要があると思ったワケです。

 つまり、日本国憲法が保障する「自由」であるとか「人権」であるとかは、「国民」に対して保障されていると云う前提であり、それでは「国民」とは誰を指すのか?・・・を決めるのが「国籍法」になり、したがって「国籍法」により「日本人」・・・すなわち「国民」の資格を剥奪されると、「日本国憲法」の外へ放り出されてしまうワケです。

 考えてみれば怖いことで、例えばですよ?税金をいくら以上収めなければ「国民」として認めない。・・・などという「国籍法」の改正が成されれば、低所得者は「国民」の資格を失ってしまうかも知れないワケです。

 そうなれば、いくら「人権」だの「自由」だの騒いだところで、その実効範囲はグっと狭められてしまうワケですよ。荒唐無稽な話のように思われるかも知れませんが、第三十条にて、「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。」・・・と、なっている以上、「国民」であることの要件となり得るワケです。

 勿論、現状ではそんな非常識な条文は存在しませんが、もしそうなったら、「富裕層」だけが「国民」として認められる・・・というような国になり、場合によっては、「国籍」をお金で買う輩も現れるでしょう。

 ただ、「新自由主義」とやらの目指す世界とは、そうした世界なのかも知れませんし、そうした世界にしないためにも・・・子供たちが安心して日本で暮らしていける未来のためにも、現在のワタシたちが「日本国憲法」に無関心ではイカンのですよ。





 日本国憲法の最大適用範囲が「何人(なんぴと)」になるワケですが、これは、「日本国内に居住する者は誰であろうと」・・・ということであり、「天皇」から「旅行者(一時滞在者)」まで全ての人間を含みます。そしてその内の、「すべての国民」という範疇が「国籍法」の適用範囲になるワケです。

 さて、純粋に「人権」を考えた場合、その人の国籍が人権に影響するのでしょうか?アメリカ人と日本人の人権は違うワケですか?同じですよね?つまり本来・・・


人権は普遍的なものである。


・・・ということは、近代理性の了解事項であるワケです。

 これに相当するのが、「日本国憲法」における「何人」という括りになるワケですが、「第三章 国民の権利と義務」から該当する条文を抜き出してみると・・・


第十六条何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。
  
第十七条何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。
  
第十八条何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。

第二十条○1信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
 ○2何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
 ○3国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
   
第二十二条○1何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
 ○2何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。
   

第三十一条何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。
  
第三十二条何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。
  
第三十三条何人も、現行犯として逮捕される場合を除いては、権限を有する司法官憲が発し、且つ理由となつてゐる犯罪を明示する令状によらなければ、逮捕されない。
  
第三十四条何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与へられなければ、抑留又は拘禁されない。又、何人も、正当な理由がなければ、拘禁されず、要求があれば、その理由は、直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない。
  
第三十五条○1何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利は、第三十三条の場合を除いては、正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ、侵されない。
 ○2捜索又は押収は、権限を有する司法官憲が発する各別の令状により、これを行ふ。
   
第三十八条○1何人も、自己に不利益な供述を強要されない。
 ○2強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。
 ○3何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。
   
第三十九条何人も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない。
  
第四十条何人も、抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を受けたときは、法律の定めるところにより、国にその補償を求めることができる。
  
 こうしてみると、「国家権力の濫用」に歯止めを掛けるかの様な条文が多いことに気づきますが、戦前戦中の「憲兵」だとか、「特高警察」だとかの横暴を二度と繰り返させないようにするために、こうした形になったであろうことが偲ばれます。もし明日、日本国籍を剥奪されてしまったとしても、これらの条文は適用されますのでご心配?なく。

 とは言っても、正しく適用される保障はありませんワナw。つい先日無罪が確定した、「東電OL殺人事件」の被告とされたゴビンダさんの例も記憶に新しいところですしw。


東電OL殺人事件



無実のゴビンダさんを支える会


2012年11月12日
「どうして私が15年間も苦しまなければならなかったのか、日本の警察、検察、裁判所はよく考えて、悪いところを直して下さい」
(11月7日判決当日のメッセージ)



 この事件に関しては「不審な点」が多く、そもそも「東電OL」とニュースでは報じられていますが、「管理職(東電企画部経済調査室副長)」と云う役職だったワケですよ。ですから、「東電女性管理職殺人事件」としたほうがより実態に沿っているのに、ナゼに?「OL」と報じて事実を矮小化するのか?

 しかも、知られているように父娘二代にわたる生抜きの東電社員であり、且つ、父娘揃って「原子力発電」には反対の立場であったことも、「Wikipedia」にしても全く伏せられており、被害者の名誉を貶めるかのような情報操作が伺えます。

 その他にも様々な情報がネット上には転がっていますが、殆どは憶測の域を出ていない情報なので割愛します。ただ確かなことは、被害者被害者の事件当時の役職は、東電企画部調査課副長であり、単に「OL」として報道するのは、明らかに「ある意図」が働いているとしか思えない・・・と、いうことです。

 そんなワケで、被害者が「原発の危険性」をレポートにまとめていた・・・という噂も信じたくもなります。ちなみに、一審の無罪判決を破棄して、ゴビンダさんに「無期懲役」を言い渡した裁判官はこんな人です。


高木俊夫


担当訴訟

北海道庁爆破事件1988年1月22日、札幌高裁裁判長として控訴を棄却して死刑判決。現在、再審請求中。
足利事件1996年5月9日、東京高裁裁判長として控訴を棄却して無期懲役判決。その後、最高裁で確定したが、2010年に再審開始が決定して再審無罪判決。
狭山事件1999年7月7日、東京高裁裁判長として第2次再審請求を棄却した。現在、再審請求中。
東電OL殺人事件2000年12月22日、東京高裁裁判長として一審の無罪判決を破棄して無期懲役判決を言い渡した。2012年6月7日、東京高裁(小川正持裁判長)が再審開始と刑の執行を停止する決定。
精神障害の司法試験受験生による但木敬一宅襲撃事件2001年7月10日、懲役3年執行猶予5年とした一審判決を破棄し、東京高裁裁判長として懲役3年、保護観察付きの執行猶予5年の判決を言い渡した。


 何か?問題ありそうな裁判官ですなw。「絵に描いた餅」のような「日本国憲法」じゃ、何の意味もないワケですよ。「日本国憲法」を実践する社会を作り、裁判システムの確立、社会意識が伴わなければ、「自由」も「平等」も「人権」も守れないどころか、自民党や、公明党や、維新の会や、みんなの党や、その他諸々の「改憲派」によって、ドンドン奪われる方向に進むのがオチなワケでしょ?

 そうならない・・・もとい、そうさせない為にも、「日本国憲法」に無関心ではいられないと思うワケです。





人間ナメんなよ!


でわっ!