2013年8月24日土曜日

「みんなの党」は、「渡辺喜美の党」に改名すれば?

  
【日刊スポーツ】みんな「出て行け」 柿沢氏を強制離党


 政界再編の方向性をめぐり、泥沼化するみんなの党の党内対立が、ついに「追放劇」に発展した。今月7日、政調会長代理を更迭された柿沢未途衆院議員(42)が23日、渡辺喜美代表に離党届を提出した。会見で、渡辺氏に呼ばれた22日午後からこの日昼まで「何も言わず、この党から出て行ってくれ」と何度も通告されたと明かし、「はらわたがちぎれるほど残念だ」と、恨み節を吐露した。

 22日午後3時、渡辺氏に「離党勧告」された後、自室に戻ると、電話で同5時までに結論を出すよう追い打ちをかけられた。「いくら何でも無理」と反発すると、23日昼を期限に設定された。この日は渡辺氏に、目の前で離党届を書くよう迫られ、「自室に戻ってコピー機から白紙を出し、一身上の都合と手書きで書いた」(柿沢氏)。有無を言わせない状態での決別だった。

 柿沢氏は、渡辺氏から幹事長を更迭された江田憲司氏の側近。渡辺氏が消極的な野党再編に積極的で、「みんなの党は政界再編の触媒政党だと、結党宣言にある。新しい枠組みができる時になくなるのが共通理解だ」と、反論した。ただ、都議時代に酒気帯び運転事故を起こして辞職した後、渡辺氏からみんなの党に誘われた経緯もある。「路頭に迷った私を拾い上げてくれた育ての親に出て行けといわれれば、受け入れるしかない」と、話した。

 一方、渡辺氏は「党や私の方針に反する言動があった。党内融和を阻む人は、外科的に取り除く」と述べ、別の2議員からも事情を聴く方針。「渡辺個人商店」への純化路線へ向け、新たな離党者も出かねない事態に、柿沢氏は「こんなこと(追放)は、私だけにしてほしい」と訴えた。

 今回の追放劇は、野党再編をめぐる渡辺VS江田&柿沢の見解の違いが大きな要因だ。渡辺氏は「再編→新党結成」に否定的。自身が立ち上げ、衆参35人(柿沢氏をのぞく)の規模にまでなった党の存続が前提で、20日には「新党から政界再編という考えを捨て、政党ブロックによる再編を考える時期」と、複数の政党連合で政権を目指す考えを示した。しかし、江田氏や柿沢氏は「再編→新党結成」を視野に、日本維新の会や民主党の若手と会合を重ねる。渡辺氏主導の党運営にも疑問を呈し、「個人商店」の思いを深める渡辺氏との対立が決定的になった。今後は江田氏の対応が焦点。渡辺氏は「党方針と違う行動をすれば断固たる措置を取る」と強調するが、江田氏が党を離れれば追随する議員もいるとされ、みんなの党は完全に分裂する。

[2013年8月24日8時54分 紙面から]


 まw、スポーツ紙・・・というよりもメディア全般に、記事の見出しで勝負するような傾向が観られますなw。


みんな「出て行け」


・・・ですか?記事の見出しから受ける印象では、全ての党員が党から排除されるかのような内容を想像してしまいますがなw。


何事か!?


・・・と、思わず日刊スポーツを買って読みたくなる、姑息・・・もとい、コスイ・・・もとい、高級な戦略ですなw。これが・・・


「みんな」出て行け


・・・だと、受け取り方もガラッと変わるワケですが、流石!計算づくでスw。

 基本、テレビの時代劇の中でよく見かける「かわら版屋」と何ら変わらないワケで、


てえへんだ、てえへんだw!


・・・と、惨事便乗型の商売(ショックドクトリン商売)をしているに過ぎないワケですよ。

 で、娯楽に貪欲な類の人たちにとっては、そうした「惨事」=「他人の不幸」もまた、ひとつの娯楽でしかない・・・というのも、残念ながら事実です。はい。

 それはさておき、「みんなの党」の内情はどうでもイイとして、渡辺代表の採った措置が、非難される程のことか?・・・を、考えてみるに、そもそも「党」というものは、


ひとつの理念


・・・の下に集った人たちの集団なワケですから、理念が合わなければ「党」を去るのが、当然の去就だと思うワケです。

 したがって、柿沢氏の理念が「党」の理念と相容れないのであれば、柿沢氏は自ら進んで離党するはずであり、「断腸の思い」ような悔しさを何故?味わう必要があるのか?

 ま、ひとことで言えば


みんなの党


・・・という「党名」そのものが如何わしいワケですよ。「ひとつの理念」は「ひとつ」であり、「みんなの理念」をゴッチャにしたら、「党」としてのまとまりなんてつかないし、まわりから見ても、


何がしたいんだ?


・・・としか思われないワケですよ。

 柿沢氏としては「党」に残り、身の安泰・・・即ち、経済的安定を図りたかったのでしょうが、柿沢氏が本物の政治家であるならば、先に述べたように自分の理念を貫き、自分の進退は自分で決めていたでしょうなw。

 「みんなの党」に限らず、柿沢氏のような立場の議員はたくさんいることでしょう。そして柿沢氏と彼らとの違いは、経済的安定を最優先に考え、「党」の理念と自分の理念が違っていたとしても、「メシの種」を失いたくが無いために、自分の理念なんぞはサッサと捨ててしまうということです。

 誰かが・・・「政治家は現代の武士階級である」・・・と、言っていたように記憶しているのですが、


それは大間違いです!


 武士階級は明治維新によって社会の隅、底辺に押しやられてしまい、その空白を乗っ取ったのが、商人の後ろ盾を得た「なりすまし武士」=「丁稚小僧」どもなのであり、したがって、実質日本の政治を左右しているのは「商人」に他なりません。

 身分制度を否定するワタシが「武士」についてアレコレ言うのも憚られるのですが、浪人に身をやつしていたとて、武士の名誉のためにこれだけは言いたい!


武士とは身分階級ではなく、生き方なのだ!


・・・と。

 江戸時代、確かに階級制度で社会は縛られていました。が、当時の日本を訪れた欧米人のどの報告書を見ても、武士が豪奢な暮らしをし、一般の庶民が貧困にあえでいたという記録は残されていません。


欧米から見た日本


 逆に、武士のほうが庶民よりつつましい・・・というよりも貧しかったくらいで、それが一変するのが明治維新です。かの南州翁・・・西郷隆盛も、そうした明治政府のあり方を大いに嘆き、政治の舞台から身を引いたワケです。

 ま、そうした「丁稚小僧」によって、明治維新以降、日本の政治が行われているワケで、そうした輩が「党」とくっ付いただの、離れただのと大騒ぎすること自体がバカバカしいワケですよ。

 ごくたまwに・・・「武士魂」を持った政治家も現れますが、どういうワケか?長生きできないのが残念でなりませんw。


故石井紘基衆議院議員 (2002年10月25日没)






人間ナメんなよ!


でわっ!