2013年8月17日土曜日

事実をコツコツ積み上げろ!

  
 大きな事件が起こるたびに様々な憶測が飛び交うワケですが、記事の書き手、アナウンサーの余計な憶測・・・「思われます」だとか、「可能性があります」だとか、「見込みです」だとか、その他諸々・・・を削ぎ落として、「現象としての事件」を素直に受け止めることが肝心だと思うワケです。そして一歩踏み込み、「現象としての事件」が・・・


理に適っているか?


・・・と、自分の頭で考えることも大切です。

 例えば・・・ある「自殺」の報道があったとして、その「自殺」の状況に不審な点が多々あった場合、本当に「自殺」なのか?・・・と、疑いを持つこと・・・それが「メディア・リテラシー」の第一歩であり、特に難しい技術を必要とするワケではありません。

 そうした「当たり前」の繰り返しが日常を支えているワケであり、誰でも無意識に「メディア・リテラシー」というか、情報、状況の取捨選択をしながら毎日を過ごしているワケですから、敢えて身構える必要はないのです。

 ただ、なぜメディアからの情報は「鵜呑み」にしてしまう傾向があるのかというと、新聞紙面やTVの画面から受け取る情報は、「自分とは関係無い第三者」の情報として、自分自身に降り掛かる状況に比べて「リテラシー」の働きが弱くなるのは、ワタシ自身も実感するトコロです。はい。


誰も自分が一番大切


・・・であることは、悪いことではありません。「人間」としてこの世に「生」を受けた以上、森羅万象のなかの、「ひとつの現象」として「自分」というものが存在し、「自分という現象」の連続が「人生」であり・・・。

 ま、それはアレとして、エジプトですよ、エジプト。連日エジプト軍による「市民の虐殺」とやらが騒がれていますが、どうも腑に落ちない点があるのも事実です。

 勿論、ワタシ個人の感想に過ぎないのですが、600人(負傷者含む)からの「一般市民」が一方的に虐殺されるのって、毛沢東の「文化大革命」とか、ポル・ポトの「知識階級の追放」とか、圧倒的な権力によって粛々と行われるケースがほとんどであり、現在のエジプトの「暫定政府」に、毛沢東やポル・ポトのような「強権」が発動できるのか?

 当然、「暫定政府」にはそんな「強権」を発動するだけの権力地盤は無く、デモの排除という行為の過程で死傷者が出ていることになります。

 視点を変えると、集会とかデモを組織しなければ、死傷者も出ないことになります・・・よね?

 これは詭弁と採られるかも知れませんが、「ムスリム同胞団」が一般市民の「生命の安全」を第一に考えるならば、集会やデモによる抗議活動は自粛するのが得策であり、何も人を集めるだけが抗議活動ではないのでわ?

 「暫定政府」に揺さぶりを掛けたいのであれば、「全国的なストライキ」を実施したらどうですかね?それであれば、治安部隊に銃を向けられる心配もありませんし、一般市民の命が危険に晒されることもありません。

 「ムスリム同胞団」が国民の支持を得ているのであれば、「全国的なストライキ」の実施は不可能ではないはずだし、それに対して「暫定政府」が弾圧を加えてくるようならば、それこそ「暫定政府」の不当性を世界中に知らしめることができるワケで、所謂・・・


ガンジー戦法


・・・というやつです。

 斯様にワタシは思うワケですが、もしですよ?「ムスリム同胞団」がですよ?集会、デモでの抗議活動は「イスラム聖戦」であると定義づけて、一般市民と治安部隊の衝突を煽り、その死傷者数を故意に増加させ、国際世論を味方につけようとしているのだとしたら?

 そう考えると、エジプト市民は「ムスリム同胞団」に利用されているだけであり、そのことがワタシの心を締め付けるワケですよ。


エジプト市民よ、もっと聡くあれ!


・・・と。

 日本人のワタシが言うのもアレですが、現状の集会、デモによる抗議活動は


カミカゼ・アタック


・・・のようなもので、あたら命を粗末にしなくても、先に述べたような「全国的なストライキ」のような、「非暴力闘争」というやり方もあるワケですよ。

 集会、デモは非暴力的だと言われるかも知れませんが、多くの人が集まるということは、ある「テリトリー」を占拠することであり、逆に「暫定政府」としては、その「テリトリー」から排除したいワケです。そうなると「テリトリー」の奪い合いが発生するワケで、そこに「暴力」が介入する事態になるのは「必然」と考えられます。

 つまり、抗議活動の名の下で「テリトリー」の奪い合いをしているのは、


擬似戦争状態


・・・とも言え、「暴力VS暴力」に他ならないということに、エジプト人の皆さんに気付いて欲しいのです。


この騒ぎで誰が得をするのか?


・・・を、突き詰めて考え、多くの死傷者がでるような抗議運動が、正しいやり方なのか?・・・を、熟考して欲しいのです。

 さて、ここからはワタシの妄想劇場になりますが、先ず・・・エジプト軍の後ろ盾はアメリカである・・・という意見に対しては、ワタシは異論があるワケですよ。

 アメリカがエジプト軍を援助しているのは、サダト大統領以降、イスラエルとの和平交渉をスタートさせたエジプト軍に対する見返りであり、即ち、イスラエルと事を構えないという条件に基づく「保険金」のようなものだと。

 したがってよく言われているように、エジプト軍がアメリカに従属しているとはワタシは見ていません。どちらかと言えばアメリカの方が、イスラエルの安全保障のためにエジプト軍の顔色を気にする立場にあるのでは?

 エジプト軍としても、イスラエルと戦争しても勝つという見込みが薄い以上、現状の休戦状態?を維持し続け、国内の健全化を先に進めたいところでしょうから、アメリカからの支援を断る理由はありません。

 さて、事の始まりは、チュニジアから広がった「アラブの春」とか呼ばれたアレです。「イラク」はアレとして、「リビア」も政権が倒されましたが、現在はシリアで延焼中なワケです。そしてその「主役」となった・・・というか、シリアでは現在進行中なワケですが・・・それが「イスラム原理主義者」たちです。はい。

 アメリカはそうしたイスラム急進派の反政府勢力を支援すると公言しているワケですよ。シリアで。

 オカシイでしょ?あれだけ・・・「9.11の実行犯はイスラム急進派(アルカイダ)だ」・・・と、ビンラディンを追い掛け回し、返す刀でイラクに侵攻しておきながら、シリアでは・・・「アルカイダを支援する」・・・と、言っているワケですよ?

 そこにワタシが・・・「欧米金融カルテルによるシリア侵略」・・・という筋書きを見出すのは、最近話題に上らなくなった「ヨーロッパの金融危機」があったからで、損失補填の「生贄」としてアラブが選ばれ、現在シリアを陥落中・・・と、なるワケです。

 であれば、アメリカ、EUが、シリアのアサド政権打倒に「アルカイダ」を利用することにも合点がいくワケで、最初から目的が、中東地域からの「富の搾取」であったとするならば、「9.11」もまた、中東に介入するための「生贄」であったのかも知れません。

 そして現在、エジプトの「暫定政府」が世界中?から非難を受けていますが、ここでアメリカが「人道的見地」とやらから「ムスリム同胞団」に肩入れし、「同胞団」が政権の座に返り咲くようになれば、その権力は磐石のものとなるでしょう。

 政権の座に返り咲いた「同胞団」は、以前にもましてその権限を強め、軍部に対してすらも強硬な介入をするようになる可能性が高いのです。

 正直、エジプト軍部は、アメリカ(自由経済主義諸国)にとっても、「同胞団」にとってもジャマな存在であり、両者の利害は一致していると言えます。したがって、今回のデモの強制排除の一件でエジプト軍部の立場を悪くし、「ムスリム同胞団」の支配体制を磐石にするために、アメリカと「同胞団」が裏で手を握っている・・・と。

 その先にあるのは、シリアのアサド政権の転覆を急ぐ「欧米金融カルテル」の思惑、都合であり、そうした「ゲーム盤」の上で、エジプトの人たちが自らの命を、良く考えもせず危険に晒して・・・


イッタイ、誰の得になるのか?


・・・と、いうのが、ワタシの「妄想ワールド」からの問い掛けなワケです。はい。

 ま、アタマに戻りますが、「事実」を虚飾を排して受け止め、それを積み上げることで「全体像」を把握し、自分の頭で整理することで「整合性」を見出す。

 ワタシが考える「メディア・リテラシー」って、そんなカンジですかね?





人間ナメんなよ!


でわっ!