2013年8月3日土曜日

バタフライ・エフェクト

  
 「風が吹くと桶屋(棺桶屋)が儲かる」・・・という小噺?がありますが、これの欧米版が「バタフライ・エフェクト」と呼ばれるものです。いくつかバリエーションがあるようで、そのひとつが、「北京で蝶が羽ばたくと、ニューヨークはハリケーンになる」・・・というものです(記憶が曖昧ですが)。


バタフライ・エフェクト(バタフライ効果)


バタフライ効果(バタフライこうか、butterfly effect)とは、カオス力学系において、通常なら無視できると思われるような極めて小さな差が、やがては無視できない大きな差となる現象のことを指す。カオス理論を端的に表現した思考実験のひとつ、あるいは比喩である。

- Wikipediaより -



カオス理論


カオス理論(カオスりろん、英: chaos theory, 独: Chaosforschung, 仏: Théorie du chaos)は、力学系の一部に見られる、予測できない複雑な様子を示す現象を扱う理論である。カオス力学ともいう。

ここで言う予測できないとは、決してランダムということではない。その振る舞いは決定論的法則に従うものの、積分法による解が得られないため、その未来(および過去)の振る舞いを知るには数値解析を用いざるを得ない。しかし、初期値鋭敏性ゆえに、ある時点における無限の精度の情報が必要であるうえ、(コンピューターでは無限桁を扱えないため必然的に発生する)数値解析の過程での誤差によっても、得られる値と真の値とのずれが大きくなる。そのため予測が事実上不可能という意味である。

(中略)

また、カオスには以下の特徴が現れる。

1.単純な数式から、ランダムに見える複雑な振る舞いが発生する

2.短期的(リアプノフ時間程度)な未来の予測は可能だが、長期的には予測不可能

3.初期値のわずかな違いが未来の状態に大きな違いをもたらす初期値鋭敏性がある

一部のシステムが複雑な振る舞いをするのは、その振る舞いを表す方程式の非線形性が原因である(後述するローレンツカオスの場合、テント写像により引き起こされる)。

- Wikipediaより -


 ま、何がナニやら?・・・といった話なワケですが、簡単に言うと、「カオス系」においては「未来は予測不可能」だということです。
 
 勿論、全てが予測不可能だというワケではないのでしょうが、自然現象や社会現象は、所謂「カオス系」と看做され、「カオス系」においては・・・「初期値のわずかな違いが、未来の状態に大きな違いをもたらす初期値鋭敏性がある」・・・ということが重要なワケです。

 この「初期値のわずかな違い」を、「蝶の羽ばたき」に例えたのが、


バタフライ・エフェクト


・・・というワケです。

 さて、この理論を逆に辿ると、「初期値のわずかな違い」が無く、「初期値が固定値」であったなら、「カオス系」であっても結果が予測可能なことになります。・・・よね?


ここがポイントなワケですよ!
 

 ワタシはずっと、「個人革命」、「人間回帰」を唱えてきたワケですが、その意味するところは、


自分の頭(体)で考える。


・・・という、至極当たり前なことに過ぎません。

 然しながら、自分の頭でアレコレ考えたところで、世の中思い通りにならないことばかりで・・・


自分ごときに一体何が出来る?


・・・と、「壁に突き当たる」のが常であり、やがて、自分の頭で考えることを放棄してしまいがちです。

 自分の思い通りに事をやり遂げようとする人は、ごくごくホンの一部の人であり、例えば「アップル」の創業者、S・ジョブス氏であったり、「世界のホンダ」の本田宗一郎氏であったり、後世、「天才」と呼ばれるような人たちのみが、「自分の頭で考える」ことを放棄しなかったと言えるでしょう。

 では、「自分の頭で考える」ことは、「天才」にのみ許された「特権」なのか?


それは違う!


・・・というのが、ワタシの見解です。ま、「ワタシの見解」ですが・・・。

 「天才」と呼ばれた人たちには誰よりも強いモチベーションがあり、つまり・・・ナンて言うか・・・ある意味では・・・「恐怖」を凌駕する「狂気」を持っていた・・・とでも言えるんじゃないでしょうか?

 例えるなら・・・断崖絶壁のギリギリのところを平気で歩いて行ける・・・そんな精神状態(モチベーション)であり、ワタシのような「凡人」には、断崖絶壁から落ちることが怖くて、とてもそんな真似はできませんw。

 「天才」にのみ宿る「不屈のモチベーション」が、「凡人」には真似できない行動に「彼ら」を駆り立てるのでしょうが、「彼ら」のそうしたモチベーションの源は、「彼ら」が「創造者」であるからだと、ワタシは勝手に理解しています。

 創造者であるということは、すでに結果を知っている=明確なヴィジョンを持っているワケであり、日々を悩みながら過ごしているワタシ如きと違い、「ゴール」に向かって一直線に進むだけなのでしょう。断崖絶壁にしても、「ゴール」までの途中にある些細な通過点にしか映らないのかも知れません。

 では、「天才」=「創造者」ではないワタシたちには、「自分の頭で考える」ことを放棄し、ただ流されて生きていくしかないのか?


それもまた違う!


・・・と。その根拠が「バタフライ・エフェクト」・・・なワケですよ。

 「天才」たちが、ゴールに向かって一直線の「線形世界」に生きているとしたら、ワタシのような「凡人」は、悩み事の多い「非線形世界」に生きていると言えます。

 それでも自分の生活の、そして社会の改善を望む気持ちくらいは多少あります。・・・が、往々にして、


具体的にどうすればイイのか?


・・・となるワケですが、自分の生活はアレとしても、社会云々・・・となると、


自分に何が出来る?


・・・と、腰が引けてしまうのも当然であり、やがて考えることにも疲れ、現実逃避してしまう・・・と。

 それもこれも、「凡人」でありながら「天才」と同じように結果を出そうと、「勘違い」していることに原因があるように思うワケです。

 「天才」のように「狂気(強いモチベーション)」を維持し続けられるのか?「崖っぷち」を平気で歩けるのか?・・・を、自分に問うてみても、


それは無理・・・orz


・・・というのが、「凡人」としてのワタシの正直な感想です・・・。

 で、あるならば、「凡人」が「凡人」を全うしながら「より良い未来」=「結果」に到達する道は無いのか?その答えが・・・


バタフライ・エフェクト


・・・なワケです。


「初期値のわずかな違いが、未来の状態に大きな違いをもたらす。」


 「初期値のわずかな違い」・・・即ち、「蝶の羽ばたき」のような「か弱い力」であろうと、「カオス系」の中では十分に未来に影響を及ぼす・・・ということです。

 つまり、「たった一人の力」であろうと、「何か」を成すか否かによって、


確実に未来に差が出る


・・・ということであり、「たったひとりの力」は微弱であっても、それが100匹の蝶だったら?千匹の蝶だったら?一万匹の蝶であったなら?・・・未来により大きく影響を及ぼすというコトです。

 「たったひとりの力」でも、決して侮ることはできないというワケで、


自分に何ができるのか?


・・・と、思い悩んだ末に考えることを放棄してしまう前に、


できるコトからやってみる!


・・・と、いう姿勢が重要になってくるワケですよ。「カオス系」においては。

 日本における「脱原発」の市民運動は、福島第一原発の爆発事故以降、2年以上に渡って全国各地で続けられているワケですが、政府は稼動停止中の原発の再稼動の機会を伺い、国民の声が政治に反映されていないのが現状です。





 しかし、いつの間にかそうした「脱原発」の気運は海を越え、海外にまで広がっているのも事実なのです。

 多くの国々でも原発に対する危機意識が高まり、いずれ世界中の原発は運転停止、廃炉に向かうことでしょうが、日本の市民運動がそれを意識していなくても、「蝶の羽ばたき」は、確実に「カオス系」に影響を及ぼしているワケです。

 尚且つ、直接的に市民運動に参加できなくても、ひとりひとりが自分にできるコトを考え、自分にできる範囲でそれを実行することで、「カオス系」に確実に影響を及ぼすコトができるワケです。

 ワタシにしても、もう何年も細々とブログを続けているワケですが、人それぞれに何かしらできるコトがあるワケですから、たったひとりの力=バタフライ・エフェクトは、


決して無駄な努力などでは無い!


・・・と、言いたいワケです。





人間ナメんなよ!


でわっ!