2013年9月17日火曜日

織田信長の死にまつわるアレコレ 2

  
 久しぶりに、織田信長の死にまつわるアレコレについて書きます。と、いうのも最近、「千利休」が信長殺害に深く関わっているのではないか?という疑惑がワタシの中にムクムク湧いてきたからで、この件を追求していくと、所謂「白足袋族」と呼ばれる、京都の裏の支配層として君臨する一団にも辿り付くのではないか?・・・と。

 千利休といえば茶道の開祖のように思われていますが、そもそも茶道とは何かを、歴史的経緯から検証してみます。

 茶を嗜む=喫茶の始まりは、中国の伝説上の聖人(三皇五帝)のひとり、神農大帝に遡ります。神農大帝は皮膚が透明で内臓が透けて見え、あらゆる毒物を摂取して影響が現れる臓器を特定することができたと伝えられ、それに応じて解毒薬草を発見したところから、医学の神様として拝められています。

 そうした薬草の一つとして「茶」があることが「神農本草経」に認められており、本来は薬もしくは滋養強壮剤として認識されていたようで、唐の時代になって広く一般大衆にも飲まれるようになり、遣唐使の多くが唐から茶を持ち帰りました。最澄、空海もそのひとりです。

 茶道(茶の湯)の原型?とされるのは、鎌倉時代の僧、栄西(臨済宗開祖)が宋より伝えた「抹茶法」であるとされています。ただし、「抹茶法」にしても医療用途の域は出ていないようで、鎌倉幕府三代将軍・源実朝の二日酔いの解消のために茶を進め、ついでに「喫茶養生記」なる書物を献上したとあります。

 また、鎌倉時代には禅宗も興りましたが、茶は座禅中の眠気覚ましの飲み物とされ、禅僧に愛飲されたことが禅と茶道の繋がりであるというのも興味深い事実です。つまり、「茶道の精神性が云々」などというのは後から取って付けた屁理屈であり、いまでいえば受験生が眠気覚ましに飲むコーヒーとさして違いはありません。

 ちなみに、栄西が創建した鎌倉の建仁寺では、毎年4月20日に栄西の誕生を祝する法要で、「四頭(よつがしら)茶会」と呼ばれる茶会が開かれるそうです。こうした茶会の儀式(喫茶儀礼)を、臨済宗では茶礼といい、曹洞宗では行茶というそうです。

 鎌倉幕府が倒され室町時代に移行すると、「闘茶」という遊びが流行します。これは京都・栂尾(とがのお)産の茶を「本」とし、それ以外の産地の茶を「非」として飲み比べをするもので、この遊びから現代にも繋がる「茶道」が始まったとされ、金閣寺、銀閣寺なども、こうした茶会のための「茶亭」であったと考えられます。「闘茶」は今日まで伝えられ、千家七事式のひとつに数えられています。

 「茶」の話はこれくらいにしてしておくことにして、当時、室町時代の足利幕府は「同朋衆」という存在を抱えていました。「同朋衆」とは将軍、大名の侍従で、殿中の雑役や諸芸に従事した者で、「阿弥」という「時宗」の信徒に許された号を用い、猿楽担当の音阿弥、造園担当の善阿弥、外来文化担当の能阿弥芸阿弥相阿弥、香・茶担当の千阿弥、生け花担当の立阿弥がいました。

 千利休の生家は堺の魚屋であるとされていますが、その先祖・・・曾お爺ちゃんの代は足利幕府に使えた「同朋衆」であり、単なる「魚屋のせがれ」ではないということです。それを如実に示しているのが「千阿弥」から取った「千」の一字であり、本人も「同朋衆」の血筋であることを自覚していたのでしょう。

 足利幕府がなぜ「同朋衆(時宗信徒)」を重用したのか明らかではありませんが、ただし、「時宗」と呼ばれるようになったのは江戸時代からと最近?のことであり、彼らの信仰形態は古くから・・・つまり、仏教が伝来した飛鳥・奈良時代から変わらないもので、オリジナル?仏教信徒とも呼べる存在であったようです。

 ここで重要になるのが、足利幕府三代将軍足利義満は当時の「明」に朝貢し、「日本国王源道義」の称号を与えられ、「柵封」の中にあったということで、「同朋衆」は大陸(明)とのパイプ役を担っていたのではないか?・・・というのがワタシの推測です。

 で、足利幕府がグチャグチャになり、京の都も荒廃したので商人たちは堺に移住するのですが、そうした商人の一団の中に「同朋衆」も含まれており、千利休の生家もそのひとつであったと考えられます。

 そして、室町幕府がほぼ崩壊した中で、大陸との繋がりの深い「同朋衆」が貿易を取り仕切り、堺の町に富が集中したのも頷ける話で、そこに織田信長が、「矢銭(戦費)」を出せとカチ込むのは、ま、当然の流れとも言えます。


織田信長坐像


織田信長肖像


 上の坐像は、秀吉が信長公の葬儀を執り行う際、発見できない遺体の代わりに火葬するために彫らせた、二体の木像の片割れであり、多くの武将が参列する中で代用されたものであることから、信長公の実際の外見にほぼ近いものと考えられます。でないと、他の家臣からの非難、苦情によって、秀吉の立場が危うくなります。

 下の肖像画は教科書でお馴染み?ですが、比較してみてどうだろうか?ワタシとしては「鼻の特徴」が似ているようにも見えるのですが・・・。


>>つづく・・・



 

人間ナメんなよ!


でわっ!