2013年9月22日日曜日

地獄への道は善意で舗装されている

  
平和を愛する人はTPPを推進する。


・・・と、「ホンマでっか!?」の武田教授が述べていますが、


はあ?


 先ず、武田教授がよく言うフレーズに「ミーム」という言葉があります。「ミーム」とは「文化的遺伝子」とも呼べるもので、民族が先祖代々受け継いできた「伝統・記憶」とも言えます。

 で、武田教授は、「日本の伝統文化は素晴らしい」・・・と、何度も繰り返し述べていますが、TPPの大きな問題


非関税障壁の撤廃


・・・にあり、非関税障壁とは即ちこの「ミーム」に他ならず、それを否定しているTPPに賛成するという、御自分の仰っていることの矛盾に気が付いていないんですかね?武田教授は?

 もし、気付いていながら矛盾した論を展開しているのだとしたら・・・


ダークサイドに堕ちたな・・・。


・・・と。


多額のカネ(研究費)でも受け取ったのか?


・・・と、下衆なワタシはスグ勘繰ってしまうワケですw。

 ワタシも「囲い込み」の悪弊を説く側ですが、TPPが「囲い込み」の解放になるとはとても思えません。逆に、「さらに大きな囲い込み」に吸収されるだけであり、その行き着く先に


ワン・ワールド


・・・が待っているであろうことは、何となく想像がつきます。

 世界が統一されれば大きな戦争は起こらなくなるでしょうが、そのために各国、各民族の「ミーム」を否定するワケですか?記憶を持たない「ロボット」の如き民族、人間ばかりで世界を満たそうというワケですか?

 GATT(ガット)の交渉が上手くいかないのは、各国の要望が噛み合わないからであり、それはそれで当然だとワタシは思うワケです。そうした状況に業を煮やし、包括的な貿易協定から地域的な貿易協定へと方針を変えたのが、EPAであったり、FTAであったり、今回のTPPであるワケです。

 つまり、EPA、FTA、TPPとは、GATTによる話し合いの放棄であり、思想的には


ブロック経済への回帰


・・・であると言わざるをえません。これを以って、


平和のためのTPP


・・・などと詭弁を弄し、善意を前面に押し出し、自分の言っていることの矛盾に平然としていられる大学教授って、


イッタイ何なのよ?


・・・と、唖然とするばかりです。


GATT(関税・貿易に関する一般協定)




  

地獄への道は善意で舗装されてる。


・・・とわ、誰の言葉なのか存じませんが、けだし名言です。原子力発電にしてもそう、ジッサイに福島第一原発で大事故が起こるまでは、善意、美辞麗句で虚飾され、事故が起きてしまった現在でさえ、まだそうした詭弁を弄する大学教授が大手を振っていること自体が、


日本の知性の崩壊


・・・を表しているんじゃないですかね?


詐欺師は正直者の顔で現れる。


・・・という格言?は、誰もが納得することと思いますが、大学教授にしたって詐欺師まがいの連中はたくさんいるということです。

 そうした詐欺師まがいの輩に騙されないように、「肩書き」であるとか、「知名度」であるとかを判断基準にする前に、自分で確かめる作業=インテリジェンスが求められ、情報の流通が限られていた以前であればイザ知らず、インターネットというツールを手に入れた現代においてさえ、そうした作業を怠るのは、


たんなる怠け者


・・・でしかなく、「騙された!」・・・などと被害者を装うのもおこがましいのであり、どちらかと言えば、


共犯者


・・・であるようにしかワタシには見えませんし、その辺を伊丹万作氏も、


戦争責任者の問題


・・・のなかで「やんわり」と指摘しているワケです。

 で、まとめに入ると、地域貿易協定は「話し合いの放棄」であり、真摯に「貿易による世界平和」を考えているならば、「話し合いの継続」こそがスジであるということ。

 それを無視して地域貿易協定に向かうのは、経済発展という「目先の利益」を追求するからであり、そうした利益追求優先の考え方こそが、いつまでも止むことの無い「争いの種」になっていることを、各自が自覚する必要があるということ。

 したがって、「経済発展」という「囲い込みの罠」に気付くことが重要であり、その罠から脱出することと、各民族が自己の「ミーム」を温存することは矛盾するものではなく、TPPなどで要求する「非関税障壁の撤廃」=「ミームの放棄」は、まったく「バカげている」・・・と。

 そして最後に、各民族の「ミーム」を放棄させるというコトは、「世界統一政府=ワン・ワールド」を目論む連中にとっては都合がイイということ。


★歴史を書き換えて新バビロンを建設するNWO


 どうにも?各民族の「ミーム」を消去するために、「ワン・ワールド」を計画する連中は戦争だの、TPPだの、あの手この手を使ってくる観がありますが、ワタシの言うトコロの


囲い込みを出よ!


・・・とは、武田教授のように、「囲い込みを撤去しろ」というのとは違います。


囲い込みを外側から見よ!


・・・と、言いたいワケであり、「ミーム」≒「コミュニティー」の崩壊を望んでいるワケではありません。

 多くの人が「囲い込み」の外に一歩を踏み出せないのは、おそらく外側には「足場」が無いと思い込んでいるからであり、実はそこには、


「囲い込み」の内部より広い世界


・・・が広がっていることを知れば済むだけの話なワケです。それこそが


人間の地平線


・・・であると繰り返しているワケであり、「囲い込み」の外側から見れば、自分が引き篭もっていた「囲い込み」が、実は何軒も並んだ「家」の一つに過ぎないことを知るでしょう。

 「家」は生活の場として必要ですが、「家」の外に出て自由に活動することが


人間回帰


・・・の考え方になるワケで、「囲い込み」の外へ、「柵」の外へ一歩を踏み出すには


個人革命


・・・を経なければならず、「外の世界」=「人間の地平線」を進むには、


自分とは何であるか?


・・・という「人間回帰」がその「指標」になると繰り返し述べていただけであり、「自分が自分に納得」した時に、人の人生はより豊かになると思う次第です。はい。


 スジは通っているでしょ?





だから・・・人間ナメんなよ!


でわっ!