2013年9月5日木曜日

シリアを知りや

  
 という、下らないダジャレはさて措き、「IWJ」に、シリア関連の書籍が紹介されていたので、ワタシも便乗して紹介(拡散)させていただきます。

 ま、ワタシのような一介の浪人の戯言ではなく、元シリア大使という、「立派な肩書きの御仁」の書かれたものですから、みなさんも受け入れやすいことでしょう。



シリア アサド政権の40年史
国枝 昌樹 (著)

内容(「BOOK」データベースより)
二〇一一年春の民衆蜂起が武力抗争に発展、いまだに不安定な状態が続くシリア。帝国主義の時代でも、度々繰り返された中東戦争の時代でも、シリアは歴史に翻弄され続けてきた。四十年余りにわたってアサド家二代の独裁政権が続くこの国は、一体どこへ向かうのか。前大使としてこの国を知り尽くした著者が、「中東の活断層」シリアを解剖し、未来を読む。


 で、この本について詳しく書評しているのが、こちらのブログです。


緑の五月通信

2012-09-22
「反政府」なら「正義」なのか? 国枝昌樹「シリア アサド政権の40年史」を読む


 ブログにて引用されている本文を紹介すると・・・


 シリアでの動きのもう一つの特徴は、情報技術を駆使したメディア合戦ともいうべき激しい報道合戦である。シリア国営報道機関も積極的な報道活動を行うが、それ以上にシリア国外の報道機関の積極的な姿勢は目覚ましく、国際世論の形成に影響力を及ぼしてきた。そこでは、シリアの反体制グループが流す情報がその信憑性について検討されることなくほどんどそのまま報道されることが多い。(8ページ)



 そんな私が2011年春以来のシリア情勢を伝える報道を見ていて危うさに肝を冷やす思いをたびたび重ねている。反体制派の情報に偏った報道ぶり、明確に反体制側に立つアルジャジーラやアルアラビーヤなどの衛星放送局の報道の受け売り、加えて針小棒大、事実誤認の報道など。シリアの現状に関する国連機関の報告書についても、執筆者の意図に明確な偏りがある場合が認められる。(10ページ)



 年が明けて12年になると、AK-47は2100ドルまでつり上がり、民衆蜂起前には1個100ドルだった手榴弾が500ドルにまでなった。それでもシリアからやってきて闇市場で武器を購入する動きは途絶えない。彼ら(反体制側)は不自然なまでに資金が豊富である。(23ページ)



 ムスリム同胞団はイスラム教スンニー派の中でも原理主義に近い保守派によって組織される。イスラム教に拘泥することが少なく、統一、自由そして社会主義をスローガンに世俗主義を実践するバァス党とは相容れない。スンニー派有力者たちや大土地所有者たちはバァス党が勢力を拡大すると、バァス党の中で有力な異端的少数派のアラウィ派関係者と、スンニー派だが貧しい家庭の出身者たちの台頭に強い違和感を抱いた。そのような彼らはムスリム同胞団の支援に向かった。(32~33ページ)



 (アサド)政権が強硬姿勢を取るのには理由がある。民衆蜂起の裏に、バァス党結党以来の不倶戴天の敵であるムスリム同胞団の存在を嗅ぎ取ったのだ。(32ページ)



 (独シュピーゲルによると)イラクで米軍と戦ったイスラム主義過激派のレバノン人をインタビューし、その人物は11年夏以来、グループを作ってシリア領内に武装侵入してシリア政府軍と戦い、戦闘の現場にはパレスチナ人、リビア人、イエメン人、イラク人などもおり、シリア政権に対する戦いは確実に国際化してきているという発言を報道している(63ページ)



 イランのシーア派政権に対する湾岸諸国の支配層の猜疑心と拒否感は極めて強い。シリアはイランのシーア派政権と友好協力関係にある。シリア自身、特にハーフェズ・アサド大統領時代はシーア派に属するアラウィ派が要所を占めて主導した政権だった。(96ページ)



 湾岸諸国の大きな関心は、11年末に米軍が戦闘部隊をイラクから引き揚げた後、イラクのシーア派マーリキ政権がますますイランとの関係を強めていくことが予想されるなか、シリアをイランから何とか離反させてイランの影響力を削がなければならないという一点にある。(97ページ)


 全部で何ページの本なのかは知りませんが、これだけで大方の内容は想像がつくのでわ?ワタシも是非拝読したいのですが、いかんせんベトナムなもんで・・・。

 以前生意気にも、エジプトの・・・というか、アラブの若者の「知性」に期待する・・・と、いうようなことを書きましたが、


知性の勝負


・・・という考え方は、日本の若者にも当て嵌まりますし、いまの時代を生きる、全ての人に当て嵌まることです。

 で、「知性」は何処にあるのか?・・・というと、


自分で捜し求めるしかない


・・・と、いうのがワタシの考えです。即ち、口を開けて「知性」を待っていても、「他人の知性」を詰め込まれるのがオチであり、その結果が例の


原発安全神話


・・・を生んだとも言えるワケですから、現在も続く知識人だの、有識者だの、専門家だのという職業人からすれば、


イイお得意様


・・・でしなかない・・・ということです。

 極論を言えば、「知っている」とは仮象に過ぎず、常に「疑い」を持ち続ける姿勢こそが、「知」の本質である・・・と、言えるのかも知れません。


老子

道の道とすべきは、常の道に非ず。

名の名とすべきは、常の名に非ず。

名無きは天地の始め、名有るは万物の母。

故に常に無欲にしてその妙を観、常に有欲にしてその徼を観る。

この両者は同じきに出でて、而も名を異にす。

同じきをこれを玄と謂い、玄のまた玄は、衆妙の門なり。

(後略)


 そして、どうやら日本人には、そうした「知性」が先天的に備わっている?ワケですよ。


欧米から見た日本


カッテンディーケ 『長崎海軍伝習所の日々』
カッテンディーケ (1816~1866):オランダ海軍軍人

・・・ラウツ教授は知識欲に燃えているのが日本人の特徴であると言っているが、まことに至言である。・・・


 今の若者は、親の世代よりも収入が少なくなったと言われていますが、収入は所詮、「物価との相対関係」にあるので、デフレで物価が下がれば大して問題にはなりませんし、コストを下げるというのは、ある面では産業の進歩と言えます。しかし・・・


親の世代より「知性」が低下する


・・・と言うのは、いただけませんなw。


シリアに平和を!アラブに平和を!





人間ナメんなよ!


でわっ!