2011年2月14日月曜日

善悪の彼岸

 ワタシは勝手な憶測が得意なのですが、一応、「物証」「状況証拠」を基に憶測を展開しています。

 先の「エジプト革命」にしても、革命に至る周りの状況と、革命終結後の状況を素直に見れば、最終的に混乱を収束させたのは「エジプト軍」であり、現在も「エジプト軍」がフロントで全権を掌握しており、「革命」に参加した庶民は蚊帳の外にいます。

 この状況を冷静に見て、

革命が成功した!

と、持て囃す方が不自然なのではないでしょうか?ご存知のように、エジプト軍のパトロンはアメリカ軍です。あるブログで、今回の革命はアメリカ寄りのムバラク大統領を失脚させる為の、「反米」運動でもあると書かれていましたが、そうであれば矛盾しますよね?少なくともワタシにはそう見えます。

 6ヶ月間の暫定政権だと言いますが、6ヶ月間は旧来の社会システム、ムバラク氏が残した社会システムに甘んじなければならないワケですが、「革命」の本分とは何でしょう?

社会システムを変える

それに他なりません。社会システムを変えることなく、ただ集まって騒いでいるだけでは、結果的には「暴動」と何ら変わりないのです。したがって「暴動」後に、暴動の指導者が処罰される可能性すらあります。それも「合法的」にです。旧来のシステム(法律)はそのまま残り、まだ機能しているワケですから。ムバラク時代に投獄された「政治犯」の釈放の知らせもありません。そういった状況を含めて、

革命、未だ成らず


・・・と、ワタシは見たワケですが、勿論ワタシの見方が間違っている事を願う次第です。はい。

 さて、もうひとつ。延々と報道が繰り返されている相撲の「八百長」問題ですが、この問題についても、「物証」、「状況証拠」を基に意見を述べると、現実問題として・・・

誰が被害を被ったの?

 乱暴な言い方になりますが、ヤクザが相撲賭博をして儲けようが、それがワタシたちの暮らしと何の係わりがあるのでしょうか?相撲賭博で稼いだ利益で、どこかの組長がベンツに乗ろうが、ロレックスの腕時計を身に付けようがワタシは一向に気になりませんが、もし相撲賭博が禁止され、別なところから上がりを得ようと、「麻薬商売」に精を出し始めたら、それこそ、庶民の日常生活に深刻な影響を及ぼすでしょう。

 であれば、相撲賭博でも、野球賭博でも、好きな人は自由に賭け事をやればイイんじゃないですかね?博打で身を持ち崩す人も当然現れるでしょうが、「薬物」に汚染されていない健康な体さえあれば、仕事に復帰することは可能です。身を持ち崩した我が身を反省し、仕切り直すしかないです。
ロマン・ロランの言う「良い土地」であれば、再び目を覚ますことは出来るのです。

 しかし、「良い土地」を失ってしまったら・・・「薬物」で体がボロボロになってしまったら、社会復帰は格段に難しくなるでしょう。だからワタシとしては、「薬物商売」をするくらいなら、「相撲賭博」でもしていてくれた方がよっぽど有難いです。ヤクザのみなさんには・・・。それが、ワタシが考えるところの「許容悪」の具体的な一例です。・・・はい。


 しかし世の中には
「八百長」が絶対に許せない人も多いようで、困ったものです。そして、「八百長」を批判する人たちが、相撲が好き故に「批判」するのか?・・・というと、どうもそうではないらしい様です。「相撲」の何たるかも理解せず、「善」と「悪」の二元的な見地から批判を繰り返している様に、ワタシには見受けられます。

愛により為される事は善悪の彼岸に在る。

・・・とわ、確かニーチェの言葉だった様に記憶していますが、ワタシ流にこの言葉を解釈するなら・・・

ニーチェは「バカの壁」を越えていた。

・・・と、受け取れます。「善」と「悪」の間に立ちはだかる「バカの壁」の向こう側に、ニーチェは到達していたのではないか?それがニヒリズムの本質ではないか?・・・と。

 そして、「バカの壁」の向こう側にあるものとは何か?と言えば、

同じ人間だろう?

という、現実に即した「共感」に他ならないのではないでしょうか?
現代人には「共感」が欠如しているのではないか?と、以前にも書きましたが、では、「共感」を失うとどうなるのか?きっと「攻撃的な社会」、「利己的な社会」になるのでしょう。自分以外は「異物」であるワケですから、「異物」を「排除」しようという方向に向かうのは、生物の自然な反応です。

 「タイガーマスク」にしても、ワタシとしては単なる「売名行為?」ではなく、人間の、日本人の、庶民の持つ「共感」の発露であると信じたいです。そしてその「共感」が、日本人のアイデンティティーに裏打ちされたものであれば、この先世界がどんなに激変しようと、ワタシたち日本人は必ずや乗り越えられるだろうと信じる次第です。はい。


でわっ!