2011年2月8日火曜日

古いものを守ることと、古いものに縛られることとは違う

 相も変わらず、相撲の八百長と政治の八百長を、ごちゃ混ぜにして論じる人がいますが、ワタシは、

それは違う!

と考えています。


天木直人のブログ
八百長報道から見えるもの、それはこの国の欺瞞



飄(つむじ風)
大相撲『八百長』と、日本の『八百長』体質!!



 まず、「相撲」と「政治」の立脚点が、根本から違います。繰り返し述べたように、「相撲」は「神事」であり、それに対して、「政治」は「人事」であるという事です。

 「相撲」という「神事」そのものに罪は無いのです。「神事」を司る「人間」が問題なのです。その問題の原因をワタシなりに整理すると、「畏敬の念」の欠如、つまりは、現代人の「思い上がり」ではないか?・・・と。そして、その「思い上がり」が何に拠るのかと推察するに、「今」に対する知識不足ではないか?・・・と。

 ワタシたちは当たり前のように「今」を生きていますが、ワタシたちが「今」在るのは、「ワタシたち以前」が在ったからですよね?ワタシの先祖が遠い過去において、災害なり、戦争で死んでしまっていたら、ワタシは「今」この時代に存在しないワケです。人類誕生からの続くDNAの連鎖の最先端として、みんながこの世界に存在しています。そうですよね?

 そして、逆にDNAの連鎖を成し得ず、この世に存在し得なかった人たちもいます。先の世界大戦で戦死してしまった方々とか、阪神淡路大震災の被災者の方々とか、関が原の合戦で戦死した武士の家系とか・・・。

 ワタシが、あなたが、「今」ここに存在するという事実の背後には、必ず理由、歴史があるのです。ワタシは、それを正しく理解しましょうと繰り返しているだけです。現在日本中で行われている「儀式」には、過去の時代に生きた人たちの、「思い」や「願い」や「メッセージ」が込められています。

 過去の伝統を手放しで賞賛するワケではありません。中には、間違った伝統や、しきたりもあるでしょう。昔の人の情報量は、現代人に比べ格段に少なかったワケですから、「偏見」や「迷信」に拠る「伝統」があっても当然です。しかし現代人であれば、「偏見」、「迷信」の類はスグに解るはずです。キチンと歴史や常識を学んでいれば。

 ワタシは「相撲」について幾許かネット上で学習し、その結果、「相撲」の本来の姿、意味を知り、後世に伝えるべき「儀式」であると理解しました。守る価値のある、日本の伝統であると。

 一方、話を「政治」に移すと、過去、政(まつりごと)を取り仕切っていたのは一部の特権階級、支配者と呼ばれる人たちであり、庶民は蚊帳の外でした。政治を行う者と庶民との間には、圧倒的な「身分」の違いがあました。

 世界に目を向けても、オーストラリアの「原住民狩り」やナチスの「ホロコースト」、アメリカの「インディアン虐待」や欧米の「黄渦論」、冷静な現代人の目から見れば狂気の沙汰です。そんな愚かさが、「差別」として社会に固定化され、現代まで引き継がれている事実もあります。そして、政治の世界においては「既得権益」として受け継がれ、過去のしがらみに縛られた人が多いことも。

 そういった「伝統」は断ち切らなければなりません。その為にはその愚かさや、利己的な思考や、間違った習慣と向き合う必要がありますが、過去の過ちから目を背けていては解決出来ません。「近代理性」を消しゴムのように用いて、過去をリセットしようとするのは、ワタシは・・・違うんじゃないか?・・・と、思う次第です。

 「身から出た錆」という言葉がありますが、今回の人間の手による不祥事で、「相撲」という昔からの伝統ある「神事」が行えなくなるのも、ワタシたち自身の思い上がりが招いた、

身から出た錆

なのでしょう。自分という存在を、人間という存在を、今の時代であればこそ、改めて考える必要があるのではないでしょうか?


でわっ!