2011年2月26日土曜日

サンデル先生っ!ハイっ!

 先日放送された、「たけしのIQ200 世界の天才が日本を救う」という番組を観た感想をば。

 で、ハーバード大学のマイケル・サンデル教授が提示した例題で・・・

 レールの上を暴走するブレーキの壊れた電車。その前方には分岐点があり、その先はレールが二つに分かれ、一方のレール上では5人の作業員が、もう一方では一人の作業員が線路補修の作業中であり、確実に彼らを殺してしまう状況に陥ったとき、車掌である自分に一人を犠牲にするか、五人を犠牲にするかの選択が迫られ、殆どの回答者は一人を犠牲にする方を選びました。

 次に、線路脇で前述のような状況にたまたま遭遇し、今回は電車の前方には五人の作業員がおり、その状況下で自分の横に立っている大男を線路に突き飛ばせば、五人の作業員が助かるかも知れないという場合に、全くの他人である大男を突き飛ばせるか?・・・という問いには、そんなことは出来ないという意見が大半でした。

 で、このふたつの質問から、大多数の為には個人的犠牲は許されるか?という論点に移るのですが、そもそも例題の条件が異質なワケです。

 最初の質問では運命の内側に自分が存在するが故に、「当事者」の視点であり、次の質問では運命の外側に自分が存在する「観察者」の視点になります。

 最初の質問においては、自分のできる事は二つに一つの選択しかありません。一人の命を救うか、五人の命を救うか?と考えれば、避けられない運命の選択としては、五人の命を救おうと考えるのが妥当な成り行きではないでしょうか。

 次に、自分の隣の大男を線路に突き飛ばすか否か?となると、「観察者」に徹するならば何もせずに、目の前に繰りひろげられる「運命を外側から傍観」する選択もアリでしょう。目の前の「運命」と、ワタシの「運命」は交わらずに存在可能です。そこにはふたつの「運命」が平行した状態にあります。

 大男を線路に突き飛ばすという行為は、ふたつの「運命」が交差することを意味します。「運命」がひとつしか存在しない場合と、ふらつ以上の「運命」が混在する場合とを、ひとつの「命題」の中に押し込めるの不自然ではないか?・・・と、考えた次第です。

 恐らく後者の状況において、大男を線路に突き飛ばす人はまずい無いでしょう。それは、一人の命を犠牲にするか(救うか)、五人の命を犠牲にするか(救うか)の命題とは少しズレます。後者の質問の場合、自分以外の「運命」に関わるかどうかという選択が、余分に存在するからです。

 そして「関わる」と選択した場合でも、大男を突き飛ばさなくても「大声を上げる」など、選択肢には、より幅が生じます。

 後者の問題において、大男を突き飛ばさない理由として「人権」がのぼりましたが、恐らく本質は「運命論」なのです。そして「運命論」こそが哲学の、哲学者の頭痛の種なのです。その弱点?を隠すための
レトリックとして「人権」という命題にすり替えたんですかね?サンデル先生っ!?

 こういった西欧的な「論理展開」に日本人は本当に弱いです。なぜ弱いかと言えば、言葉や思考を体系化しなかったからでしょう。ではなぜ言葉や思考を体系化しなかったのかと言えば、言葉や思考よりも「霊性」を重んじたからです。これは日本人に限らず、アジア全般に見られる傾向かと。

 過去、アジア諸国は西洋に植民地とされましたが、その際に何が西洋の原動力であったかと言えば、「哲学」に他ならないのでわ?

 西洋の「体系化された哲学」に、東洋の「霊的な哲学」が負けてしまったが故に、アジア諸国は植民地化されたのではないでしょうか。西洋の「体系化された哲学」からすれば、東洋の「霊的な哲学」は未熟で野蛮に見え、そしてそれが西洋の優位性を、行動を裏付ける原動力になったのではないかと。・・・はい。

 良くも悪くも日本は「皇国史観」で国内を統一することで、西洋の哲学的な攻勢を、日本の植民地化を、退けられたという一面も否めません。

 もちろんワタシは西欧の哲学を否定するワケではありません。しかし矛盾があるのも事実です。そのひとつが「運命論」なのです。「運命」と「自由意志」に関しては、
ギリシャ以来、西洋哲学のジレンマであり続けているのです。

 翻って東洋人は「運命」を自然に受け容れてきました。もちろん運命を体系付けるなんて不可能ですが、運命の裏側に存在する「神仏」の存在を無意識に受け容れることで、運命の問題も解決?して来たのです。・・・してみると案外、植民地化された国々は、植民地化すら「運命」として受け容れていたのかも知れません。
問題を包括するのが東洋哲学

問題を創造するのが西洋哲学



・・・という我流の括りからすれば、要となるのは「運命」に対する考え方の差かも知れません。

 で、最後に言いたいのは、西洋の「哲学」を学ぶにしても、レトリックに簡単に引っ掛からないようにしましょう。・・・ということですかね。


でわっ!