2011年2月10日木曜日

続:相撲に関するアレコレ

 「阿修羅」を覗いたら、「相撲」を非難する記事があったので・・・


相撲の秘密-c
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/221.html
投稿者 asy8 日時 2011 年 2 月 09 日 01:05:11: 3ati27iqg4fYY

>どうやら例によって例のごとく、日本相撲協会は、官僚方式ですべてをうやむやにし、隠蔽する気のようだ。さすがに暴力団組織と長年、深いつながりがあるだけに、隠ぺい工作も熟練している。まるでこの腐敗した日本八百長相撲協会は、どこかの政党のようだ。あるいは、日本経団連のようでもある。すべてをうやむやにして、時の流れのままに世間がすべてを忘れる事を待っている。

「まるでこの腐敗した日本八百長相撲協会は、どこかの政党のようだ。」

 まあ、相撲協会とどこかの政党は同じようなものかも知れませんが、「相撲」と「政治」は別物なので、そのところは混同しないようにお願いしたいです。

>そもそも犯罪捜査を同じ組織内部の人間に任せるということは、隠蔽工作を早くやれと支持命令を出しているようなものだ。組織ぐるみで長年やっている不正行為を、一部の人間だけに押し付け、それで他の処罰を免れようという、トカゲの尻尾切りの典型である。ただ、一部の力士は、正直に八百長の不正行為を告発している。携帯電話のデータは、証拠隠滅のために破壊され、隠され、もはや残っていない。後は証言のみだが、それは期待できない。

>つまり、いつものパターンで、すべて闇に葬られるということだ。今回の不祥事もすべて忘れ去られ、また済ました顔で、何事もなかったかのように相撲は再開されるだろう。そして八百長芝居を今後も続けるだろう。もはやだまされない人もいるが、だまされる人は、何度でもだまされる。むしろだまされたいのだろう。再び相撲は復活する。そして茶番劇を続ける。猿芝居の猿相撲だ。すべてが嘘だらけで、いんちきであり、でたらめである。政治の世界や、役所の世界と同じだ。

「政治の世界や、役所の世界と同じだ。」

 どうも「相撲」と「政治」を一緒にしたいようですが、「相撲」の八百長はワタシたちの生活に影響ありませんが、「政治」の八百長は確実に実被害を及ぼします。

>すべては幻想であり、駆け引きであり、真実は隠されている。常に一般大衆はだまされ続ける。だが、今後の日本相撲協会は変化するだろう。全世界の周囲の見方が違ってくる。もはや日本の相撲には、いかなる権威もなく、いかなる名誉もなく、何の価値もない意味のないダンスである。それが面白いと言う人もいるだろう。そういう趣味の人もいる。それはそういう人だけで楽しめばいいだろう。

「常に一般大衆はだまされ続ける。」

 まあ、「相撲」を「K-1」だとか、「Dream」だとかと同類に思っている人たちは、「ダマサレタ!」と憤るのかもしれませんが、相撲が「儀式」だと判っている人にとっては、逆に「儀式」にケチをつける人のほうが異常に見えます。で、この「儀式」は何の為の「儀式」かといえば、五穀豊穣であったり、国家安泰であったり、日本人のアイデンティティーを確認する「儀式」なのです。例えるなら、「神楽(かぐら)舞」の様なものかも知れません。そこに「趣味」が介在する余地はありません。「神楽舞」は「神楽舞」として、踊り手がいる限り伝承されます。

>しかし、もはや日本の相撲には、いかなる価値もないし、いかなる権威もないし、いかなる名誉もない。番付にも意味はない。勝ち負けにも意味はない。それらはすべて事前に決められている。つまり、相撲の試合には意味がない。相撲の稽古にも意味はない。いったい何の稽古なのか。八百長の稽古か。これはまったく見る価値はない。相撲を中継してNHKが放送する価値はない。それはNHKが、プロレス中継をするようなものだ。それはそれで面白いかもしれないが、そういう趣味の人だけである。相撲も趣味ではあるが、もはや勝ち負けには一切意味はない。そんなものは茶番劇であり、猿芝居だ。何というかあほらしい。

「そんなものは茶番劇であり、猿芝居だ。」

 猿に芝居は出来んでしょう。すばらしい「神楽舞」を上演するには、すばらしい「舞手」が必要なように、相撲が「儀式」であったとしても、否、「儀式」であればこそ、力士という「舞手」の稽古は欠かせないのです。

>真剣に見ている側が馬鹿みたいだ。そんないんちきの八百長試合を誰が応援するのか。そんなものを応援する価値があるのか。また支援する意味があるのか。はじめから勝敗が決まっているのなら、事前に数年先の分まで番付票を印刷して配布するべきだ。事前に勝負が決まっているなら、あらかじめビデオで今後の放送分まで録画しておいたほうが良い。その方が便利だ。もう誰が勝って、誰が負けるのかわかっているのだから、そのスケジュールでやればいいだろう。

「はじめから勝敗が決まっているのなら、事前に数年先の分まで番付票を印刷して配布するべきだ。」

 「神楽舞」は、「神の世界」と「人間の世界」の接点を表現しています。プロレスと相撲の違いは正にそこなのです。相撲は神との関係性の上にありますが、プロレスは?力士の土俵上での取り組みは、神に捧げられるものなのです。つまり、「神」>「力士」>「観客」と、接点が繋がるのです。そして力士は、名勝負=舞を土俵で繰り広げ、観客は興奮し、神との一体感を体験する。そのためには力士の稽古は欠かせないでしょう?

>だいたいにおいて、もはや相撲の稽古などは一切必要ない。稽古などをしても無駄だ。事前に試合前に勝敗が決定されているのだ。相撲の稽古などをしても無意味だ。また筋力トレーニングとか、精神論とか、その他の修行とか、儀式を学ぶ必要もない。そんなものに意味はない。そもそも力士の体さえも必要ない。普通の一般人のままでよい。事前に勝敗が決まっているからだ。ちょんまげとか、まわしも必要ない。そんな格好は、相撲の衣装であり、芝居だ。スーツ姿でネクタイを締めたまま相撲をとってもいいだろう。どういう格好でも変わりはない。事前に勝敗は決まっているからだ。

「稽古などをしても無駄だ。事前に試合前に勝敗が決定されているのだ。」

 全ての取り組みが事前に決まっていたら、ワザワザ外国から力士を呼ぶ必要なんて無いと思いませんか?誰でもなれるんですから。日本人だけでやっていた方がずっと効率的です。新弟子試験も必要ありません。誰でもなれるんですから。

 でも違うでしょ?シロウトには勤まらないから、力士の素養の在るものをスカウトするのです。で、力士の素養とは、土俵上で名勝負を繰り広げられるか否かに尽きるのです。ひょろひょろのサラリーマンにそれが出来ますかね?だれが見たがりますかね?

 二元論的な思考、「全てかゼロか」的な思考に捉われているようですが、人の心も、この世界も、そんなに単純なものではありません。0から1の間には、無限の数字が存在するのです。全てが八百長ではないし、全てが真剣勝負でもない。現実問題として、「儀式」をいかに盛り上げるか。それだけです。

 二元論的な思考=欧米的な思考とは違う、日本的な、東洋的な思考を現在の日本人は忘れかけているのではないでしょうか?日本人のアイデンティティーを自分で否定してどうするのでしょうか?何の得があるのでしょう?アイデンティティーを持つ国と、アイデンティティーを持たない国とでは、どちらが本質的に強いか自ずと明らかです。

 したがって、「相撲」の本質を理解もせず、攻撃や非難を繰り返すマスコミや一部の論客にはガッカリです。日本を破滅に追い込みたいとしか思えません。それが無意識であれ、意識的であれ。

 ・・・それはそうと、陛下のご健康をお祈りいたします。

<転載>
天皇陛下が心臓検査へ 運動負荷で「心虚血」判明
2011/2/9 22:40

 宮内庁は9日、天皇陛下が定期健診で一定以上の運動負荷がかかった際、心臓の血流が悪くなる「心虚血状態」となることが分かり、11日に東大病院(東京・文京)で冠動脈の造影検査を受けられることになったと発表した。

 同庁によると、検査のため11日の宮中祭祀(さいし)を取りやめられるが、日常生活に支障はないという。陛下は定期健診の一環として1月22日に同病院で心機能検査を受けられた。

 心虚血は、心臓を取り囲むように走る冠動脈が狭くなったり詰まったりして、心臓を動かす筋肉に血液や酸素が十分に行き渡らない状態。再検査では造影剤を使って冠動脈の状態を詳しく調べ、今後の治療方針を決める。

 天皇陛下は9日も、ウズベキスタン大統領夫妻との会見など予定通りの公務をされた。

</転載>


でわっ!