2011年2月7日月曜日

軽薄なマスコミの正義が日本を駄目にする

八百長問題:年内の地方巡業中止 地元はショック

<抜粋>

<前略>

皮肉にも、春場所中止の可能性が報じられた5日以降、売り上げが伸びていたという。

<中略>

2日の疑惑発覚後、「ぜひやってほしい」という電話が連日寄せられ、6日も実行委事務所を訪れ「やめないで」と訴えた市民がいたという。

<後略>

</抜粋>


 戦後、娯楽の少なかった時代に、大相撲観戦がどれだけ多くの人の心を癒したことか・・・。ワタシの世代にしても、ようやくTVが日本中に普及した頃で、みんなが大相撲中継に釘付けになったものです。そして、そういった「大相撲」に思い入れのある世代が、戦後の日本復興の礎になったんじゃないんですかね?

 マスコミの言う「正義」とは、一体誰の為の「正義」なんですかね?自分たちで大騒ぎして相撲協会を糾弾し、春場所を中止に追い込んでおきながら、さも、庶民の味方のような振りをする、まったく身勝手な連中です。「地元はショック」・・・?自分たちで騒いでおきながら・・・

反吐が出るわっ!

皮肉にも、春場所中止の可能性が報じられた5日以降、売り上げが伸びていたという。

 この事実が、大相撲に対する庶民の思い入れを表しているでしょう。みmmmんな、「八百長」なんてどうでも良くて・・・と、言うのは言い過ぎかもしれませんが、結局、相撲が好きなんです。ワタシが特別で、マスコミや両国界隈の人々のように、「正義感」溢れる人たちばかりなのかと思っていたのですが、少し安心しました。


 日本人であれば「秘するが花」という感情は理解出来ると思います。どこかのブログで、「八百長は必要悪」という言葉を見かけましたが、それもチョット違うんじゃないか?・・・と。ワタシは「必要悪」は存在しないと思っています。
在るのは「許容悪」だと。
調和をもたらすものが、「善」であり、
不調和をもたらすものが、「悪」である。


・・・というのが、ワタシが考える「善」と「悪」の基準なのですが、このリクツに基づけば、調和を壊さない程度の「悪」は許容可能なのです。では、「調和」とは何か?と言えば、生活に「笑い」がある事ではないかと・・・。だからみんな「お笑い番組」が好きなのではないかと。

 逆に「不調和」とは、生活から「笑い」を奪い去る行為です。したがって今回マスコミが取った報道姿勢は、「悪」の部類に入るワケです。ワタシのリクツでは。

 大相撲観戦を楽しみにしていた多くの人を悲しませました。つまり「不調和」を社会に与えたワケです。「多くの人が真相の解明を望んでいる。」などと、いかにも庶民の代表のような論調でしたが、実際は、「皮肉にも、春場所中止の可能性が報じられた5日以降、売り上げが伸びていたという。」のであれば、ジッサイは、みんなが大相撲の開催を望んでいたワケです。
「全て明かして」「変わらなきゃ」=相次ぐ不祥事、厳しい声-国技館周辺

 マスコミの全てが「悪意」をもって「八百長報道」を繰り返していたとは言いませんが、「八百長報道」を見て、心を痛めていたいた人も多かったのではないでしょうか?その点でも、今回のマスコミの報道姿勢は「悪」としか映りませんし、マスコミが「悪」であるなら、存在しないほうがマシだと思った次第です。極論ですが・・・。

 ワタシは現在ベトナムに暮らしているので、どうにも歯がゆいのですが、「署名」を集めて、「春場所中止」の翻意を、相撲協会に嘆願したいくらいです。「これだけあなた方は、みんなに愛されているのですよ。」・・・と。そして今回、大相撲春場所を中止にまで追い込んだマスコミの悪行を、庶民は許さないんじゃないでしょうか?




でわっ!