2012年2月4日土曜日

モータリゼーションの未来


 昨年の「東日本大地震」にて被災された方々にお見舞いを申し上げるとともに、災害にてお亡くなりになられた方々のご冥福を、心からお祈り申し上げます。



 ワタシ、自動車が全て電気自動車になれば、石油輸入量は減るしCO2の排出も飛躍的に削減できると書きました。ええ、確かに書きましたよ。・・・でもね?個人的には電気自動車は好きになれそうにありません。


<転載> 

ホンダ、販売店100店で太陽光発電
13年度末までに システムは自社製
2012/2/4 18:27

 ホンダは4日、2013年度末までに自動車販売店100店に自社製の太陽光発電システムを設置すると発表した。店舗の電力の一部を賄う。発電量は合わせて1メガ(メガは100万)ワットに上る。国内の工場や事業所にも設置を進めており、環境への取り組みを強化する。

 国内の販売店2200店のうち、設置スペースがある100店に太陽光発電システムを設置する。4日に開店した「ホンダカーズ東京中央 足立小台店」(東京・足立)では発電量9キロワットのパネルを設置。照明に使う電気の半分強を賄う。

 太陽電池パネルは子会社のホンダソルテック(熊本県大津町)が製造する。既に国内の工場や事業所に計3.3メガワットの太陽光発電システムを設置しているほか、13年に稼働させる寄居工場(埼玉県寄居町)に2.6メガワットのシステムを設置することを明らかにしている。

</転載>


 この記事を目にして、HONDAは電気自動車普及に向けての布石を打っているのだろうとは察しがつきますが、


ホントにそれでイイの?


という思いがあるワケですよ。クルマ好きなワタシとしてわ。

 ま、ワタシに限らずクルマ好きな人にとって、電気モーターが静かに回転するだけの乗り物なんて、「乗ってて楽しいのか?」という思いがあるワケです。「乳母車か?」・・・と。

 クルマ、バイクはあの、エンジンの振動があってこそなワケですよ。己の五感を研ぎ澄まし、エンジンの振動、路面の状態、車体の挙動を総合的に感じ取るあの瞬間こそが、モータリゼーションの醍醐味、快楽であり、エンジンと言う「心臓」を取り払われてしまったクルマになんて、これっぽっちもワクワクしません。

 その昔、1970年製マスタングのV8エンジンを回した事がありますが、アイドリング状態だと「ドロドロドロ・・・」と、まるでインディアンの戦闘ドラム(イメージ)の様な下腹に響く音で、アクセルを踏み込むと、それがもう・・・「ガオー!」と吼えるんですわ。

 全く、品性のかけらも無いエンジンでしたが、そのビートで頭の中が「カーッ!」と熱くなりましたね。きっと脳内エンドルフィンがブワーっ!と噴き出したんじゃないか?と。


 クルマを運転していても、「ドライバーズ・ハイ」を何度か経験した事がありますが、そんなにスピードを出していなくても、何と言うか・・・エンジンの振動だとか、路面から伝わる振動だとか、自分自身の心臓の鼓動だとかがシンクロして、感覚が非常に鋭敏になる瞬間があるのです。まるで自分とクルマが一体化したかのような・・・。


 で、何が言いたいかというと、


人間は五感を持つ生き物


だということで、五感を通じて脳は「外界」と接触し、そのコミュニケーションのフィードバックが脳の情報処理能力を高めるという事です。逆に言えば使用頻度の低い感覚器官は「退化」するワケです。真っ暗な深海に棲むカニのように。

 感覚器官が退化することは人間にとってプラスか?マイナスか?身近な例で言えば、野生動物は「地震」を事前に察知しますが、残念ながら人間には察知できません。遥か大昔は人間にも察知できたのでしょうが、様々な事情でとっくに退化してしまったのでしょう。つまりは、環境の変化に鈍感になったワケです。

 その分を「文明」とか「科学」とかで補おうと努力してきたワケですが、大地震や巨大台風の前には成す術がありません。地球が本気?になったら最新鋭の軍隊すら、何の役にも立ちません。自分の「感覚」だけを頼りに、危機を乗り越えなければならないのです。

 そういったワケで、ワタシは「五感」は大切だと考えますし、その意味で刺激の多い環境の方がイイようにも思います。したがってクルマが電気モーターの塊になるなんて、クルマ好きとしても嘆かわしい限りです。

 また、「音のしないクルマ」が果たして交通安全などの面で有益かどうか?かえって危険ではないか?を、良く考える必要もあります。クルマが近づいても気が付かず、お年寄りや子供が事故に巻き込まれる可能性も高いワケですよね?

 石油輸入量を削減するために電気自動車は有効かも知れませんが、何も電気に拘らなくでもガゾリンの代替を見つければ、現状の産業形態のままでも済むワケですよ。その代替として、「HHOガス」を何度も取り上げている次第です。



 人間は刺激を求める生き物です。刺激が「外界」と「自己」の境界を明確にし、そこから全てが始まるのですから「人間の尊厳」に係わると言っても過言ではありません。ワタシが考える未来は、「人間の尊厳」をより一般化させる方向に向かう、中世ヨーロッパにおける「ルネサンス(人間復興)」の精神になぞらえて欲しいものだ。・・・と。 

 中世ヨーロッパは「教会」の権力が絶対的で、「暗黒時代」とも呼ばれていますが、現代は現代で、「金融」の力が絶対的でこれもまた、「暗黒時代」にあるのかも知れませんなあ。後世の歴史家たちから見たら・・・。


人間ナメんなよ!


でわっ!