2011年3月1日火曜日

ワタシは渇く・・・

 人は常に何かを求めます。自由・・・お金・・・地位・・・名誉・・・好奇心・・・異性・・・愛・・・孤独・・・平和・・・競争・・・変革・・・支配・・・友情・・・破壊・・・創造・・・

 それらの究極の目的は、自分を心地良い状態に置くこと。すなわち全ての欲求は、利己的であることに他ならないのです。どんなに高徳の宗教家であろうと、どんなに立派な政治家であろうと、どんなに高名な学者であろうと、人は利己的な心から離れることは出来ません。ましてや一般庶民であれば尚の事。全ての人間は利己的なのです。
 
 基本、人間も所詮は動物・・・ケダモノの一種に過ぎないのですから当然です。自己防衛本能に従い、自分にとってより良い環境を求めるように出来ているのです。そしてそれは生き残るために、神?から与えられた資質であるが故に、何人もそれ・・・利己的な本能を否定することは出来ないでしょう。

 人間がよりケダモノに近かった頃は、生き残ること=種の保存が最優先課題であり、生き残る手段として「群れ(社会)」を構成し、外敵や災害からの生存確率を高め合という、生物としてはひ弱な集団でした。猿の群れと同じで、「力」の強いオスがボスとして群れを守る「責任」を負い(その代償としてメスはよりどりみどり)、そして「群れ(社会)」の存続は、自分も含めた全体の死活問題であるが故に、個人の「自由意志」は必然的に制限され、先ず「群れの行動倫理」が優先されたでしょう。そのようにして人類は「人間」という道を歩み出した。・・・と考えられます。

 自由や自由意志に対する「渇望」は、人間の根源的な「満たされない渇き」であり、それは生物としての本能の裏返しであるとも言えます。

 してみると、西洋における「個人主義=自由意志の尊重」とは、人間本来の・・・ケダモノとしての「本能の肯定」をするかのような主義であり、「本能」の対極にある「理性」とは相容れないようにも思えます。・・・にも拘らず、「個人主義」を以って「近代理性」を標榜する西洋的な思考に、少なからず「矛盾」を感じる次第です。


嗚呼・・・ワタシは渇く・・・

 
 
でわっ!