2013年10月1日火曜日

悪いヤツほどよく哂う

  
 「Open ブログ」というトコロで見かけたのですが、「老人介護ビジネス」というのも「闇(ダーク)」ですなw。


2013年09月29日
◆ 介護詐欺(有料老人ホーム)


 記事から抜粋しますと・・・

 ホーム経営の裏側を、あるファンドのマネジャーが明かしてくれた。

 入居の際に家賃を一括して預かる「一時金」を、施設側は入居から一般的には5年間、毎年分割して取り崩し(償却)、「家賃収入」として懐に入れる。6年目からはそれがなくなるので、償却期間を過ぎても入居が続く老人からは、介護費などしか徴収できない――。「長生きすればするほど施設側は収益が出にくくなる。なるべく『償却切れ老人』を減らし、家賃収入が計算できる新しい入居者に入れ替えて収益力を上げ、早めに売ろうとする」

 いくつかの介護施設で働いてきたある施設長は「風評がたつと致命的だからおおっぴらにはやらないが、けがや病気をきっかけに、『償却切れ老人』を、『医療が必要になったのでうちではもうお世話できる力がない』などと体よく追い出す施設が増えている」という。

( → 朝日新聞 2013-09-29 )



 ウチヤマの山本武博・経営企画室長は「売れたのは開設後1~2年の施設。どこもまだ半分は空室があるのに、早く成約したいという感じで、まるで青田買いのようだ」という。5施設を計約 45億円で売り、ウチヤマには十数億円の売却益がころがりこんだ。

 パークウェイ(シンガポール企業)は、リートでは日本国内で最大の介護施設のオーナーになっている。これまで総額800億円で計44件の介護施設や病院を買収してきたが、このうち日本国内の施設が40件を占める。

( → 朝日新聞 2013-09-29 )



 介護事業会社「ワタミの介護」(東京)が経営する神奈川県内の老人ホームで昨春、前夜の入居者の状況を引き継ぐ会議でのことだった。夜勤責任者のケアワーカーが、ある男性入居者について「ベッドから落ちたが、けがはないので様子見した」と報告書を読み上げると、ホーム長がすぐさま書き直しを命じた。

 この施設では夕方6時以降、看護師が常駐せず、翌朝8時までケアワーカー3人で約60人の入居者をみる。夜間に転落などの「事故」が起きた時は、自宅待機の看護師に連絡し、処置を仰ぐことになっていた。

 ルール違反の発覚をおそれて、ホーム長は「様子見した」という報告書を、「自宅待機の看護師に報告した」と書き直させた。

 「手抜き対応を隠すための明らかな改ざん。でもこんなことは日常茶飯事だった。人手が最小限におさえられているから、やるべきことも十分にできない状態だった」と看護師はいう。

( → 同上:朝日新聞 2013-09-29 )


 で、老人介護ビジネスの「ボロ儲け」の仕組みは、


・ 終身介護を約束するが、5年で追い出す。

・ ていねいな介護を約束するが、手抜き。


・・・の、2点にあると。

 そして最後に、

 結局、現状は、「人を死なせて大儲け」というのを推奨する制度だ。まさしく悪魔の制度である。これを日本政府が容認している。狂気の沙汰ですね。


・・・と、結んでいるのですが、何故?日本社会は、このような社会になってしまったのか?




 少し前にスイスの議員が、非生産的な老人をアフリカに「島流し」にすることを提案・・・という記事を見て、


マジ?!


・・・と、驚いたのですが、上記の日本の状況と比べ見ると、「島流し」のほうがまだマシに思えてきました。


【VOR】政治家 貧しい年金受給者をアフリカ送りにすることを提案
29.09.2013, 13:44


Photo: Flickr.com/| dak |/cc-by-nc-sa 3.0

 スイス人民党のイヴ・ニデッゲル議員は、貧困層の年金受給者らをアフリカのマロッコに送ることを提案した。「トリビューン・デ・ジェニヴ」が報じた。

 イヴ・ニデッゲル議員によれば、マロッコの医療サービスはスイスよりも格段に安く、国家財政への負担を大きく削減することができるという。これは何も、年金受給者らを見放すことではなく、プラグマティックに考えてみれば、より温暖で、物価の安いところに送るのが当然と結論付けたに過ぎない、と本人は語っている。

 またマロッコでの雇用創出につながることから、現地の経済発展にも貢献するとしており、マロッコ当局もこの考えに前向きだとニデッゲル議員は語っている。

Vesti.ru


 ズイブン昔の話ですが、日本にもスペインかどこかに老人を移住させようという計画があったように記憶しているのですが、アレはもう計画倒れになったんですかね?

 で、確かにスイスの議員の提案は合理的だとは思うワケですが、合理性だけでは割り切れないのが「人間」・・・と、いうことで、


どこで死ぬか?


・・・という問題は、生きることと同じくらいに、個人にとっては重要な問題だと思うワケです。

 逆に言えば、「安心して死ねる社会」であれば、多少苦労があろうとも、人は充実した人生を送れるようにも思うワケで、「老」の先に必ず控えている「死」を見据えないと、人の心が安らぐ事は無いのではないか?・・・と。

 つまり、「老人介護」とは「生」を前提としたビジネスであり、「死」に対しては無責任であるのかも知れません。


どう死ぬか?


・・・は、「ホスピス」などでも重要なテーマであり、できれば自分の納得する形で死にたい・・・と、いうのが、


人生の最後の願い


・・・だとしたら、その最後の願いが、最大限保障されるような社会福祉こそが、


今を生きるモチベーション


・・・を、与えてくれるように思った次第です。

 「老人介護」の問題から逸れてしまいましたが、老人介護の先にある「死」を見据えないと、「死」から逆算した現在の「生」の在り方もブレてしまい、「老人介護詐欺」などに容易く引っ掛かってしまうんではないかい?・・・と、思えたもので。






人間ナメんなよ!


でわっ!